人に迷惑を掛けたくないと思ってた時期が僕にもありました
当たり前ですが
人に迷惑は掛けたくないなと思っています。
ですが、同時に、生きている以上人に迷惑を掛けているとも思います。
最近「みそきん」という商品が売り切れて買えないということがニュースになっていたります。
これを聞いて思い出したのが、スーパーでお弁当を買おうとしていた時のこと。
何弁当化は覚えていないので、仮にオムライスだったとしましょう。
オムライスが最後の1個で僕が手に取り売り場を後にしました。
その後方でお弁当を選んでいる子どもの声がしました。
そのときふと「ああ他人の選択肢を奪っていきているんだなぁ」と感じたわけです。
これはお弁当の話ですが、
他にもアパートの部屋もそうでしょうし、仕事も同じです。
「迷惑」と言い方はよくないかもしれませんが、
多少なり「人の選択肢を奪っている」のだと思います。
さて、この感覚を持つことはよくないことかというとそうでもないのではないかと考えています。
冒頭でも言いましたが、
当たり前ですが
人に迷惑は掛けたくないなと思っています。
どちらかと言えばその意識は強い方でしたし、むしろ強すぎて少し窮屈になっていた面もあったのかもしれません。
しかし、生きているだけで人の選択肢を奪っている、
つまり、生きているだけで人に迷惑を掛けているという意識があると、
そこまで潔癖に迷惑を掛けることに怯えるよりも少し気持ちが楽になったような気がします。
これは他人に迷惑を掛けてもいいということではなく、
ある程度お互い様だよね、という感覚を持つということかと思います。
意図的に、または意図的でないにしろ大きな迷惑を人に掛けることは避けなければいけませんし、少しであれば他人に迷惑を掛けていいということでもなく、
人に迷惑を掛けないようにするがそれでも迷惑を掛けているものだから、という意識を持つことで自分の中の許容範囲を広げるという感覚が近いでしょうか。
近年では、自分は他人に迷惑を掛けていないからその配慮ができない人は悪いという感じで相手の状況などを考慮せず、必要以上に他者を責める言動も見られます。
自分の視野の中では、自分は他人に迷惑を掛けていないかもしれませんが、自分の視野の外では迷惑を掛けているかもしれません。
繰り返しになりますが、意図的に、または意図的でないにしろ大きな迷惑を人に掛けることはあってはならないことですが、どこかに「お互い様だよね」という感覚も持っておくといいのかもしれません。
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