同じ景色でも、成長次第で見える世界は美しくなる
この前、久しぶりに地元のバスを利用したときのお話。
おそらく記憶が残る限りでは、最後に利用したのは10年以上前だと思う。
久しぶりに乗った地元のバスは、中にsuicaの読み取り機があること以外はほとんど変わらなくて、昔きっぷを握りしめて必死に乗車金額を確認していた小さな自分を思い出した。
−−−
バスが動き出し、駅から離れると、目に映るのはどこまでも続く田んぼ道。
一定の心地よいスピードで、バスは田んぼの道を、まっすぐまっすぐ進んでいく。
平日に乗車しているのは、私と、病院の帰りのようなおばあちゃんだけ。
なんだか、この小さな街を訪れるのは、たった二人だけのような気がして
昔は窮屈で嫌いだったこの町が、少しかわいそうだと思った。
−−−
ちなみにバスは、実家がある場所からは1.5キロ程先のところにある、母校の小学校前に停まる。
1.5キロも離れていれば、そりゃあ歩くのは割と大変で、小学生になりたての頃は1時間近くかかって登下校をしていた。
タイミングが合うと、両親に駅まで迎えに来てもらったりするのだが、その日はあいにく2人とも仕事だったため、小学校から家までの距離を歩かざるおえなくなってしまった。
停留所からは1本道。
iPhoneで支払いを済ませ、バスから降りると、もう夏の日差しとほぼ変わらない程の暑さを体中に感じた。
−−−
じりじりと、太陽の光は私の肌を焦がしていき、歩くにつれて服が肌にはりつく。
6月だとは信じられないし、夏になったらどうなっちゃうのかなんてことを考えながら、道を囲むように広がる稲穂畑に目を向けた。
地平線のように続く稲の力強い緑が目に入って、
土と草の匂いが私の鼻を刺激する。
(あれ…こんな緑濃かったな)
横には、昔は毎日見ていたはずの景色
だけど、なんでだろう…初めて見たかのように、
それはそれはきれいに、私の目の中に映り込んだのだ。
(空、雲がないと、すごく広いなぁ…)
昔は何度も通った道。
だけど、昔の自分は道の自然を感じるよりも、
友達と話す世界の方に夢中で、
自分を取り巻く世界の機微なんか
興味のかけらもなかった。
でも、15年たった今、
私は世界のほんのちいさな、一瞬の変化を楽しんでいる。
ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。「あ、夕立が来る」と、思った。庭木を叩く雨粒が、今までとはちがう音に聞こえた。その直後、あたりにムウッと土の匂いがたちこめた。
(中略)
季節が、「匂い」や「音」という五感にうったえ始めた。自分は、生まれた水辺の匂いを嗅ぎ分ける一匹のカエルのような季節の生き物なのだということを思い出した。
引用:日日是好日 森下典子
森下典子さんの著書、日日是好日からの引用です。
きっと昔の自分なら、空の大きさなんか気づかなかった。
草のにおいも土のにおいも、
なんだかくさーいなんて思ってたかもしれない。
けど、今の私は、確実にこの景色をきれいだと気づいている。
それは、まぎれもなく、私が生きて、成長した証。
世界の小さな変化を見つけ私に
神様が「特別だよ」とギフトを渡してくれたみたい。
そんな自分が、何だが誇らしくなった、ある日おはなしでした。
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