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転職は人生の木①

どうも、にくぼうやです

4日目にして本当にやる気が失せましたので、自身についての紹介をさせてもらいたいと思います。

地元の公立普通高校を卒業後、フリーターになるもゴールデンウィークに会った同級生が新入生歓迎コンパが楽しいという言葉に釣られて大学生になることを決意

翌年、地元の私立文系大学に入学するも思ったよりコンパも楽しくなくバイト漬けの毎日を過ごす。単位はバッチリ取っていたので、バイトしてはバックパッカーとして旅に出る。地元の行事ごとでもあった子供キャンプなどにも参加したりして老若男女問わず人と接することの楽しさを学んだのもこの頃である

1番始めの就職は地元の信用金庫
一般個人、法人への営業は3年程度で、債権管理の業務を8年半
自分で言うのもどうかと思うが、大学時代に大いに遊んだおかげでどんな会話にもついていけ、お客さんとの会話も弾み営業成績は常に上位にいた
さらに、債権管理の業務をこなしていたことで実務を通して財務について学ぶことが出来た。営業・管理の面でも同期や先輩、上司に負けない知識と実績を持っていたにもかかわらず、出る杭は打たれるのか当時の支店長のパワハラがひどく退職を決意。

ちなみにこのパワハラが本当にひどく、後輩からは「自〇するか、〇しちゃうんじゃないか」とまで言われておりました
当時は本当にいろいろ考えましたが、今となってみれば調子に乗っていた自分がいたんだと思います。上司に媚を売るのもサラリーマンの能力の1つだと今更ながら思います。

2つ目の就職先は不動産業と保険業を営む地元の中小企業
信用金庫時代から3年ほど社長に誘われていた企業になります
決算内容はボチボチだが、地元一等地に複数テナントを所有しており、うまく処分することが出来れば莫大な利益を上げることが出来た企業。
しかし社長がワンマンで傲慢、酒癖が悪いため評判があまりよろしくなかった…
先代から引き継いだ事業を大きくしたいと本格的に保険業に着手、社長の一人息子とともに保険業をやることになった。

そのタイミングで自分は大手損保保険会社に研修生という名目で2年間の出向に出た。前職で培った営業経験と知人の多さから研修生制度の足切り金額を余裕でクリアするなど成績は悪くなかった。
息子が思うように数字があげられない中で、自分が数字を挙げているのが気に食わなかったのか、このあたりからワンマン社長は人が変わったように「自社の数字を上げろ」「もっとやれ」などと言うようになった。
前職を辞めた理由であるパワハラが始まったのである。

しかしながら、この会社で退職を決意したのはパワハラが原因ではなく、ただ単に「自分は人の下で仕事をすることに向いていない」社会不適合者だと自覚できたからである。
では、退職した後はどうするか?と考えた際に、いろいろな人と話が出来る営業は好きであり保険に携わってしまった以上は自分のお客さんは自分で守りたいという気持ちが芽生え、保険業で独立することを決意。

独立すると決めてからは自身の開業の手助けをしてもらえるようにと保険会社の方たちとは仲良くなるように努めた。当時の支社や支店のメンバーはもちろん、業務グループの皆さん、役員でもある支店長に可愛がってもらっていたことで独立の目途も立ったのである。
出向させてもらっている研修生ごときが大手損保会社の役員と対等に話をしたり飲みに行ったりなど何故普通にできたのか今でも不思議に思う。

2年間の研修期間が終了し、独立の目途も立ったことから代理店に戻って3ケ月で退職するも、ここで事件が発生
独立するにあたり、一人でなく複数人でやることが条件となってしまったのである…
いやいやいや、待ってよ、俺無職だよ?すぐ開業できないって何?
成功するか分からないのに相方見つけろだなんて厳しすぎるってーーー


長くなってしまったので後半はまた明日~

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