見出し画像

もっと 上手に 読みたいのに

ときどき、不安になることがある、不安は、いつも、いつもだなんてと言ったら、病人あつかいするやつがいるから、不安になるなんて軽く、口を滑らすことできないけど、実際、心配です不安です大丈夫でしょうか?、あれがこうならこうで不安と仕事で、言っていたら、あんた不安神経症でないのといわれたのだ、8年くらい前かもしれない。
精神科の病院で働いていてみんな、それ相応の知識を持ち合わせているから、信憑性があるきがした、きっと不安神経症なのかも、わたしは、ごくミスを減らそうと、注意深く心配していただけなのに、病人扱いするやつもやつ、坊主に毛のはえたような男、それはもう過去だけど、わたしは、地主の不在をみるのが、ごく最近の事だけど、はなはだ、こわいのである。


地主は、もちろん、うちの大家も、地主であるが、いつも年老いた母親が、親族の誰かと平屋の広い邸宅に住んで、不在ではないのでこわくない。


こわいのは、ぽつねんと建っている立派な地主の邸宅に明かりが灯っておらず、冷え冷えとした居間や、時代錯誤なインテリアや、薬袋など、おかきの空き缶に、定位置で納められているだろうから、それなのに人々はどこかに消えたような、廃墟で言うと2類に分類されるから、魅了されるし、そらおそろしい。

むかしは、一流の廃墟が好きだったし、見に行ったり写真を眺めたりしたものだ、炭鉱跡地にも随分訪れた。

しかし、行動の範囲が狭まり、まるで頭のなかでしか旅をすることができなかった今、だからこそ、わたしは、近所にすら異界を求めている。

名前に風化と言うのはふさわしくないけど、表札、年季のはいった古めかしい表札の扉の奥を覗いてみたい。
どんな人生が繰り広げられ、そして、いずれ、終わりが近いとわかる人間の性を、ただ飲み込みこむようにみたいのである。

生きること恐ろしく、不安でもある。

その不安と並走する。そうでしか生きられなくて、それでもいいので、生きるし読もうと思う。

どんなときでも、小説よ、待ってておくれというかんじで、土曜の朝、黒い朝。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?