長谷川潾二郎の詩「画を描く子供」
先日の展覧会で「母が潾二郎先生に絵を習っていた(かもしれない)」という話を伺い、ご遺族に確認をとったところ「たしかに潾二郎さんは数人だけれど、絵を教えていた」と確認が取れたことがありました。
今回「画を描く子供」という未発表の詩が見つかったとご遺族よりご連絡をいただきましたので、許可を得てご紹介します。
「画を描く子供」
画を描く子供が
画を描く子供を描いてみる
幾つに割っても同じ形の水晶
散りながら薔薇の花は
失くなるまで外観を保っています
外部の内部は
又一つの外部
私達の見得るものは
無限に続く外観です
内部に潜むものは何だろう
隠れん坊に草臥れた子供達
君が捜すのをやめた真似をすれば
彼も又何処からか出てくるだろうか
今日は絵画の時間です
子供が一人画用紙にクレヨンもって
静かに何物にも触れないで
凡ての物から離れてじっとしておいで
そうすると内部に潜むある物が
物の形から光のようにそっと姿を現します
未だ見たことのない物で
溢れている世界の廣さを
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不思議で浮遊感のある詩です。
詩なんだけれど、潾二郎の絵画に対する哲学が
しっかり表れていておもしろい。
潾二郎は、「女、子供、小鳥、それが私の味方である」と日記に
記すほど、(1971-1974)子供は特別な存在でした。
自分を理解してくれるのは子供である、という内容も書かれています。
潾二郎と子供。
もう少し深堀りしていきたいと思います。
※これからも潾二郎の絵や詩、文章についてアップしていきますので
どうぞよろしくお願いいたします!
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