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[小説]ボンドブレイカー 002)工事課事務職 緒野の野心(1)

〔002 本文〕

十一月に入った最初の金曜日。

小会議室の扉を開けると、総務課の犬飼いぬかい課長と秋河あきかわ係長が窓を背にして座っていた。

働くっていうのは、面倒なことばっかりだと思う。

ウチの会社は東証プライム上場企業のハウスメーカー。
ハウスメーカーと言っても個人の住宅だけじゃなく、ニーズがあれば、アパートや店舗なんかも建ててる。
ただ、比率は断然、住宅が大きい。

全国に支店があるから知名度も有るし、テレビのCMにも人気俳優を使ったりしてる。
きっと、まあまあ儲かってるんでしょう。

営業や設計職の社員が頑張ってくれてるからだと思う。
あと工事課の人達も。

私も工事課の一員だけど、工事課の他の皆はいつも現場に行ってるから、仕事してるところは見たことがない。
今朝もだけど、私が出社した時にはもう誰も事務室にいなかった。

だから、どんなふうに頑張ってるのか、本当はよく知らないけど、夕方、汗だくになって事務所へ帰ってくるから、それなりに励んでいるはず。
みんな、会社の儲けに役立ってくれてるんでしょう。

私は一年前に派遣社員から正社員になった。

ウチの会社はこうして、半年ごとに全社員の個別面談が行われる。
辞めていく社員が多いからだと思う。

五月の面談の時は初めてだったから、勝手も分からなかった。
愛想笑いをしている内に何となく終わってしまった。

何かが変わるならと、この機会に自分の意見を訴えたりする先輩もいるみたい。
だけど、私は無難な答えしか返さないと決めてる。
闘うのは面倒だから。

でも、この面談は変。
変と言っても、前回との比較でしかない。
面談は直属の上司が行うはず。
私の場合なら工事課の南里みなみざと課長だ。

だけど今、大きな楕円形の机の向こうに座っているのは、総務課長と総務係長。
黒ぶちのメガネを掛けた小太りのおじさんと、色白で瞳の小さいおばさんだ。

朝一番でこの面談が行われること自体、出社してすぐ、突然言い渡された。

柔らかい口調で座るように勧められても、勝手が掴めず居心地が悪い。

犬飼課長はメガネを上に持ち上げ、手元の書類を確認してる。
メガネを外したほうがよく見えるっていう意味がわからない。
どうでもいいことだけど。

「工事課の緒野おのさんだね。正社員になって一年経つけど、仕事は覚えられたかな?」
「何か困っていることは?」
総務課長の問いに、はい、まあ、特に無いですと、返事をしながら少し笑顔を見せる。

犬飼課長の口調は穏やかだけど、だからって心を開く気にはなれない。
私達若手が、密かに女帝と呼んでる秋河係長が同席してるから。

その後も二、三質問が続いたけど、返す言葉が上の空になってしまう。

「そうか。じゃあ、秋河係長。いや、秋河さん。あと、よろしく」

一ヶ月くらい前に、社内での役職呼びをやめるよう、社長から通達があったんだった。
社内の風通しを良くするためと聞いた。

って、え?
犬飼さん、退室しちゃうの?
むしろ女帝のほうに退室して欲しいのに。

「緒野さんがいるフロアの雰囲気って、どんな感じなの?」
犬飼さんがドアを締め切るのを待って、秋河さんが口を開いた。

何?この質問。

女帝の縄張りと言える総務課は、社屋の三階にあって、営業、設計、工事の各課は四階に入ってる。
階が違うと雰囲気は分からないものだけど、面談でわざわざ聞いてくることでは無いと思う。

秋河さんの言い方は、そのお菓子美味しいの?と、どうでも良いことを尋ねているような感じだ。
だけど、細い目蓋の間から覗く黒い瞳は、包み隠さず全て話して聞かせなさいと、私に詰め寄ってきている気がする。

「雰囲気ですか?」
質問の真意がわからない時は、相手の質問を繰り返すに限ると思う。

「誰かと誰かが特別に仲が良いとか、逆にすごく仲が悪いとか。そのせいで、フロアの雰囲気がギクシャクしてるとか」
いろいろあるでしょと、女帝は早口に言った。

そんなこと突然聞かれても、あの人とあの人が実はああでこうで、何て言えるわけないじゃない。

私は机の上に置いたノートの端をじっと見つめた。
メモを取ることはないと分かっていたけど、形だけ持ってきていたノートだ。
開いてもいない。

「言いにくいのはわかるわ。じゃあ、噂を教えて」
「噂、ですか?」
「そう。緒野さんの意見じゃなくて、こんな噂を聞いたことがあるって話でいいわ」

そんなこと。
私が告げ口をさせられるってことに変わりないじゃない。

「よく知りません。噂話は苦手なので」

顔は上げられなかった。
ささくれたノートの角から目を離さずに答えた。

「嘘はやめなさい」

ピシリと、窓ガラスが音を立てたかと思った。
私の体もビクッと反応した。

柏居かしわいさんは素直に答えたわよ。あなたといつも、社内の噂話をしていることも聞いたわ」

柏居さん!何言っちゃってるのよ。
何をどこまで話したのよ。

「責めてるんじゃないわ」
女帝らしからぬ、労るようなその口調から、私は自分がとても怯えた表情をしていることを察した。

「私達女子は視野が広いから、その気が無くても、情報の方から入ってくるものよね。仕入れた情報は、誰かと共有したくなる気持ちは仕方ないわ」

無理に共感を示そうとしてくれなくてもいいのに。

確か今年で五十歳になる秋河さんに、半分の年齢の私と、同じ『女子』のくくりで話しをされても抵抗を感じるだけだ。
いや、いくつになっても女子は女子ですよねと、誰に聞かせるでもなくフォローしてみる。

でも不思議。
あの柏居さんが、秋河さんに聞かれたことを、私に話さないなんて。
いつ話をしたんだろう。

私は昨日と一昨日、振替休暇を取っていたから、柏居さんとは会っていない。
今日も姿を見ていなかった。
だけどそれでも、SNSで知らせて来そうなのに。

柏居さんの予定表は『外出』となっていた。
外出ということは、会社には来ているのだろうか。
連絡したけど、この面談の時間になってしまったから、返信が来てるかどうか確認出来ていない。

「工事課と設計課との間で。最近、何かトラブルは無かった?」
「設計課とですか?」
私は目を見張った。

何故、設計課を名指しするんだろう?

でも、柏居さんの名前が出てきた訳は分かった。
柏居さんは設計課の事務員だからだ。

「あの、何かあったんですか?」

身近な柏居さんが関わっているとなると、さすがに興味が湧いてくる。

「緒野さんが情報をくれるなら、話せることもあるわ」
秋河さんが姿勢を正して言った。

そう言われると、何とかしてその情報というものが知りたくなる。
ちょっとだけ、真剣に記憶を巡らしてみた。

トラブルと言っても、仕事上でのいざこざなら毎日のことだ。
南里課長が怒り出したら、トラブルでは済まないし。
あれはもう、パワハラの域だ。

私個人としては南里課長が、推しのDr.ディアスに似てるから嫌いではない。

Dr.ディアスは、海外ドラマに出てくる天才プロファイラー。
細身で長身の少し疲れた感じがするおじ様だ。

私だけが気が付いていることだけど、南里課長は怒り狂った後に、一瞬だけ寂しそうな顔を見せる。
その表情が、Dr.ディアスが犯人を言い当てた時に浮かべる悲しそうな顔と被って、きゅんとなる。

だからと言って、課長のパワハラを庇う気にはなれないけど。
Dr.ディアスはパワハラなんてしないし。

秋河さんの咳払いが耳に届いた。

想いに浸って口元が緩んでたかもしれない。
現実に引き戻されて、私も軽く喉の調子を確かめた。

「工事課と設計課は、元々そんなに仲がイイとは言えません」

私達当事者にとっては周知の事実だけれど、秋河さんは小さく、そうなんだと呟いて神妙な顔をした。

工事課と営業課、営業課と設計課だって、決して仲は良くない。
そう続けたかったけど、意外にも女帝が、ショックを受けている様子だったから言えなくなってしまった。

「南里さんのパワハラのせい?」

そりゃそうか。
総務課だし、パワハラのことは知ってるはずだわ。

だけど、不仲の原因はパワハラとか、そんな単純な構図じゃ無いと、いつかの懇親会で田乃崎たのさき君が言っていた。

田乃崎君は一年半位前に設計課にキャリア採用で入ってきた建築士。
イケメンとは言えないけど、外見から不快な印象は受けない。
歳が近いからか、暇があれば、私か柏居さんを捕まえては愚痴ってくる。

「南里さんは、誰かを怨んでたりするかしら?」
秋河さんは、言葉を選びたいけど選べないといった風に、首を傾けながらたどたどしく言った。

「課長がですか?」
驚きを隠せず、つい声が大きくなった。

南里課長を怨んでる人なら沢山いる。
設計課や営業課の面々、工事課の中にだって南里課長を憎んでいる人はいるだろう。

だけど、その逆は思い浮かばない。

課長の中で怒りが去ってしまえば、その件については一旦終了する。
説教が終わった後まで、怒りを向けた対象者を怨み続けることはないと思う。

そう告げると、女帝は考え込んだ様子でノートにメモを取った。

その後、工事課メンバーの一人一人に対して、設計課の人達をどのように思っているか、あくまでも私から見た限りでの聞き取りが続き、秋河さんはメモを取り続けた。

勿論、私は答えられる範囲のことにしか答えなかった。

「設計課は、緒野さんにはどんな風に見えてるの?」
女帝はメモを取る手を止めて、柔らかい表情を私に向けた。

そんな顔を作る筋肉を普段使い慣れていないせいだろう、どこかぎこちなくて不自然に見える。

工事課の聴取の対象に私も含まれていたのかと、返答に緊張する。

「毎日遅くまで、一生懸命仕事されている方達ばかりで、すごいと思います」

優等生の答えに聞こえたのかもしれない。
秋河さんは苦笑した。

「緒野さん自身のことじゃなくていいのよ。設計課内での様子が聞きたいの」

それは、柏居さんに聞かれたほうがいいと思いますと、言いたいところだけど、珍しく下手に出ている秋河さんに刃向かったら、今度こそ窓ガラスが弾け飛ぶと思う。

そうですねぇと、伏し目がちに考えている振りをして時間を稼いだ。

秋河さんも暇じゃない。
一人の面談に費やす時間は決まっているはず。
時間がくれば、この訳の分からない面談から解放されるだろう。
設計課と何があったかは、この際もうどうでもいい。
後で柏居さんに聞こう。

「事情を説明しなくて済むなら、そうしたかったんだけど」
私の様子をじっと見ていた秋河さんが唐突に言ったので、私はびっくりして顔を上げた。

「遠回しに聞いてきたのは、緒野さんに先入観を与えたく無かったからなの」
私が質問に進んで答える気の無いことを、女帝は遂に察してしまったらしい。

秋河さんの顔付きが変わった。
と言うより、温かさの感じられないいつもの表情に戻っていた。

「他言無用よ」
はいと、私は素直に頷いた。
「襲われた社員がいるの」
秋河さんが早口に言い放った。

〔003 へ続く〕


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