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どうしても赦せない人 DAY 8

1. あの世では

あなたが誰かを赦せないと思っていたのは、悪いことをしたその人が何の罰も受けていないと、あなたが早とちりしたからでしょう。

しかし、思念や言動には必ずその結果が訪れ、霊界では全てが裁かれ、悪事に対しては相応の償いが必要となります。「軽い気持ちで」、「周りの人に力を誇示したくて」、「自分に得だから」、「人を馬鹿にすることが面白くて」、などの安易な気持ちで始まったダメージを、与えた質と期間と人数において、全て自分が回収するのです。あの世では体がないため、思念しかありません。自分が痛めつけた人の苦しみ、恨み、悔しさが矢のように霊魂に突き刺さり、多くの人の恨みに自分が溶けていくのです。

2.この世では

それに対して、この世はたかだか百年で、脳の構造上、一つのことに集中したり、記憶を全て保存することは不可能で、一心にやっているつもりでも絶えず様々な思念が心に浮かび、出来事も思いも忘れていきます。これらの思いや言動は脳に記憶されるのではなく、魂と集合意識に蓄積されるので、死んだときに本当の裁きがあるのです

怒りや恨みにとらわれている人が見落としているのは、実は、一日のなかで気を紛らせている時間があるということです。苦しいときだって、水を飲んだり、ごはんを食べたり、トイレに行ったり、布団に入ったり、何かしら体を動かし、それに伴って思念が沸き上がります。直立不動であったにせよ、ベッドに横たわっているだけにせよ、意識がある限り、体の感覚と思念は感じられるのです。嫌なことを考えているときだって、ふと、食べ物を買いに行かなくちゃ、とか、外がうるさいな、とか、全く違うことを次々に考えているのです。

だから、この苦しみは一生消えないと思っていても、本当は、たくさんの別のことを考えている時間の方が一日のなかでは長いのです。ただ、他のことは一度頭によぎったら別のことにどんどん移るけれども、特定の苦しみを思い返す回数が今は多い、ということです。

体には自然治癒力、成長作用があるので、血が出ても止まり、傷はふさがってきます。魂にも癒しの力があります。だから、生きているときに虐げられた苦しみが一生続くというのは間違いで、霊体になってからこそ、人を傷つけた苦しみからは、償わない限り逃れられないのです。償わなければ、悪霊になるだけだと思います。

3.悪霊との遭遇

私は、幼いころから非常に勘が鋭い子でした。相手の言葉や態度が優しくても、その心の奥に違うものを感じたり、相手の態度は雑であってもその真心を感じたり、ということがよくありました。

4歳のとき、ある町に引っ越してきました。あるとき高熱が出て、夜中に母がそばで看病してくれていました。私は足元の障子の方に、なにやら恐ろしさを感じ、何があるか確かめなければならないと感じました。障子を直接開けるのは危険だと思ったので、隣室のふすまを開けて隣室から廊下に出て、障子の外側を見ました。

そこには、二人の悪霊がいました。背の高い、やせた、白い和服を着た女性の霊体は、細く長く伸びた指に長い爪があり、面長の顔には化粧っ気はなく、深いしわが刻まれていました。長い髪はぼさぼさで、夜叉のようでした。一方、小太りで中背で、ところどころ破れた服を着た男性の霊体は、前頭葉が少しはげていて、天然パーマのような縮れた黒髪で、鬼のようにギラギラした目と大きな口がありました。どちらも、誰かを馬鹿にしたときの優越感のような、恍惚の表情を浮かべて、私が寝ている部屋の障子に小さな穴を開けて、そこから、黒い虫のような、邪気のようなものをふーっと吹き入れては大笑いしていました。

その姿は、強くたくましい悪魔というより、場末の悪霊で、子どもながらに少しの恐怖はありましたが、同時にかわいそうだと感じました。身なりを奇麗にする気もなく、誰かを苦しめることだけが生きがいの、哀れな悪霊だったからです。人を傷つけることで自分に優位性を感じていても、自分が幸せでないことに全く気付いていないようでした。母が、隣室を通って私を追ってきました。かわいそうな鬼がいる、と悪霊の方を指さして母に言うと、母には何も見えないようで、ただ、熱を測るから布団に戻って、とだけ言いました。

かわいそうな鬼だ、という思いが悪霊に伝わったのか、一瞬悪霊はこちらを見て、驚いたような表情を浮かべて、すーっと消えていきました。二人分の霊力を使っても、子ども一人に障害を与えることができないうえに、殺そうと思っていた子供から憐みの目で見つめられて、自分たちがこの数世紀にわたって行ってきた悪事の数々に初めて気づいたのかもしれません。

布団に戻って熱を測ると、ついさっきまで40度あったのに、37度弱に下がっていました。高熱の時に、夢を見ただけかもしれません。しかし、私は、これが悪霊だったと思っています。なぜなら、小学校、中学校、と成長するにしたがって、悪口を言う人、嫌がらせをする人を見る機会がありましたが、彼らの表情が、あのときの悪霊にそっくりだからです。この世の悪想念はあの世の悪想念とリンクして、憑依されるんだな、とそのたびに思いました。

誰かを痛めつける霊性の低い人たちは、悪霊と意思疎通するからこそ、悪いことを罪悪感なく行えるし、罰を受けるわけではなく、この世でやりたい放題です。それに対して、あなただけが損をした、あの人たちはずるいと思うかもしれません。しかし、他人を蹴落とすときに悪霊と同通した人たちは、結局、悪霊と同じ道をたどります。

4.それでも恨みますか

この世は理不尽で、不公平なことがたくさんあります。でも、理不尽なことをする人たちは、決して罪から逃れられることはなく、同類の層に行くのです。警察に捕まったかどうかでなく、悪口、嫌がらせ、いじめ、パワハラ、アカハラ、セクハラ、暴力、あらゆるハラスメントが加害です。あなたを傷つけた加害者も、加害者の味方をした観衆も、知らないふりをした傍観者も、みんな相応の償いが必要になるのです。それは、口先の謝罪でなく、他の誰かに親切にすれば帳消しになるのでもなく、本当の被害者に心から謝罪し償うことでしか昇華できません。そのために転生し、自分が逆に被害者の立場になることもあれば、罪はないけれども被害者の気持ちを体感して人間性を深めるために、被害者の役を担う人もいます。

それでもあなたが被害を受けたことに対して納得できずに、悲しみ、怒り、憎しみ、恨み、呪いなどを繰り返し繰り返し感じていると、あなたは、いつの間にか、恨みの層の霊魂とつながってしまいます。この世で被害を受けただけでなく、死後、恨みの層に行くとなれば、あなたは後悔するでしょう。

恨みを手放せたときに、あなたの霊格は上がります。世の中でよく言われる、「許す」というのは、悪事をなかったことにすることでもなければ、加害者と仲良くすることでもありません。自分が苦しまないように、加害者たちのことを考えないということです。彼らと接点を持たないということです。だから、彼らを赦さなければならないと執着するのではなく、加害をしないような人たちと接点を増やしてください。

一人でも多くの人が恨みを手放せるように、そして、加害や傍観をやめて、よりよい社会になるように祈りながら書いています。
あなたは、どうしますか?

注記

これは、私のブログ記事から書いています。


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