戦略的モラトリアム⑪

一日が何とか終わり、心地よい疲労感とともに三ダースあまりの人間が教室から放り出され、雲霞のごとく散る。さっきまでの閉塞感が嘘のように都会に散らばる鉛筆たちは、これからいったいどんな夜を過ごすのだろう。
教室に最後まで残っていた僕は窓から下を眺め、妙な人の世の儚さを感じていた。講師の去った教室はただの多目的ホールのように机、椅子が放置されていた。ここは一日のある時間帯のみでしか教室の目的を果たさない。もはやここは教室ではないのだ。今はただの小さい予備校が借りているビルの一室……。さっきまで友達であるかのように親しく反しかけていた、隣の席同士の人々は予備校が終わるとそれぞれ目的があるのか、ないのかは不明だが個々に散っていく……。魔法にかけられていたのが、急に切れたかのごとく。その中に本当に常時つながっている友人たちはいるんだろうか。人の関係なんて宇宙の歴史から見ればとっても儚いもの。それは刹那。花火のように咲いては散る。その繰り返しなんだね、きっと。
僕は今、とっても儚い夢を見ようとしている。それが夢であると知りながら、夢を見る珍獣。世を憂う?人を憂う?自分を憂いた僕の刹那は一瞬で何年にも及んだ。
「おい、コンビによってから、ちょっと喋って、自習室で勉強しない?」
「ぼーっとしてんなよ。現役クラス始まるぞ。」
「それとも、お前、現役生だっけ?(爆笑)」
ヤスとコンが呼びに来た。
「ああ、そうか。今行くよ。」
とっさに作り笑顔で僕はそのホールらしきところから、ヤスたちと飛び出していった。夕焼けが僕のほほに強烈な西日を浴びせていた。その光はやけに清々しく、気持ちよかったんだ。

道路の路肩で夕食代わりのコンビニで買ったドリアを食べながら高校時代の話に花を咲かせている奴らの中に入っていった。
「道路でドリア食うなよ、お前(にやけ顔)。」
「おっさんギャグってやつっすか?コン君。」
「道路でドリア?くだらね~よ、お前。」
「つーか、ぜんぜん洒落てないし(笑)。」
「どりあ(どれ)、オイラがドリアを食べてみようか?」
「お前、おわってっから。マジで。」
楽しい。理由なんてない。この四人がマジ最強!僕の意識は一年前より軽薄なものになってしまったんだろうか。いや、そうじゃない。でも、そのときはあまり悲観的な難しいことは考えたくなかった。友情の麻薬?どうであるにせよ、今この時間を大切にかみ締めながら、僕はドリアを胃に流し込んだ。
どうやら今日の話は高校時代の話。やばい。
「俺は高校のとき、野球部で勉強なんか……。」
まさに危機的だ。中退だなんて言えない。いや、ケイがもうみんなに言っているんだろうか?そうだとしたら余計にやばい。そのときの心境を聞かれるほど嫌なものはないからだ。何とかこの場を切りぬけなければ。
「お前は高校のとき、何してたの?」
きた!とっさにケイが合いの手。
「そういや、卒業文集にお前いなかったよね。卒業できたの?」
いや、本気でやばい。脳内を微電子が駆け巡って、必死に言い訳を考える僕はできるだけ自然な声色で、
「いや、載せてほしくないから、拒否したんだよ。」
とってつけたような言い訳。すぐにばれるだろう。やっちまった。僕は自分の過去をさらしてしまったことに悔いた。すると、
「まあ、学校にあまり来てなかったお前だからな。載りたくない気持ちも分かるよ。先生との折り合いも悪かったもんな。」
ありがたいことにケイが信じてくれた。そうなればこれ以上突っ込まれることもないだろう。
「なになに!お前、登校拒否しとったんか?不良だな!」
「そんな髪の色してっから、目、つけられんだぞ。」
「いやいや、現役のときは黒髪だから。」
何とか、僕の過去は笑い話で煙に巻いた。よかった、よかった。しかし、いつまで隠し続けられるだろう?大検は確か七月。その時は緊迫感に包まれることになるだろう。しかも落ちたりでもしたら……。顔がこわばった。僕は頬を二、三回はった後、
「さっ、勉強、勉強。おい、行くぞ。」
そう、せかすように自習室に向かおうとする僕に、
「何だよ、急に。」
コンがびっくりしたように答えた。すぐに暗くならない都会の夜景の中、僕ら四人は自習室へ向かった。
大検に落ちるときが怖いんじゃない。お前らとの接点がなくなることが怖いんだよ、本当は……。
自習室のドアはやけ重く、ドアノブは凍えるほど冷たかった。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》