震災クロニクル3/15(23)

日も暮れ、夜になる。まずい。行き先が決まらない。向かう先が定まらないのだ。自分と同僚の意見が合わない。いや、合わないというよりお互いに意見がないのだ。何でこうなってしまったのか嘆いてみても、それは詮方ないこと。

福島駅の近くの駐車場に車を停め、とりあえず一晩宿泊できるところを探した。運よく近くのビジネスホテルは営業している2人が向かうと、受付で誓約書なるものにサインを求められた。

端的にいえば、水は出ないトイレは使えないしシャワーも出ない。大きい余震がきても責任はホテルでは負わない。それでもいいならサインをして宿泊費を払ってね。

という内容だった。もはや僕ら二人は驚きはしない。サーベイをした学校でカレー販売を目撃したときからすでにここの常識は把握したようなものだ。商魂たくましい彼らのルールに従うしかあるまい。

さっさと会計を済ませ、僕らは部屋に入った。

早速これからの会議が始まった。

「どうする?」

「会津に行っても、受け入れてくれるかは分からない」

「しかも豪雪で運転も不安だ」

「でも、他に行くところはないだろ」

「福島市内の避難所をしらみつぶしにあたるか」

「いや、それもガソリンの無駄遣いになる」

「二度とここに戻ってこれないかもしれないぞ」

「ちょっとまて!ここはネットがつながる」

「少し調べてみよう」


……

行き先は決まった。数時間スマホで検索の後、自分たちは関東に向かうことに決めた。国道4号線を南下し、栃木県の黒磯駅に向かう。そこから電車が動いている。それに乗って東京に向かう。

東京では避難所はまだ満杯になっていないだろう。しかも、何かしら対応してくれるところはあるはずだ。きっとうまくいく。

というか、確実に福島から避難する方法はこれしかなかった。

少しだけ希望が見えたその晩。同僚は施設の理事長に電話をかけ、避難の経緯を説明していた。自分は話したくなかったので、電話出なかったが、特段怒ってはいなかったらしい。自分はそんなことすでにどうでもよかったが、一時避難したあのときの動機を自分の我儘と転嫁したあのくそ婆の性根が未だに許せなかった。

午後10時くらいだろうか。かなり大きい余震があり、ホテルの部屋から飛び出した。ずいぶんと長い地震だ。廊下にちらほらと人が出てくる。やがて地震がおさまると、お互い顔を見合わせ、安堵の顔を見せ、また各自の部屋に戻っていった。

いつまでこんな不安な夜が続くのだろう。しかし福島を捨てればこの不安から少しは解放されるのかもしれない。もはやこの地域は安住の地ではなくなった。いまさら何の未練がある。よく考えてもみろ。生まれた場所というだけでそんなにいい思い出はなかったはずだ。

自分にそう言い聞かせて、気持ちを落ち着けた。



施設の理事長の心根。サーベイのときのカレー販売。ホテルでの誓約書。県庁での冷たい対応。被災した市役所職員の避難。


ありとあらゆる今までの経験でこの県を忌み嫌うよう頭の切り替えをした。一晩中何千回と被災してから今までの経験を思い返した。憎め。嫌え。福島なんてろくでもないところだ。捨てることに何の躊躇いがあろうか。


翌朝。

自分は別の人格になっていた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》