相手を理解するということ。
相手を理解するということは、相手の考えを包括することだと思う。
どれだけ相手のことを想ったところで完全に理解できないし、互いが完全に通じ合うことは不可能だと思っている。
しかし、これは理解することを諦めている訳ではなく、不可能であっても相手が理解してほしいと思っていることの外郭よりも少し大きな枠組みで包括的に理解できればいいと考える。
相手の円より少し大きな円を描く感覚です。
一見だったらそれで良いではないか。
だって、相手の理解をそれよりも大きな理解で包み込めるのだから十分ではないか。と思うわけです。
そこが「人間て難しいなー」と思う部分なんです。
理解の枠を飛び出すのがいつもいいとは限らないからです。
会話をしていて、相手が「わかる、わかる〜」と相槌を打ってきて、何となく互いに理解し合いながら会話が成立しているようにも感じますが、当人にとっては「本当に理解しているのかな?そこまでは言っていないんだけどな。」と思うこともあるからです。
相手の円が直径10センチの円であれば、限りなく直径10センチの円に近いものを目指さないと本当の意味で相手を理解したことにはならない。そして、相手と同じ直径にすることは不可能だということ。
そう考えると、「分かるよ〜」なんて軽々しく返すことはできず、分かりたい、理解したいと言った態度だったり表現になるんだと思う。
そして、これが寄り添うということだったり、ただ話を聞いてほしい、になるんではないでしょうか。
あなたを理解してあげられないけれど、あなたからのメッセージはなるべく溢さずに受け取ります。
私はそんな気持ちで暮らしていけたらなと考えています。
まだまだ至らぬところが多いですが、至らないことを自覚して過ごしていきます。
今日もいい1日です。
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