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叱られた続けた、未来の先に。

「きみがぼくの弟子かどうかは30年たたないとわからないが、その30年間を、君はまっしぐらに歩き通せるか。ぼくにどんなに叱られても、どんなに冷たくされても、30年間、きみは弟子であり続けるか」

宮本輝さん著『三十光年の星たち』より

電車の中でこの一行を読んだとき、自分の心がドキリと音を立てた。
胸がぎゅっとなって、まさしく、これは自分のための言葉だと確信した。


あらゆる情報にあふれ、ビュンビュンとたくさんのトレンドが過ぎ去っていく日々。
仕事に関しても「終身雇用は崩壊です!」「転職して自分でスキルアップをめざそう」といった広告が街中にあふれ、一昔前のような"我慢をして継続する" という行為を美徳にする人は少なくなったように思う。

さらに、リモートワークやSNSの誕生で、働き方もかなり自由になった。
ワークライフバランスという言葉も浸透し、仕事に全力で打ち込む!というよりは、仕事はそこそこでプライベートを充実させる、という友人も多い。

さらに、パワハラだなんだとコンプライアンスがガチガチに固まってしまった世の中。
私も看護師として新人に注意をするとき、自分の言葉が不用意に相手を追い詰めないか気にしすぎてしまう。
結果、重要性が伝わらず、真剣な話の時に「おいっすー!」というような軽い返事をされてしまうことも多い。
ほんと、何だか生きにくく、それでいてどこか冷めた世の中になってきたなぁ……と思う。

そんな昨今の風潮に反し、宮本輝さん著『三十光年の星たち』という小説は、長い目を持つこと、人に叱られることの重要性を思い出させてくれる、熱く、良い意味で青臭い作品だ。

【簡単なあらすじ】
3流大学を卒業するも仕事が長続きせず、職を転々とする30才の主人公、仁志が個人で金利屋を営む老人、佐伯平蔵の仕事を手伝う中で、仕事の本質に触れ変化していく話。
佐伯は、才能と志はあるがお金がない、というシングルマザーや不遇な女達に対し、無利子で金を貸す金融屋を営んでいる。
佐伯を慕い集まる経営者、店のオーナー、職人など様々な人に厳しくも優しく人生を導かれ、仁志は徐々に、人生を愚直ながらも懸命に歩き出す作品。



本書は、文化の街である京都を中心に話が進むということもあり、出てくる登場人物には職人の話が多い。

染物職人、洋食店のシェフ、陶磁器で働く青年……
私の想像の範囲ではあるが、どれも何となく「一筋縄ではなれない」職業だ。

作中での彼らは、修行に身を投じ、日々仕事に邁進している。
時には、自分の考え方や行動規範さえも、師匠と呼ばれる対象に照準を合わせたりする。今では、こんな生き方はあり得ないという人も少なくないだろう。
某有名人がYouTubeで「寿司屋の板前の修業には意味がない」と発言していたが、同じような考えを持つ人が、今の世の中結構多い気がする。

昔の自分……20才ぐらいの年齢であったなら、作中での彼らはなんだが自分とはかけ離れた違う世界の話だし、それこそ匠と呼ばれるような特殊な環境のせいで、嫌なことや辛いことに長年耐えながらも1人前を目指すんだろうなぁ、なんて呑気に自分には関係のない話だと思ったに違いない。
だって看護師に師匠とかいないし。

しかし、職人だろうが会社員だろうが、看護師だろうが、仕事において変わらない共通事項がある。
それは、"人に教えを乞う"という行動が必要だということ。

誰しもが、みな最初は誰かから学びながら仕事を始める。
わからないことだらけで、バイトと違ってすぐに簡単に仕事ができるようになったりはしない。だからこそ、先輩や先人の言葉というのは、とても貴重で役に立つものなのだと、本書を読んで改めて実感した。



かくいう看護師の私も、実は転職経験者であり、職場でいうと6年目にして3つ目だ。
1番初めの配属先であったPICU(小児集中治療室)は辛くて辛くて、入職してから約半年で異動することになった。

理由は、先輩が嫌だったから。

PICUと聞くと、テレビドラマであったように、キツいけどやりがいのあふれる職場……なんてことは全くなく、待っていたのは殺伐とした職場で厳しく叱咤される日々だった。
スムーズに動けなければ、医師や先輩から怒声が飛んでくることも頻繁にあり、舌打ちをされ「こいつ使えねー」という顔を向けられる。けれど、覚えることは山積みで、毎日家に帰ってからも勉強勉強。泥のように眠り、次の日は緊張で吐き気を抑えながら出勤していた。

そのうち、私は「挨拶を返さないのはおかしい」とか「大人になってから人に怒鳴るとかあり得ない」とか「人間的に崩壊している」とPICUで働く彼らの人間性を否定し、こんなところで辛抱するくらいならと早々に見切りをつけ異動願いを出した。



しかし、結局のところ、逃げたのだ。
仕事を辞める理由を、私は人間関係のせいにした。
PICUでの看護師の仕事は、私にはできないと認めたくなかった。

6年目になった今、看護の基礎知識がある程度の経験と結びつくようになり、ようやく「少し自分も仕事ができるようになった」と感じられるようになった。

だからこそわかるが、当時私が先輩から叱られていた内容は、すべて正論だったと思う。

「わからないことを何となくやるな」「流れ作業じゃなくて看護の意味を考えろ」「ケア一つ一つを丁寧にやれ」口酸っぱく当たり前のことを言われるたびに、「うるさい、技術職なんだからとりあえず採血や処置が形だけできるようにならないと意味がない、できなきゃ怒るくせに」と心の中で悪態をついていた。

しかし、言われていた簡単な言葉たちが、後のアセスメント力や看護師としての判断力、思考力につながっていた。

もちろん、言い方は他にもあったと思うし、当時は体調面まで影響が出ていたから、辞めたという選択肢を後悔したことはない。
ただ、後になってから、私が人間性を否定した彼らは、しっかりと私に看護師として必要な知識を教えてくれていたのだと気が付いた。

彼らはただ、ギリギリの職場で、全力で仕事していただけなのだ。

「自分を磨く方法を教えるよ」
と佐伯は言った。仁志は、車の速度を落とし、佐伯の次の言葉に神経を集中した。
働いて働いて働きぬくんだ。これ以上は働けないってところまでだ。もうひとつある。自分にものを教えてくれる人に、叱られつづけるんだ。叱られて、叱られて、叱られて、これ以上叱られたら、自分はどうかなってしまうってくらい叱られ続けるんだ。このどっちかだ。」

宮本輝さん著『三十光年の星たち』より

時代錯誤かもしれない文章が、30を目前になった私の心に、弓のごとく大きく刺さる。

大人になってくると、誰からも注意されたり叱られなくなる。
欠点のない人はいない。けれど、運悪く、誰も注意してくれない人は、自分の慢心に気づかず、きっとひそひそと後輩から「あの人さぁ~」と呼ばれる先輩になっていくんだろう。

眠れなくなったり、できなければ終わりだ!と自分を責めすぎるのもよくないけれど、叱られても「私は運が良い」そう思えるくらいのメンタルを大事にしたい。
私はまだ30歳になっていない。若い、若いんだ。

まだまだ叱られ続けて、学んで。
50歳になったとき、優しく若い子を叱れる大人になりたい。


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