ゴッホ展 最晩年奇跡の2年半展
オンライン美術館FamiliArtは、オンラインならではの「いつでも」「どこでも」「何度でも」有名絵画を高画質&解説付きで提供しています。一人でも多くの方に芸術鑑賞の楽しさをお手軽に感じていただければと思います。
note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくようにお楽しみいただけます。
オンライン展覧会の入館料は550円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。
いつでも、どこでも、何度でも、今なお、燦然と輝くゴッホの作品たちをぜひ、ご鑑賞ください。
展覧会の概要
ゴッホはオランダで27歳の頃に画家になる決心をします。37歳で亡くなっていますから、彼の画業はわずか10年です。10年間であれだけの名作を描きあげた事実には驚くほかありません。
さらに驚異的なことに、ゴッホの名作のほとんどは、彼が南仏アルルに移り住んでから、パリ近郊オヴェールで自殺するまでのわずか2年半で描かれました。2日に1枚を仕上げるという超ハイペース。おまけに、そのほとんどは30号という大きなサイズの絵です。
それが、この展覧会タイトル「奇跡の2年半」の意味です。
では、ゴッホはなぜ南仏アルルに行ったのでしょうか?
オランダで画商見習いや書店員、伝道師などの職業を転々として何者にもなれず、もはや画家になるしかないと決心したゴッホは、パリに出てきて弟テオのもとに居候します。
パリで印象派の洗礼を受け明るい絵を描くようになります。そして、浮世絵を通して知った「光の国日本」への憧れを募らせます。しかし、その夢は現実には叶うはずもありません。そこで、ゴッホは同じように太陽の光にみちた南仏に行く決心をします。
希望に燃えて向かった仮想日本の南仏で、ゴッホは何を描き、どう行きたのかを彼が《軌跡の2年半》で描きあげた代表作10点を厳選して鑑賞しながら紐解いていきます。
展覧会内紹介絵画
まずは、展覧会内に登場する絵画たちを高画質でじっくりご覧ください。
1. アルルの跳ね橋(ラングロワの橋)
ゴッホの《アルルの跳ね橋》をご紹介します。
この絵のタイトルは当時の通称にならって《ラングロワの橋》と呼ばれることもあります。
ゴッホは1888年2月20日、南フランスのアルルにやってきます。
季節はまだ冬、ゴッホが憧れの国日本に見立てた南仏での第一歩は雪の降りしきる中で始まりました。
しかし、この雪景色さえもゴッホには仮想日本のすばらしい景色に見えたようです。翌2月21日、弟テオに宛てた手紙に次のように書いています。
「雪のように白く輝く空を背景とした、白い頂きの山の雪景色は、もうまるで日本人たちが描く冬の景色のようだった」
そして、まもなく3月になり春がやってきます。高揚した精神状態でゴッホが最初に取り組んだテーマがこの「跳ね橋」です。
アルルの旧市街のはずれにかかるこの「跳ね橋」を見つけたゴッホは、故郷(ふるさと)オランダに数多い「跳ね橋」を思い出して郷愁にかられたはずです。そして、この地で画家として必ず成功するとの決意を新たにしたことでしょう。
この頃、手紙魔のゴッホは跳ね橋の小さなスケッチを添えて、画家仲間のエミール・ベルナール宛てに次のような手紙を書いています。
「約束通り君への手紙を書き始めた。そこで、まず君に言いたいのは、僕にはこの土地が日本と同じくらい美しく見えるということだ。空気は澄んでいて、明るい色彩の効果が素晴らしい。水が美しいエメラルド色と豊かな青色の斑紋をなし、まるで我々が浮世絵に見る風景のようだ」
さきほどの雪景色といい、この手紙といい、ゴッホがいかによくアルルの風景を日本の風景に見立てているかがわかりますね!
この絵の中でゴッホが表そうとしたことは、手紙の中でゴッホ自身が語っている、「澄んだ空気」、「明るい色彩」、「エメラルドと青色の水の斑紋」につきるでしょう。
そこに付け加えるとしたら、洗濯をする南仏の女性たちの元気な喋り声や洗濯物をすすぐ水音などの喧騒でしょうか。
ゴッホの高揚とした気持ちが色だけでなく音でも伝わってくるようです。
2. 花咲く桃の木(モーヴの想い出)
ゴッホの《花咲く桃の木(モーヴの想い出)》をご紹介します。
ゴッホは1888年2月20日に憧れの南仏アルルに到着しました。
アルルの澄んだ空気と明るい色彩に感動したゴッホは、ほどなく《アルルの跳ね橋》を制作します。
そして春の訪れとともに、様々な果物の花が咲き乱れる果樹園のシリーズを描き始めますが、その中でもっとも有名なのがこの《花咲く桃の木(モーヴの思い出)》です。
黄土色の葦の囲いと白い雲の浮かんだ青い空を背景に、枝ぶりのいい桃の木にピンクと白の花が咲き乱れていて、いかにも生命感にあふれる絵です。希望に燃えたゴッホの気持ちが伝わってくるようです。
一見、1本の枝ぶりのいい桃の木にみえますが、よく見ると2本の木が前後に並んでいるんですね。
ところで、この絵のタイトルの別名「モーヴの想い出」ってなんでしょう?
画面左下のサインの上に「Souvenir de Mauve」(スヴニール・ド・モーヴ)とフランス語が書かれていますが、この日本語訳が「モーヴの想い出」です。
モーヴはゴッホの従姉妹(いとこ)の夫、すなわちゴッホの義理の従兄弟(いとこ)で、彼がオランダやイギリスを転々として落ち着かない生活をしていた時に、オランダのハーグで面倒を見た人の名前です。
アントン・モーヴ(オランダ語ではマウフェ 1838-1888年)は、ゴッホより15歳年長で、27歳のゴッホが彼を頼った時は、すでにハーグ派の主要画家として活躍していました。
彼の作品はアムステルダム国立美術館などで見ることができます。
当初、モーヴはゴッホに油彩や水彩の手ほどきをしたり、画家サークルに紹介したりと親切に面倒をみました。しかし、子連れで身重の娼婦シーンとの同棲などゴッホの奇矯な行動のせいか、
だんだん縁遠くなってしまいました。
ゴッホはその後もモーヴに対して尊敬と感謝の念をいだき続けていたようです。
1888年3月末、ゴッホがこの《ピンク色の桃の樹》を描き終えた日の夕方、ゴッホの妹ヴィル(ヴィルは通称、正式名はヴィレミーナ)からモーヴが2月に亡くなったことを知らせる手紙が届きました。
そして、ゴッホはこの絵をモーヴに捧げることに決めたのです。
3. ひまわり
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