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ワーママと『罪悪感』の関係 〜大切なものを大切にできる人生か〜

こんにちは。たなゆうです。

例えば、保育園からの電話で呼び出されたとき。

子供のことで、仕事に影響を及ぼし、相手にも迷惑をかけるなんて本当に心底本意ではないし、できれば避けたいし、『迷惑をかけて本当に申し訳ない』という気持ちでいっぱいですよね。

いちいち平伏して謝るわけにもいかないので、ハタから見たら『すみませーん』というくらいのライトなノリに見えてしまうかも知れませんが、本当にこの時の気持ちは申し訳なさ不可抗力に抗えない無力さのようなものとセットになり、辛い。

罪悪感でいっぱいになります。

でも一方で、その申し訳なさを超えて向かった先にいる子供は、とても愛おしく、大切な存在で。『すぐに来られなくてごめんね』とまた罪悪感に襲われる

そんなことを繰り返していると、『もう仕事を続けるのは難しいかな・・』と、誰に咎められたわけでなくても思ってしまったり。

こういうの、よくある話ではないかなと思います。

世の中はだいぶ働く親に理解が進み、会社だって配慮してくれるようになりました。

多くの人が理解しようとしてくれているし、そんな環境に『感謝しなきゃ』と思いつつも、この罪悪感から逃れることはなかなか難しいのではないでしょうか。

私が前職の大企業に勤めていた時は、特にそうでした。

今は会社員を卒業し、パラレルワークで色々なチームに参画しながら仕事をするスタイルとなり、大きな変化に気づいたのでその事について書こうと思います。

先日のツイート

先日、こんなツイートをしました。

この投稿のきっかけとなった出来事。

今関わっている仕事で、

来月に向け、チームでの視察出張の予定調整をし、日程を決めた
翌日、子供の”保育園最後の運動会”がコロナで中止になり、代替行事がその日に重なることに。急遽出張の日程変更を依頼した。

ということがありました。

内容的にクライアントに影響を及ぼすものではなくチーム内で解決できることであり、かつ”保育園最後の運動会(の代わりのイベント)”ということを鑑みた結果、申し訳ないけど打診してみると

それは子供の予定が最優先だね!リスケしましょう!

という回答が返ってきました。

本当にありがたかったです。

・・・

という一連の流れを経て、ふと昔のことが蘇ってきました。

あの時、何が辛かったのか。〜罪悪感の矛先〜

『仕事』も『子供』も両方大事という想いはある中で、子供のことは突発的に襲ってきて代替がきかないことが多く、その結果仕事を劣後にせざるを得ないという状況。

それって『劣後にされた側』からすると、仕方ないというのは頭ではわかっていてもやっぱり嫌ではありますよね。

申し訳ない。本当に申し訳ない。

その申し訳なさを抱える事自体は、人として当然だと思います。当たり前のような顔をする気は毛頭ありません。

ただ、起きてしまった事象である『予定を変えたこと』だけを申し訳なく思うか、『子供がいることで迷惑をかける』というのを申し訳なく思うかで全然違うのです。

大切なものを、大切にできる人生か。

子供がいる自分というのも、大切なアイデンティティのひとつです。

そのことを、大切にできるかどうか。

私は前職のときは『仕事中はまるで子供がいないように振る舞う』事が多く、子供との暮らしはまるで秘事のようですらありました。

それが『仕事ができる自分』であるための条件のように勝手に感じ、仕事ができる別人格を演じないといけないような感覚に、とても疲れていたと思います。

それが今、環境が変わり、子供がいる私というアイデンティティは秘める事なく出せるようになりました

これは想定していなかったことでしたが、想像以上に私が毎日積み上げる人生を豊かなものにしてくれました。

日々自分が過ごしている今の時間は、大切なものを大切にできる人生なのか。

子供だけではなく、仕事も、自分自身の心や体も、大切な人や大切なものを素直に大事にできているのか。

自分のアイデンティティである複数の要素を大切に出来ない理由が何かあるとしたら、少し立ち止まって考えるサインかな、と思います。

完璧はないけれど、手探りでも、求める方に歩もう!

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