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愛する能登の地震体験から出来た第1のトラウマ価値観

今回の地震に関連して、
私のトラウマの1つであり、価値観が形成されたきっかけについて書きたいと思います。


能登半島では昨年の5月、今回の地震、
そして17年ほど前にも地震がありました。



17年前、小学校3年生になる前の春休み。

熱を出して寝込んでた時に地震が起きました。

母は仕事をしており、
父と弟は買い物から帰ってきたばかりでした。

不幸中の幸いか、
1人ではなかったのと
今回と違って電気・水はすぐに出ました。


しかし、
小学校の体育館は
工事中でしばらく使えなくなったし、

道は隆起して、商店街にある家は一部倒壊。

実家の金魚がいた水槽は落ちて割れ、
2匹いた金魚が1匹になりました。




本震もトラウマですし、
地震速報、余震もトラウマです。

今思えば感受性が高いゆえに、
人の恐怖・不安・苛立ちといったネガティヴを他人よりも拾ったんだと思います。

自分も怖いけど、
みんなで怖い怖いって言ったら
不安が増幅しちゃうので、我慢しました。
感情が無くなる初めのきっかけだと思います。



当時、地域の合唱クラブのようなものに
所属しており、
復興のためにステージに立って合唱する機会がありました。

復興のために曲を作っていただき、
復興していく様子の写真を
スライドショーで流して説明し、
歌を歌いました。

私が「人の役に立ちたい」と思ったきっかけは
この経験からです。


その後は
建物・道・人、
物理的にも感情的にも復興していきました。

我慢した私の感情は当時取り残されましたが、
みんなが元気になっていく中で
今更思い起こさせることも言えず、

自分の中で残り、
地震の際はより大きくなりました。

この体験に変化が起こったきっかけは
中学生の頃です。

小学生の5年生の頃に別の理由もあり、
躁鬱病になるのですが、
それはまた別で書きます。


中学2年生で不登校・保健室登校に
なるのですが、

1年生の時に担任をしてくれた女の先生に
信頼して話してみました。

その先生は1年生の時から気にかけてくれ、
私の話を無下にせず聞いてくれたので信頼出来ました。


その時に、
「少し怖いんです」
「トラウマなのかもしれません」
と話しただけで、話せただけで、
少し心が軽くなったのを覚えています。



その先生には
「ちゃんと大人に話して、
病院とか専門の人にいった方が良い」
と言ってもらえましたが、
躁鬱の経験から専門機関への信用がなく、
行きませんでした。

当時話せたのは、
信頼出来た学校の先生だけです。
親にも病院にも友達にも言えませんでした。
ただ、振り返ると大きな縁で大きな一歩です。

それから、
躁鬱のこと・震災のトラウマのことを、
信頼出来る人に話せるようになっていきました。

徐々にトラウマが薄れていきました。

大学時代に地震が起きた時、
話した親友が心配してくれた時は、
本当に言い表せないくらい温かい気持ちになりました。



「ひとりじゃないんだ、みんな怖いんだ、
そんな中でも私を心配してくれる人がいるんだ」

恐怖と孤独感の真っ黒なところに
一筋の光が差し込む感覚です。


今回の地震も震源地にはいませんでしたが、
石川県内のため非常に揺れました。

当時、ビルの3階で仕事しており、
地震速報が鳴って揺れてから、
また地震速報が鳴って揺れて、
また鳴って揺れて


震源地は両親・親戚・友達
大好きなみんながいる場所と思うほど
地震の恐怖とみんなの無事を祈る気持ちで
いっぱいでした。


本当にこの世の終わりかと思うくらい
音が鳴り、
揺れ、
津波の警報、
緊急車両のサイレンが鳴っていました。

震源地だともっと怖かったと思います。

メンタルつよつよさんでも、
トラウマになっておかしくないと思います。

今、地元には帰れていないです。

地震のトラウマきっかけとして
母が一因なのですが、
今日インフルで寝込んでた連絡がありました。

もう元気らしいですが、
1/1から続く断水で
免疫もメンタルも落ちてるんだと思います。



今、同じところにいたら、
また影響されてトラウマ化していたとは
思いますが、

私も歳をとり、経験して、
母を理解できるようになったおかげで
純粋に助けになりたいと思えるようになりました。



一緒にいる父の負担も心配です。

責任感が強く、
弱音を吐かないところがあるから。

母の看病もして物資も集めてくれたらしいです。

2人で自衛隊の温泉に行ってたので、
一方的では無く支え合えてるのかなとは思います。


この経験から、

今回の地震で余計「人の役に立ちたい」
と思うわけですが、

まずは自分のこと。
家族のこと。
そして親戚。
他の人です。


そして、ここまで読んでくれた方のトラウマ呼びにならないことを祈ります。


皆様もまずは自分。
そして近くの周りの方から
出来ることをしてほしいです。

結果としてその方が自分にも、
他人にも幸せなことに繋がると思います。


もし、地震でトラウマになって苦しい人。

まずは世間話から、
人と話すことから。

感情を受け止める余裕のある人、
信頼出来る人に話すために。
まずは話す練習だと思います。



内側に溜め込まず、
誰もいないところでの独り言からでも、
たまたま隣にいる人への世間話からでも。

外に出すことが大事だと経験者①としては思います。


1人でも多くの無事と健康と
1日も早い復興を
日常の安全安心を祈っています。


最後に

気持ちだけでも問題ないです。

私も何も出来てないです。
チカラもお金も助けられるほど無いです。
両親にすら情報共有と声掛けが精一杯です。


現地で助けてくれているすべての人、

北陸を能登を思ってくれているすべての人、

本当にありがとうございます。


日本人の支え合い、優しさを感じます。

「能登はやさしや土までも」

私も何か出来ることを。

模索して、精一杯生きていきます。

本当にありがとうございます

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