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雲の上はいつも晴れ

心を病んで一番つらかったのは「不眠」であった。と、自分で言ってからすこし違和感があって、ずっとそのことを考えた。
もちろん不眠もつらい症状であったけれど、それじゃない、なにかほかのものから押しつぶされるような圧迫があったはずだ。
そう考え続けて思い当たったこと、それは、「心の不調を誰にも相談できないでいたこと」だった。
頭が痛い、お腹が痛い、風邪っぽい、というのは気易く人に言えるのに、もやもやした気持ちだったり、突然涙が流れてどうしようもなくなる、などということは、なにかはばかりがあって口に出すことができなかった。
公私どちらの場合でも、人は私を「病人である」など思いも寄らなかったと思うし、私の方でもそんな疑惑を思いつかせないように、細心の注意を払っていたのも事実である。その虚勢がどれだけ辛かったか。内情が窮しているのにそれを悟られない努力というのは一番空しくやるせない努力じゃないかと、自分の経験からそう思う。
世間様の前で明るく振る舞えば、家庭へ戻ったときにひどく落ち込むのか。といえば、そうではなく、愚かなことに私は家族の前でさえ「問題無く元気溌剌」なママで居たのだから、我ながら涙ぐましいいじらしさなのだ。

七転び八起き、という日記にも書いたけれど、自分の不調を整えたくて私は思いつく限りの妙案を試している最近だ。
そしてここに日記を残すこともそのひとつであるのだけれど、これはひとつの結果がでたのじゃないかと気持ちが明るい。
それが冒頭の「不眠」ではなかったことに気がついた、という前進だ。

現在かかっている医師はもちろん私の体調をよくご存じであるけれど、それ以外の人達は、私が心の病を患っているのだとは知る由も無い。しかも2度も。

パリに住んでいた頃、近しい人が心の病で苦しんでいたことがあったが、彼も彼の周りも、彼の状況をよく理解して、各々彼への支えとなっていた。
己の病を他言できないでいた私にしてみれば、それはすごいことだ、と感心してやまない。

しかしここで自分のことを包み隠さず記すことで、他言できたことの嬉しさがある。なにかひとつの困難を突破した嬉しさがある。
雲の上はいつも晴れ。
まさにそのとおり、目にみえるものだけがすべてではないのだ。



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