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【ニュースコラム】夢のまた夢!?デジタル社会に未来はあるか

―デジタル社会の光と影 アナログとデジタルのバランスとは

昨晩、堺屋太一さんの素晴らしさを懸命に語る夢を見た。堺屋さんがいなければ、秀吉の弟・羽柴秀長は、今ほど有名になっていなかったと、力説しているのである。

なぜ、そんな夢を急に見てしまったのか、まったく不明である。

起床後、読売新聞のコラム・編集手帳を見て驚いた。

豊臣秀吉が藤吉郎を名乗っていたころ、織田信長から居城・清洲城の石垣修理を命じられた。大雨で工事が滞っていたが、秀吉と弟の秀長は「割普請」という手法を用い、数日間で完成させたという◆堺屋太一さんの『豊臣秀長』にある。

正直に言って、キツネにつままれたような奇妙な感覚に襲われ、気持ちのよい目覚めとはならなかった。どこか、荘子の“胡蝶の夢”を思わせる。

堺屋さんの秀吉に関する作品群は、竹中直人さん主演の大河ドラマ『秀吉』の原作となった。羽柴秀長役を高嶋政伸さんが好演。やはり、生まれながらに染みついた弟キャラは争えないと感じさせられた。

キャスティングの良さ、ストーリーの面白さ、「心配御無用」のフレーズなどによって、一世を風靡した。実働された方々、いわばアナログによって、生み出された名作であることは間違いない。

堺屋さんの代名詞と言えば、通産省時代の1970年大阪万博であったが、『秀吉』以降はすっかり歴史の人になった。にこやかに歴史の話をされる姿が今も忘れられない。

さて、編集手帳にある堺屋さんの話は、“さわり”である。縦割りを打破して、デジタル庁新設によって成果を出せるのか、というのが主論である。

また、本日の読売新聞社説には、ゲーム依存の問題が取り上げられた。昨今の状況によって、「ゲームをする時間が増えた人は多い」というのが、問題提起の理由らしい。

確かに、『あつまれ どうぶつの森』が人気を博して、Nintendo Switchは入手困難な状況となっている。

問題提起をされるのは大いに結構だが、ステレオタイプな論説を脱しておらず、無責任な感も否めない。数日前にも、PlayStation5とXboxの新発売が大きく記事にされたところである。

ゲーム依存の問題は、eスポーツとセットで語られなければならないと思う。アジア大会において、日本人がeスポーツ競技で金メダルを獲得すれば、新聞もテレビも大きく報じた。

全国高校eスポーツ選手権は、新聞社が主催までしている。

ゲームには、様々な弊害があることも事実だが、デジタル社会のコミュニティ形成という観点からは、見習うべき点もある。

ゲーム依存の問題は、いかにして、心身の健康と社会性を担保しながら、ゲームとの両立を図るかということに掛かっている。

社会人アマチュアゲーマー向け、eスポーツリーグ「AFTER 6 LEAGUE」設立という動きもある。これなどは、ゲーム依存問題に対するリソースの1つになるのではないか。

例えば将来的には、入社理由の1つとして、「AFTER 6 LEAGUE」に参加しているから、との答えが認められる社会になればとも思う。

「AFTER 6 LEAGUE」の詳細については、筆者が編集ライターを務めるVAMOLAにおいても、記事にしている。

さらに、内閣府はムーンショット目標を掲げている。株式会社オリィ研究所は、分身ロボットOriHimeによって、就労形態の変革や雇用創出など、いわばムーンショット目標をすでに実践している。

日本におけるデジタル化の遅れは深刻である。ずっと問題視されながら、解決されない、不登校や引きこもり。昨今、話題になっているHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という存在。

知的なハンディキャップがないにも関わらず、教育の機会に恵まれないという理由だけで、学習の遅れが発生している。オンライン授業が、実施されれば解決できる話である。

もちろん、リアルなコミュニケーションという課題は残るものの、リベラルアーツの獲得は、共通言語となり、コミュニケーションの基礎となる。

さらに言えば、授業のコンテンツが拡充すれば、良質な授業を選択する余地が生まれ、より一層の学習効果にも期待できる。

アナログによってしか生まれないものは数多ある。アナログ・デジタル両方の技術によって生まれるものも数多ある。デジタルによってしか生まれないものがある。そのバランスが重要なのではなかろうか。

デジタル化への過大な期待も危険であるが、悲観的な情報を提示するだけであることに問題を感じたため、つれづれなるままに綴った。

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