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一般論に負けるな

結婚とは何か、最近よく考える。

もしかすると一生できないかもしれんと思っていた恋人ができてしまったからなのか、はたまたその恋人が割と気軽に「結婚」や「子育て」を連想させる妄想をしすぎるからなのか。


昔はよく 旦那はいらないから子供が欲しい などと本気で思っていたが、時を経て年を重ねて、いつの日か 旦那が欲しいと思うようになった。

旦那というよりは、信頼できるパートナーが欲しい が正しいのかな。

結婚という契約にこだわる理由がもしあるとしたら
相手の命に危険があった場合に自分に連絡が来て欲しい という事ぐらい。

子供を作らないなら、子供ができないなら、結婚という形に対する願望は特別強いわけではなくて
それよりも不倫に明け暮れるゲスい人間どもを目の当たりにしたり、離婚や再婚を繰り返す友人や、結婚して苦労している方向性の話を聞くことが多いこともあり、なぜ人は結婚するのだろうという疑問は膨れ上がるばかりだ。


自分の両親も、私が高校1年の終わりに離婚している。

あからさまに不幸な家族でもなかったけど
とても当たり障りのない言い方をすると、父親は家族に対してあまり愛情を表現する人間ではなかった。

母親目線で言えば、子育てに関心のない父親。
私は長女であるが故なのか、母親から直接そのような愚痴を聞かされることもあったし、幼い頃の記憶にある父親は、家にいる時間8割以上を寝て過ごしていた。


我が両親は、俗に言う円満離婚をしたと思う。
子供たちである我々三姉妹は何の制限もなく父親と連絡も取れるしいつだって会うこともできる。

多少母親の精神面に気を遣うことはあれど(私だけかもしれないが)自由に行き来もできるし、離婚する前よりも会う頻度や話す機会は多くなったような気もする。

元美容師の母は未だに父の髪の毛を切っているし、父も具合が悪ければ惜しげもなく母に助けを求めてくる。

それを母はすごく鬱陶しそうに話すが
母には我々三人娘がいつだってそばにいて、本人が助けを求めてこないだけでいつだって助けられる環境にいるからこそ強気でいられるだけで

離れて一人で暮らす父は、きっと心細い日々を過ごしていることだろうと思う。


それも結婚生活で家事や子育てに協力しなかった自業自得だと言われてしまえばそれまでだし、当時母が抱えていた苦しみや葛藤は、一方的に聞く話だけでは理解してあげられない部分もあるとは思う。

結婚も子育ても、老後の不安も
すべては結果論だと言ってしまえばそれまでだ。


【運】なんだろうな、何もかも。
と思ってしまう。


そんな両親も普通に恋をして愛し合って結ばれて結婚したはずである。
母はもう父以外との武勇伝しか語らないが、どんなに想い合って結ばれたって結婚生活がうまく行くとは限らないなんて もう正直何を信じたらいいのかわからない。


現在の恋人タミオ君とは
38歳の夏に出会って、39歳になる前に交際を始めているが

この年になって出会ったからこそ、相手の良さが身に染みてわかったという部分がとても大きいと思っている。

もし20代そこそこの時代に出会っていても恋愛するには至らなかったかもしれないけど、40代直前で出会ったからこそ 残り時間の少なさや女体のリミットなどを考慮して、もっと早く出会えたらよかったのにな なんて思ってしまう始末。


今がまだ20代だったら、せめて30代前半だったら、もう少しゆっくり相手を知るための時間を重ねて 結婚を焦らず考えることができたのかな。

結婚願望が特別強いわけじゃないのに結婚に焦ってしまうのは、妊活をするのかしないのか、子供のいない生活を前提にしても結婚を考えられるのか、急いでも仕方のない答えを要求する必要が出てきてしまうのが一番のストレスになっている気がする。


二人で過ごす幸せを単純に満喫できないのは
妊娠や出産にある程度リミットがある女性の宿命なのかな。

相手を大切に思うが故に、答えを急いでしまう。
後悔したくないから。

相手を大切に思うからこそ、ゆっくりじっくり育みたいし
この穏やかな時間を大事にしたいのに。


人生80年だとして、もう折り返し地点。

この先すぐに結婚したとしたって、毎日片時も離れず一緒にいるわけではないし、それを考えれば人生の半分も一緒にいられないという事実を改めて実感すると

少しでも一緒にいられる時間を大切にしたいし
その時間は少しでも寄り添って過ごしたいな、と思ってしまう。


それぞれの生活や人生や付き合いも大事だし
一人の時間も大事。

その中で無理せず自然に一緒に過ごせる時間をお互いにどれだけ作れるのかと考えたときに、きっと本当に残り時間は少ないんだろうな と思ってしまう。



生まれ変わりたいとは思わないけど
死ぬまでの一生をどう生きるのかと思ったときに

私に今やり残したことはなんだろう、と考えた。


過保護で過干渉な母親のもとで
ありとあらゆる行動を制限されながら生きてきて
仕事に人生を捧げたり、介護に青春を投じたりしたものの、それなりに恋愛もしたし、部活にも入っていたし、音楽活動も創作活動もした。

根本的な時間制限が多すぎたばっかりに、部活も音楽活動も仲間たちと同じレベルで満喫はできていなかったものの
経験として、ちゃんと味わうことはできた。

ご時世的に制限がかかってできなくなったこともあったし、それは今後もしばらく続くかもしれないけど、早く再開したいと強く願っているわけでもなくて。


思えば私は至って幸せに生きてきたんだな、と思う。


母は言いたくないけど毒親寄りだし、私は体が弱すぎるし、心も繊細過ぎて必要以上に考え込むことは多いけど

こうして元気にもうすぐ40歳になっちゃうわけで
仕事でもある程度認められるようになって
それなりに趣味に時間を作れた時代もあって
大して多くはないし質もよくなかったけど恋愛もしてきた。


あと、人生において達成できていないことは

結婚と妊娠と出産。


一般的に、幸せといわれる それ である。


結婚しなくたって
子供ができなくたって
幸せに暮らすことはできるし、実際幸せに暮らしている友人だっている。

自分たちも、お互いがそこに執着しなければ、そうやって形にとらわれずに仲良く生きていくことだってできると思う。


それでもいつか、人生経験としてでもいいから 結婚したいな って思えるようになったのは自分にとっても信じられない変化であり
そこに現実的に想像できる相手がいるということが、一番の幸せなのかもしれないと思う。



独身が惨めだとか可哀想だとか
結婚したら子供を産むべきだとか子供がいる人生が幸せだとか

押し付けがましい一般論が世の中には溢れてるし

私もその一般論に時々飲み込まれそうになってしまったり、だからこそ世界から取り残された気分になったり、世間に馴染めなかったり混ざりたくなくなったりすることも 本当は何度もあるけど


そんなの知らんし。
幸せなんだから放っといてよ。


って、大笑いしながら言えるようになるといいな。



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