私家版 作家の値打ち 

本郷あき 1983年生

 遅咲きの作家である。それゆえ、なりふり構わず隘路を突き進む姿に哀れみを覚える。句読点を多用する、リズムにあふれる文体は、ややもすれば、奇を衒いがちにとらえられる。しかし、いざこちらの懐に飛び込んでくると、プリミティブな躍動に代え難い恍惚を与えられることに異論はない。しかし、初期の短編集に横溢する、貧困人情譚には食傷気味。小説をトラウマ治療の為の道具として、そつなく利用するしたたかさが鼻につく。  
 私小説的位置より飛躍し、書くことの動機となる原点に立ち返った「1キュビトの閻魔さま」「魔ものとかになれなかった/わたし/魔もの」失われゆく体の自由との決別を綴った「納車日和」「デルプブ・ブプブデナリ」
宗教による肉親の支配下から逃れたものの、自己模倣のあげく、自ら剽窃し、盗用し続ける自慰的混沌の日々を綴った「  」※編集者注釈作品名:ここは、だれもいないの 
は、小説の体を成していない。   

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思えば、昔からこういうことやってたな。中学の時とか。その頃はデザイナー兼アーティストみたいな想像で書いていた。世界的に有名で。みたいな妄想を綴ったノートは全て捨てた。

 こんな感じでやってみたら、おもしろいし、自分の作品が芥川賞に選考された体で!
選評も現選考作家に寄せて書いてみるのとか、やろうかなと思って、文体とか考えてみていた。

わたしは日頃から、インタビューの練習をしていたし、やっぱり自分でも変わった人間だと思う。けれどやめたくない。おかしくても続けたい。なにかを表現したいのはずっとあるのかも。だから、架空のインタビューアーに、真摯に答える練習も、壇上に上がったときの所作も、練習しなければならない。


批評の文が拙いのは、笑ってください。

表現に整合性がないのも、架空の作品に対してのたいしての、架空の批評ですので。本当に楽しいから、小説書いてる人やってみたら良いよ!
いつか自分の作品が、文芸雑誌に載ることを日々痛烈に夢見て。

 そして、話は変わり。
自分のおやゆびの写真を、あらゆるシチュエーションで撮影するっていうのも、おもしろいな~ 浮かぶ浮かぶ。どこに隠していたのってくらい。40歳。解放期なのだろうか。今まで埋めていたものを、わたしが自ら掘り起こすのだ、素手で、つるはしで、ハンマーで、鋤で。

 昨日は、こんなに起きていたのは、久しぶりってくらい起きていた、今、二時。深夜の。トイレに起きたぶりだ。金曜日の夜、もう、土曜日か。


家族と久々に楽しく過ごせた気がする。back numberの高嶺の花子さんという曲のミュージックビデオの話で盛り上がる。

心象風景の暗喩のカ所を、予想し意見しあう。良いなあ音楽は。その前にバリバラから、フジロックのドキュメンタリーから、ロッキンジャパン、フェスのテレビを見て、それからなんか邦楽やらの話になった。


今日は昼間、 やりたいことを、仕事中に考えていた(ほんのすこしだけ)

 川上弘美の「ゆっくりさよならをとなえる」というエッセイを自宅のトイレ本にしていてい、入るたびに、また読み返している。川上さんも、学校の教師時代に「なにか別のことを考えてますよね」と生徒に指摘されたエピソードが載っていたな。

 もう、考えることが楽しくなってきて、正直仕事どころじゃないんだけど、仕事して、給料をいただいて?稼いで?いるから、ちょっと、ちゃんとやりなさいって思うけど、そんなにマジに働かなくていいんじゃないって思うときもしばしば。わたしは、現場にいないから軽口もたたけるけど、実際命の現場に携わる人にとって、わたしのようなものがいるだけで虫酸が走るかもしれないというか、すごく真面目に仕事しているけど、今日は一瞬だけ、次から次へとアイデアがわき水みたい。

 書けることはエックスに書いて、あれは、詩みたいな使い方でいこうって事にしている。噴出した言葉を、受け止めるグローブっていうことで。スポーツもしないのに、野球の事も詳しく知らないのに(スポ、コンプレックス)グローブだとか言ってたら、自分らしくないかも。ラグビーは興味あるけどルールの理解ができない。なんでも、決まりがわからないから。どうしてだろ。何点とか何人とか覚えられない。

 それでは、おやすみなさい。

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