見出し画像

同棲したら結婚できないとか言うけれど

朝起きてすぐに、自分以外の存在を感じる。

相手の体温、匂い、充電器に差さったiPhone。

大切な人の生きているカケラが私の目に入るたびに、凝り固まった自分の孤独は、少し溶けていく感覚がする。

−−−

2022年の夏、彼氏と1ヵ月沖縄にいた。

1Kロフト付きの小さな部屋だったけれど、大きな窓から見える空がお気に入りで、南の島に住むという小さい頃からの夢を叶えた私にはとても満足のいく旅だった。

綺麗な海を泳ぎ、おいしいハンバーガーも食べた。
思い出と呼べるものはたくさんあるけれど、私が一番好きだったのは、朝起きたときに感じる彼の存在だったと思う。

目が覚めると、自分よりも一回り大きいアロハシャツが、ロフトから無造作に釣り下げられているのが目に入る。

沖縄に来て、浮かれてすぐ買ったシーサーがプリントされたシャツ。

ふざけた柄なのに、窓から見える空を背にしたアロハシャツは、私の目には爽やかに見える。

その光景を見たとき、なんとなく「ああ、これが幸せなんだな」という正解が自分の中にストンと落ちてきた感じがしたのだよな。

−−−

よく、YouTubeやインスタなんかで、恋愛系の発信をしている人たちが「結婚したいなら同棲はするな」というのを耳にする。

確かに人と一緒に暮らすと、その人の全てをみられるわけだから、そりゃあ嫌な所も見えてくる。

完璧イケメンの彼でも、ゴミ出しをしないかもしれないし、洗濯物を干さずに何日も洗った服を洗濯機に放置しているかもしれない。
目玉焼きにはケチャップをかけるかもしれないし、お風呂掃除はすごく下手かも。

それは自分もしかり。

まさか彼は、愛する自分の彼女が3食お菓子を食べているとは思わないし、めんどくさい時には洗い物を次の日にまわすことを想像はしていないだろう。

彼氏と沖縄に住んでいた私は、彼との素敵な恋愛が惰性に飲まれるのに怯えていて、必死に自分を隠そうと必死だった。

自分の全てを見せてはならぬ。

そう、恋愛youtuberの言葉に踊らされていた。

−−−

そんなこんなで、実は沖縄に住み始めた1日目は、わくわくよりも不安なドキドキの方が勝っていた。

「きっと喧嘩ばっかりになるんだ」
「ガサツすぎる私に呆れてサヨナラしたらどうしよう」
「婚活しなきゃ」

なんて思考が途絶えなかった。

そして、案の定、ほんの些細な事で私たちはよくケンカをした。
起きる時間、ごはんのタイミング、洗濯の仕方。

一番ひどかったのは爪切りの置き場所。

だけど、彼と言い合って、例にも負けずおんおんと泣いて、仲直りして。

自分以外の、誰かが私のそばにいて、同じ歯磨き粉を使っている。
洗濯ものから同じ匂いがして、毎日同じ布団で「おやすみ、また明日」という。

初めて、自分のお金で憧れのブランドバックを買ったときの喜びなんか忘れるくらい、私はこの日々に幸福を感じた。

−−−

「誰かと一緒に暮らすって、恋愛の究極だと思う」

「究極?」

「そう、究極。私たちが恋愛をするゴールの行動というか」

「恋愛のゴールは、結婚じゃないの?もちろん、そこから始めるかもしれないけど、人区切りというか…」

「私は、結婚したいと思わないから、ゴールは誰かと一緒に過ごすことなの」

仲のいい友人に、沖縄の『幸福の日々』について語っていたら、ポロっとこんなことを言われた。

彼女曰く、恋愛のゴールは誰かと一緒に生活を共にする事らしい。

私は、なんとなく小さい頃から、自分は将来結婚するんだろうなと思って生きてきた派なので、この言葉を聞いた時に少し驚いた。

いや、落ち着いて考えたら、すぐ内容は理解できる。

結婚願望がいない友人もチラホラ友人に出てきたから、私は結婚が全てではないことを知っているはずだ。

それなのに、衝撃を受けたのは、きっと私が「なんとなく結婚しなきゃ病」に掛かっている証拠だと思う。
病に罹患した私は、結婚する前に誰かと過ごすことは「悪」だと思い込んでいたんじゃないのかしら。

−−−

大人になると、人とお付き合いをするときに結婚という言葉は嫌でもくっついてくる。

結婚は大事な選択で、付き合う前に結婚の価値観なんてものを擦り合わせるのも勿論大事な行為だ。

けれど、私も含めだが、いささか私の年代位の女性は「結婚できるか」という問題に振り回されすぎな気がする。

だって、全て結婚を軸に考えて人を選んだら、恋愛ってなんて味気ないんだろうという気がしてこないかい?

つまり、私が言いたいのは「結婚できないとか考える前に、人と生活する行為自体を楽しもうよ」なんてことなのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?