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急がば回れ

心を病んで一番つらかったのが「眠れない」ことであった。
横になれば人は休むのが自然で、焦燥にかられて冷や汗をかくなどあり得ないのだ。
なのにそんな日が幾日続こうと、まだ当人はそれが「病」だと気がつかず、市販の睡眠改善薬だったり、ぬるい湯に浸かったり、温めた牛乳をのんでみたり、できるかぎりの抗いを数ヶ月ほどやったのだから、その根気は見上げたものだ、と否定はしない。

パリに住んでいるときに、同じ年の近しい知人が「うつ病」で苦しんでい、当人よりも、彼の家族や友人がひどく心を痛めているのを間近で経験したことがある。

当人の辛さは当然だろうけれど、その周りの人間たちの苦しみ悲しみは、突如唐突にやってくる。食事をしている席でいきなり涙ながらに気持ち吐露する彼らの衝動は、端の人間さえも心をひきずられるようで、それを聞くたびどうしようもない無力感で私さえ打ちのめされるようであった。

自分の様子がへんだ。と気がついたのは、一日中「死んでしまいたい」と考えるようになったからだった。なにを見ても聞いても視線はまっすぐ「死」というものを見つめている。9階自宅のベランダに出れば「ここから飛び降りれば間違いは無い」などと安心するのである。
どう考えても健全な思考回路ではない。

おかげさまで今は医師から受けた診断と処方箋で眠れる夜を過ごしている。
なぜあんなに頑なに自分の状態を病気だと判断しなかったのか、わかるようでわからない不思議さがある。
最初に心の病にかかったとき、3ヶ月も経たないで「治った」と勝手に判断をして生活に戻ったけれど、今回2度目の罹患では「これは長くかかるだろう」と自分の中に予感がある。
さまざまな要因が挙げられるけれど、一番のそれは「加齢」だろうと思うのだ。若い頃のままじゃないのは身体だけではない。精神も加齢を原因として弱くなる部分もあるのだ。
ここに気がつくまでにだいぶ遠回りをした。

まだまだ不安定ではあるけれど、いまは正しい処方箋のおかげでどうにかだ。仕事のペースも半分に落とし、パリでは元気だったけれど、東京にきて気持ちを遣られた。などと考えないように心がけている。
パリに残らず、東京へ帰る決心をしたのは自分だもの。今はそんなふうに自分を宥めている。

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