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42歳一独身公務員の旅行記(インド編)①「出発」

2016年12月。当時35歳。
公務員になって6年目。一通り仕事に慣れてきた頃。
色んなことに飽きてきていた。友人達はどんどん結婚していった。若い教師たちはガンガンカップルになっていった。しかし僕は独身だった。エネルギーだけは有り余っていた。いつもと全然違うことをしたい!ドキドキすることがしたい!と渇望していた。
 当時読んでいた沢木耕太郎さんの「深夜特急」の影響だろうか。冬休みにインドに行くことを決めた。インドに1人でいくって、なんかかっこいいじゃないか。僕は硬派なんだ、なめんなよ、みたいな謎の反骨心があった。ヤワなカップルがインドにいけるのかい?
 堺筋本町にあるインドのビザ代行サービス会社に通いビザをとった。ヨドバシ梅田のHISでインドまでの航空券とホテルを予約した。
 そうして学校が冬休みになると僕はインドへ旅だった!

伊丹空港のゆるキャラ

伊丹空港ー北京首都国際空港ー上海浦東国際空港ーインディラ・ガンディ空港というルートだ。北京でトランジットがあり、14時間もの待ち時間があるという。1人で海外にいくのは香港に次いで2回目で、トランジットとか経験したことないからまったくわからない。中国もいったことない。
ほんとに自分はインドに辿り着けるのか?死なないか?マフィアに捕まらないか?と不安だらけの中、伊丹空港から北京首都国際空港行きの飛行機に飛び乗った。伊丹に向かうモノレール電車の時点で既にドキドキしていた。自分はこれから新しい世界をみにいくんだ、久しぶりに興奮していた。

飛行機の中で機内食がでた。

機内食っていうだけで、気持ちがあがる。
北京

 北京首都国際空港に到着した。この、空港に降り立った時の感覚。シビれる。これが北京か。これが中国なのか。教科書やら本やらで読んでいた中国が、ほんまに目の前にある、ある。気持ちが高揚する。熱にうなされるように空港内を彷徨い歩いた。

 しかし、1時間も彷徨うと空港内でやることがなくなってしまった。トランジットの待ち時間残り13時間、どうしよう?節約の為空港のベンチで寝ようかと思っていたけど、それは無理やと判断した。寝てるうちに、財布やスマホを盗まれる気がした。空港の簡易ホテルの値段も高く、途方にくれてしまう・・・。

「ホテル?」「ユーウォント?」
背後から声をかけられ、死ぬほどビビって振り返ったら青い制服を着た警備員と、ホテル名の書かれた看板をもったスーツをきた男が立っていた。
客引きらしい。
「ホテル?」また聞かれ、「イエス!」叫ぶように答えた。
「オー、グッドホテール,ユー、レッツゴー」みたいなことを言われて気が動転した。警備員さんも一緒だから大丈夫か、と必死にいい風に考えて、「ハウマッチ?」きいてみた。スーツの男は「オー、ファイブハンドレット・フィフティー」という。550元、当時日本円で9000円くらいか?
「リアリィ?」確認すると「ダイジョブ、アンシンシテ」カタコトの日本語で言われ、疲れていたこともあり、もう大丈夫なことにして、ついていくことにした。

北京首都国際空港

 スーツの客引きの男についていき、空港の外にでる。外にでて少し歩くと、ワゴン車があり、それに乗ってホテルまでいくことになった。空港からでて、キラキラ光る高速道路を走る。道路には大きな看板がずらりと並んでいる。看板には中国語が刻まれて、改めてここは中国なんだと思う。スーツの男が運転している。僕は空中に浮いているようなフワフワした感覚のまま北京の夜景をぼんやり眺めている。夢かほんまかわからないまま、北京のホテルに連れて行かれているのだった。

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