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岡本太郎さんから学んだ”生きる”ということ

「生きている実感」が欲しい。

最近よくそんなことを思っています。

仕事は頑張っているし、趣味の筋トレも目標を持って継続しているけど、なんとなく生きている実感がない。

「俺は生きてるぞー!」って感じないというか…

世間からは馬鹿にされないように最低限の生活はなんとかできてるけど、それだけ。
特別苦労はしてないけど、充実感はない感じ。

趣味としてのトレーニングは楽しいし、今の仕事も悪くはないと感じてはいますがなんとなく物足りない。

何が足りていないんでしょうね?


岡本太郎さん、初めまして。

そんなモヤモヤを抱えながらいつもの通り図書館へ行くと、面白い本に出会いました。

岡本太郎さんの著書【自分の中に毒をもて】という本です。

前々から気になってはいましたが、手に取るのはめんどくさいかな…と思っていた本でした。

「でもせっかく見つけたし読んでみるか…それにしても表紙で自分の顔のアップを載せちゃうなんでやっぱり変わった人だな〜」

なんて思いながらペラペラと呼んでいたのですが、初めの数ページを読んだらどんどん岡本太郎さんの哲学にハマってしまって、ソッコーで借りて家で読んでしまいました。笑

表紙が自分の顔のアップとは…さすがです。

岡本太郎さんの哲学は「生きるとは何か」について僕の頭に新しい風を吹き込んでくれるような、まさに僕の生きる指針になるようなものでした。

僕の文章力では多くは語ることはできないのですが、印象に残ったものを一部抜粋します。

久々に心が震えました。
「まさにこれが僕の探し求めてたやつじゃないか!!」
借りた当日には心でそう叫んでましたね笑


そういえば、高校生の頃は…

この本を読みながら、やっぱり「僕は本質的には生きていなかったんだなー」なんて考えながら、同時に「でも高校生の頃は”生きて”いたかも…」なんて思ったりもしました。

振り返れば、高校生の時は今のような物足りなさは感じることやはり少なかったように思います。

常に「成績」という絶対的な数字のみに左右される世界に向けて勉強し、その上で得意だと思っていた科目で全然点数が取れなかったり、全然勉強できていない科目では容赦なく志望校判定にE(最低クラス)がつく。

どれだけ勉強しても必ずしも良い結果が得られるとは限らず、油断すればE判定という一種の”死”が待っている世界に生きていたからこそ、生きている実感を持てていたのかもしれません。

手を抜けば”死”あるのみ!

翻って現在、社会人の私はどうだろうか。

もちろん給料などで社会的地位が判断されるかもしれないけど、特に今「自分は社会の中で何位」とかは絶対的に判断されることはない。

家もあるし、贅沢をしなければ生きていくことはできる。
”まあまあの”くらしってやつです。

でも、これがダメなんでしょうね。
どうしても闘争心を持つことが少なくなってしまった。
”死”は僕からは遠い存在になっています。
もちろんありがたいことなんですけどね、、


ということは、必要なのは?

そうやってぐるぐる考えてみると、なんとなく必要なものも見えてきたように思います。

現代の社会人に、というか今の自分に必要なのは”挑戦”すること。
高校生の頃ように順位がある程度数字で支配されるものか、全く初めてのことが良い。

岡本太郎さん的に考えれば、無力さを感じることが成長につながり、努力する気力が湧いてくるはず。

僕の解決すべき課題は、当面は一人前に自立して農業で食べていくことができるようになること。
そのための挑戦として、一人暮らしを始めようと思います。

最終的には日本の農業・地方を活性化し、日本人が日本で作ったものを消費する社会が実現できればいいなと思います。

日本人が作り、日本人が食べる。それが当たり前の世の中に。

自立して、社会へ貢献する。
この流れは心の中にずっと置いておこうと思います。

ということで、今回のnoteは以上になります。
「自分の中に毒を持て」をよんで、僕は岡本太郎さんに生きる情熱を与えられました。
もし目にする機会があったら、ぜひ読んでみてください!
では、また次回の記事でお会いしましょう!さいなら〜✋












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