#9 教員の業務量は不公平
組織の改善は待てない。
本当(理想)は、周りの人たちに
「不妊治療、がんばって!自分のことだけ考えて、何も心配いらない!」
って言ってもらえたら、どんなに気持ちが楽になるだろう。
でも、逆の立場になったら…この業務量の多さ。
とてもそんなこと言えない。
その組織の改善を待っていたら、今生は終わってしまう(笑)。
教員の業務量は不公平
教員の業務量って不公平だと思うことが多々ありました。他の業種もそうかもしれませんが、仕事を問題なく進められる教員のところに仕事が集中し、業務遂行が難しい先生や人格的に恃みづらい先生は暇をしている。
久しぶりに時間休をとって帰ろうとしても、
帰りがけに生徒が「先生もう帰っちゃうの~?」と言われてしまう。
最初は、心地よかったその会話も、治療が長期化するにつれて、まるでブラック上司から言われているような感覚になるほど、その一言が重くのしかかるようになった。…でも絡みずらい先生に対しては、生徒はまるでそこにいないかのような態度をとる。生徒はわかりやすい。
手を抜けばいいじゃん?って思うけれど、子どものために(と思う気持ちが強くてこの職業に就いたため?)やりたいから余計苦しい。
そう、忙しさは自分が引き起こしている。
年々、責任が重くなるわりに評価されないことに損をしている感覚になった。矜持を持って働いている先生方もたくさんいたし、私もそうだったはず。なのに、仕事をしない先生がすごくうらやましく思えた。どうしたらあんなにも仕事をしないシステムにできるのか(笑)。
苦しいのは子育て中の先生だけではない。
ある先生はある仕事を引き受けない理由として「私は子育てでとっても忙しいんです」といった。さすがにその発言に周囲の先生たちはざわついたけれど…だからといって子育てしていない先生は暇なはずないし、子育てじゃなくとも介護や親族間のことで時間を割かなければならない先生たちも一定数いる。そんななかで子育てだけを理由に本来やるべき仕事を誰かにさせているとしたなら、正直それはモヤモヤします…(本当は組織の改善が必要なのだろう)。
一番モヤモヤしたのは、ある別の先生は「不妊治療をしています」と校長にいい、3年ほど担任を持たずに治療をしていた。(その先生は担任を持つたび、生徒や保護者とうまくいかず、学級経営が成り立たなくなったため、担任を外されることが多かった)だんだんと教科会や重要な会議にも出席しなくなっても、誰も何の注意もしなかった。
私は2年待てと言われたのに、仕事をしない(できない)先生の方が人生得しているとうらやましく思うようになった。
そんなモヤモヤを抱えつつ、仕事を何年か続けているうちに、仕事にしがみついているうちに、大事なものをみすみす見落としてしまっているのではないかと思うようになった。
あの人(先生)はいいな、治療の時間をもらえて
→仕事しない(できない)からね
→(私も)仕事したくなーい!
あぁ、すごくいやーーーーな考え方している、わたし。
しがみつこうとすればするほど、八方ふさがりになる。
色々組織にのころうとするのに、休職制度はないといわれ、非常勤を勧められる。でも非常勤ではボーナスも保険証ももらえない。
公的な制度がない状態(当時)で不妊治療は夢のまた夢だ。
この組織に残っても、私は息切れするばかり、はぁ。
(つづきます)