震災クロニクル3/14⑱

そのときはついに来た。
スタッフ一同テレビに食いつき、愕然とした。

音はなかったが、「ドン!」という衝撃がテレビ越しに我々の胸を貫く。

1号機爆発のときとは違って、黒煙が噴き上がる。明らかな大爆発だった。そこにいる誰もが言葉を失った。誰も声を発しようとはしない。テレビのコメンテーターも言葉につまった。
どうすべきなのか。何を言うべきなのか。

ここにいてはいけない。
それだけは共通認識として頭に焼き付けられた。

市役所の職員出入りが急に激しくなる。私ができることは、……何もなかった。
「これで支援物資は今まで以上に入ってこなくなる……」
誰かが呟いた。

いや、違う。心配すべきことはそこじゃない。ここの放射線量はどうなっているのか。どのくらい上がっていて、ヒトが生活できるレベルなのか。避難はしなくていいのか。外に出ないだけで安全は保てるのか。(『屋内退避』指示は15日から)

たくさんの問いが、頭の中から涌き出てきた。しかし、ぶつける相手がいない。テレビはこの質問に答えてくれない。

ここに残っているのは、自分を含め男性スタッフがたった3人。理事長とその妹だけである。市役所の職員は顔も覚えられるくらいの人数が出入りしている。当初よりもだいぶ少ない。

ふと、ひげ面の男が自動ドアを叩いた。手動で開けると、ゴミの回収だそうだ。
各避難所や公共施設を回っているらしい。取り敢えず、まとめておいた大量のゴミをその男に渡した。すると、燃えないゴミも指差して

「あれももっていきますよ」

燃えないゴミも一気に回収しているらしい。これはよかった。まとめて運んでもらい、ある程度受け付け玄関はさっぱりした。

取り敢えず掃除しようか。

ふと言葉がでた。

モップや掃除機をとりだし、廊下やフロアの掃除を黙々と始めた。僕らは何もできない。かといって、じっとしていられない。どうしようもない気持ちを紛らすには身体を動かすしかなかった。掃除をしているうちに不思議と気持ちが和らいだ。

たくさんの人が避難している。
市役所の職員も逃げ出した。
理事長の息子の嫁一家も逃げ出した。

そんな苛立ちと不信感、怒り、憤りは綺麗にバケツの水が洗い流してくれた。

廊下を掃除することは心の掃除をすることに似たり。

そんなところだろうか。

男同士、暫し歓談しながらお互いの作業に没頭した。

やがて、市役所の職員がご飯を持ってきてくれた。

白米の塩おにぎりが数個。明らかに物資が枯渇している。

いきなり現実に引き戻された。とうとう僕らの食にまで影響がではじめた。思い悩んだ様子で、市役所の職員が口を開いた。
「明日はどうなるかわからない」

とうとうきたか。支援物資とガソリンの欠乏が原発事故のせいでほとんど入ってこない。今後の見通しもたっていない。

一同暗くなった空気を拭き取るように
「取り敢えず食べよう」
誰かがお茶を淹れ、1人1つおにぎりを戴く。

テレビでは先程の爆発の解説を長ったらしくやっている。何を検証しても、今どう動くべきか誰も教えてはくれない。

テレビのCMは自粛され、すべて、ACの宣伝に切り替わる。

「思い」は見えないけれど「思いやり」は見える。

そんな台詞を言っていた。すごく皮肉に聞こえたACの宣伝。自分は胸の奥から込み上げてくるこの衝動が怒りと苛立ちだとすぐに分かった。

僕らの「思い」は誰にも届かない。
だから誰の「思いやり」も伝わらない。

今はきっとそうだろう。いや、そうは思うまい。目の前のおにぎりを持ってきてくれた職員の思いやりは確かに伝わった。

ただモニタから発せられる言葉にそんなことを諭されたくなかった。やけに他人事に聞こえたからだ。僕らは僕らの小さい世界で肌を寄せあって、ただただ怯えていた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》