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熱い想い:その会社が合わなくても(建築デザインの仕事をしてみた)


#創作大賞2024 #エッセイ部門


アトリエ系と言われている建築設計事務所に勤めていた時のお話。

※アトリエ系 建築設計事務所とは?
建築の設計を生業としている企業の中で、顧客に対して、特に意匠・デザインにこだわりのある提案をする事務所


私が建築の専門学校を出て入社したのは、
『俺達は設計で飯を食っていくんじゃない。デザインで飯を食っていくんだ!』
と言う、建築デザインに対して熱い想いに溢れた設計事務所でした。

設計の仕事ができればいいと、あまり深く考えずに就職を決めた会社でしたので、私には特別、建物をデザインしたい!みたいな気負いはありませんでした。

そんな私ですが、入社後に、デザインで食っていくと言う社長達の熱い想いを聞いても、場違いな所に来てしまったと言う考えには至りませんでした。
『はぁ、そうなんですか』くらいに思っていました。

何故なら、私にも建築の設計は建物のデザインを考えることと抱き合わせだという認識はありましたので。
設計の過程でデザインを考えるのは、当然の流れだという思いがありました。

デザインにこだわりを持った会社なんだくらいの理解でした。

学校を出たばかりの私は、建物を設計すること、それが設計士の仕事だと捉えていました。
そのままです。
間違いではありません。

でも、社長や先輩達は、建物を設計することは、建物をデザインすることだと捉えていました。

その認識の違いは大きな違いです。

私が2D(面)なら、社長達は3D(空間)で建築というモノを認識されていたのです。

図面を書くためにデザインを考えるのが、私が見ていた設計の世界。
図面ありきだったんですね。

ですが本来は、考えたデザインや、こういう空間を造りたいと思い描いたことを図面にするのが、設計士の仕事だったのです。

そんなの当たり前じゃないの?と、思われるかもしれません。
そう思われた設計士の方は、本質を既に捉えていらっしゃるので、会社選びに失敗されないし、失敗していないと思います。

私の場合は、業務を始めてからやっと、初めてはっきりと覚りました。

面では無く、空間を意識するといった技術的なことは、指導のお蔭で、割と対応できていたと思います。

では、デザインを考えることを仕事にするということはどういうことか。

あらゆる可能性の中から、それが良いという意味を見出だし提案することです。

提案するまでには、沢山ある選択肢の中から一つ、もしくは数パターンのデザインを模索する工程があります。

この、デザインを模索する工程が自分には向いていないと、すぐに思い知らされることになりました。
デザインを売りにする設計事務所の社員としては致命的な欠陥です。

社員の少ない事務所でしたので、入社後すぐに、担当する物件を割り当てられました。

主に、美容院やスナックなどの店舗の内装設計、デザインを担当していくことになります。

何故、デザインを模索する工程が自分には向いていないと思い知ったのか。

自信が持てなかったからです。

自分の考えた空間が一番だと、自信を持って周りに説明することができない者に、周りを納得させるのは無理でした。

私にはデザインを提案する覚悟というものが、根本的に欠けていたのでしょうね。

社内プレゼンテーションでは毎回、社長にボロクソに言われ、私の提案するデザインは完膚なきまでに叩きのめされました。
そうなってしまうと、元々自信が無かった者が自信を持つことは叶いません。

デザインというものを生み出すことが分からなくなっていきました。

と言うより、建築デザインに対して情熱を持ち合わせていなかった者には、こうしたい!と言う、自分の内側から湧いてくるデザインがありません。
湧いてくるものが無い以上、そもそもデザインを生み出すのは不可能だったんですよね。

デザインを生み出す心の状態は、小説やエッセイを書くのと似ていると思います。
小説やエッセイも書くのでは無く、書きたい何かがあるかどうかだと思うからです。

沢山ある選択肢の中から、最終的に一つの表現へ絞らなければならないところも似ていますね。

しかしその頃は、心に湧いてくる願望によって、デザインが生み出されることに気付いていませんでした。
テクニカルに生み出せるものだと信じていたような気がします。

否定されるのは自分が未熟だから。
自分が悪いんだと、毎晩、枕を涙で濡らしていました。

デザインの発案に関して全く役に立たない私でも、人材不足のため、担当する物件が途切れることはありませんでした。

デザインは駄目でも、図面は人並みに起こせたので、何とか置いてもらえていたのでしょう。

事務所の設計方針(デザイン以外での決まり事)は全力で覚えて遵守しました。

例えば、壁の仕上げに壁紙を使用するにも意味が必要でした。
壁紙でしかイメージを演出できないのなら、壁紙を貼っても良いのですが、塗り壁調の壁紙を選ぶのはNGです。

塗り壁をイメージしているなら、塗装仕上げにして塗り壁を演出する。
要するに、別の素材で○○風を造るのは駄目だということです。

もちろん、バックヤードなど、その店舗のコンセプトデザインが求められない場所に使用する場合は大丈夫です。
塗装よりコストや手間のかからない壁紙を使用したほうが良いとされました。

そういった考え方は壁紙だけでなく、使う素材全てに向けなければならない意識でした。

他にも細かい決め事はありましたが、それらを守ることはそんなに大変ではありません。

チェックリストさえ作ればミスも減ります。

ですが、毎晩自分を責める日々は続きました。

自分には、建築デザインの仕事は向いてない。
入社早々で感じていたことですが、自分に持ち合わせの無い能力だと、素直に認められず足掻いていたのです。

周りには平気な振りをしてズルズル続けている内に、デザインができなければ、設計士ではいられないという閉鎖的な考えも育っていました。

私がこの会社にいる意味が無い。
そんな分かりきったことを認識するには、設計士を辞める決意が必要になっていたのです。
選択肢が無いと思い込んでいたんですね。

そんな頃、ある美容院の新規出店先を担当することになりました。

外観や内装のデザインに関しては、いつものように、社長に厳しく指摘を受けながら提案を続けて、何とか方向性は決まりました。

時に、店舗の設計で内外装よりも重要視されるものに、その店舗のサイン(看板)があります。

お店のロゴが引き立つかどうかはサインのデザインにかかっています。
サインは店舗の顔にもなりますからね。

その物件の時は何故か、こんなサインにしたい!という強い想いが、私の中に湧き起こりました。

店舗の外壁の一部へ取り付けるサインです。

プレゼンを聞いた社長の反応はイマイチで、まあ、やってみたら?みたいな感じだったと記憶しています。

設計、工事は順調に進み、オープンが明日という日。

工事の最終手直しを確認するため、私は工事現場にいました。
(工事は順調に進んでも、開店前日まで工事が終わらないことは珍しくありません)

明日がオープンなので、美容院のスタッフさん達が備品を運び入れたり、掃除をしたりと忙しくされていました。

日が暮れるのが早い季節でした。
私は薄暗くなった秋の空の下で、お店の外観を見ながらぼ~っとしていました。

しばらくすると、スタッフさん四人が店の外へ出て来て、サインの照明を灯したのです。

その瞬間は今でも鮮明に覚えています。

明かりの灯ったサインを見たスタッフさん達から歓声が上がりました。

「他と違う!」
「格好いい!」

きゃっきゃと、手を叩いて跳び跳ねているスタッフさんもいました。

サインのデザインを喜んでもらえたのです。

自分の仕事に感動してもらえるのは幸せなことですね。

その光景を見て、私はようやく区切りを付ける決心が付きました。

喜んでもらえたことは嬉しかったんですが、辛かった日々が報われたとか、そういう気持ちからの区切りではありません。

この嬉しさを、当たり前のことにしている未来の自分が想像できなかったんだと思い返します。

デザインができなければ設計士ではいられないと、追い詰められていた私でしたが、事務所を退職後、あまりデザインの力を必要とされない別の会社で、数々の建物を担当させていただくことになります。

そこでも平坦な道のりではありませんでしたが、どの設計の仕事が偉いとか優れているなどの上下はありません。
それぞれに新しい学びがあります。

建築士が自分に向いているかと聞かれると、未だに?ですが、設計の仕事が嫌いになってはいません。

建築の設計士といっても、建築業界は広いです。
設計の種類はたくさんあります。

入った会社の業務が向いてないと感じても、自分を責める必要は無かったんだと今では思えます。
その会社の業務が、設計士の仕事の全てだと思う必要は無いからです。

悩み苦しみ抜いて、自信など全く持てなかった(アトリエ系)設計事務所時代は、長い間、私の黒歴史でした。

ですが、悩んだ分だけ、自分は多くのことを学ばせてもらったんだと思えるようになりました。

今では、あの秋の夕暮れの光景を思い出す度に、自分を労り、褒めるようにしています。


お読みいただき、ありがとうございました。
また、お会いしましょう!

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