【マンガコラム】もりしげ著『花右京メイド隊』結末について考えてみた
―もりしげ先生に聞いてみたいが、もうそれも叶わない
決して心地良いとは言えないこの結末は、誰のためのものなのだろうか
以前、マニアとオタクについて岡田斗司夫さんが説明していたことがある。
マニアもオタクもその作品が好きという点では、共通している。そして、マニアはひとつの作品として批評することに喜びを見出すのだという。一方のオタクは、作品なりキャラクターなりに自己投影することが喜びであって、作品そのものの評価ではなく、自己を投影できる内容であったかどうかを重要視するのだという。
さて、筆者はどちらに分類されるのだろう。
■花右京メイド隊とは
母を病気で亡くした主人公・花右京太郎が、母方の祖父から家督を譲られるところから物語が始まる。
花右京家の屋敷へ行くと、太郎を待ち構えていたのは、清楚系からエチエチ系まで、おびただしい人数のメイドさんだった。
個性豊かなキャラクターのメイドさんたちに、当主であるはずの太郎が振り回されるドタバタストーリー。
■アニメ版
この作品との出会いは深夜アニメだった。『花右京メイド隊』『花右京メイド隊 La Verite』と2度アニメ化されている。
『花右京メイド隊』では、よりギャグやお色気要素にフォーカスされていたように思う。また、原作にはなかった太郎が女性アレルギーという設定も加えられていた。
第2作となった『花右京メイド隊 La Verite』は、第1作の続編ではなく、新たに作り直された作品。シリアスな場面も少し描かれ、第1作よりも原作に忠実。
ただ、いずれにせよ、両作品とも結末までは描いていない。
■世界観
この作品の世界観や空気を構成しているのは次の3要素である。
◇主人公・花右京太郎があくまで普通の男子中学生であること
◇もうひとりの主人公・メイド長マリエルがパーフェクトな女性であること
◇太郎がマリエルに「ほ」の字であることが他のメイドにも周知されていること
この基本的要素に、個性豊かなメイドさんが絡みながら、物語が進んでいく。
ほのぼのしていて微笑ましく、ときにドタバタ、ときにエチエチ。そのバランスが絶妙で、非常に心地よい。
特に男性読者なら、この世界に憧れを持つだろうし、必然と太郎に自己投影してしまう。
■キャラクターの魅力
◇マリエル
他のメイドにも一目置かれる、ビジュアルも仕事もパーフェクトなメイド。メイドのプロ意識として、個人の感情を表すことはほとんどない。だからこそ、たまに見せる嫉妬にキュンキュンしてしまう。
◇剣コノヱ
筆者がもっとも好きなキャラクター。警備部の責任者として、警備のほか綱紀粛正も担う。最初の頃は、三白眼の怖い顔なのだが、段々キレイに可愛く描かれていく。健気な太郎への思いとナイスバディにキュン死しそうになる。コノヱリーナという、本編と関係がないスピンオフも誕生。
3巻末のキャラクタープロフィール④には、
「1番好きなキャラでしょう?」と、よく言われます。
という、もりしげ先生自身の言葉が記載されている。
花右京家と花右京太郎を最も愛しているのは、彼女なのかも知れないと思う。鍛え上げた武芸と剣術によって、花右京家の危機を何度も救う。また、彼女の存在は、厳しい結末を迎える物語の救いにもなっている。
◇シンシア/グレース
シンシアとグレースは、同一人物だが二重人格。シンシアはマリエルと太郎に癒やしを、グレースは花右京家に頭脳をもたらす。また、グレースはときに暴走するメイドたちのツッコミ役も担っている。
3巻末のキャラクタープロフィール⑤には、
グレースは、実は1番好きなキャラなんです。
という、もりしげ先生自身の言葉が記載されている。
この他にも、魅力的なキャラクターがたくさん登場するが割愛する。それぞれ、好きなキャラクターが見つかるのではないかと思う。
どのキャラクターも、内面には様々なものを抱えていて、そんなメイドたちの内面を理解することで、太郎は人間として成長していく。
■結末について
決して、ハッピーエンドとは言えない。作品のファンほど辛いものだったと思う。結局、アニメ第1作で表現されていたような心地のよい世界観が、人気の理由だったのだと思う。その世界観を保持したまま、ハッピーエンドで終えることもできたはずである。
もりしげ先生はなぜあのような結末を選んだのか。
◇読者のため
もりしげ先生は、あの結末でファンが喜ぶと考えていた。
◇作者のため
そもそも、最初にあの結末ありきで、作品が生まれ、もりしげ先生が描きたいことだった。
◇作品のため
あの結末は、それまでの世界観を覆す、まさにどんでん返し。作品に衝撃性を持たせることで、読者に強い印象を残し、高尚な作品として世に残したかった。
この他、いろいろな理由が考えられる。筆者はあの結末を迎えたとき、複雑な気持ちが去来しつつ、ある作品が脳裏に浮かんだ。
それは、ミヒャエル・エンデ著『はてしない物語』である。映画『ネバーエンディングストーリー』の元になった作品である。
原作者エンデと制作サイドが演出の方法を巡って裁判となり合意に至らず、原作者として映画に名前を出さないことで、和解を計った。エンデは特にエンディングの演出方法に憤りを感じていたと言われる。
もう、長くなってしまっているので、ミヒャエル・エンデ著『はてしない物語』の話はまた後日としたい。
容姿端麗なメイドさんに囲まれる『花右京メイド隊』が描く世界は、どこまでも甘美で愛おしく、心地がよい。その体験は強烈なものであるし、形成された世界から抜け出すことは、なかなか困難なものである。
もりしげ先生は、読者に『花右京メイド隊』の世界と決別させるために、敢えて厳しい結末を描いたという側面があったのではないだろうか。
って、コノヱしゃまは、まだずっと頭の中にいちゃってますケドね…
もりしげ先生へ心からのお悔やみと、安穏を念願いたします。
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