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VINTAGE【肘の具合・雨空の下】㉔

大学4年。5月の長雨。今日も朝からグズリ模様の空。
小雨の小康状態からの少し肌寒い、春の気まぐれ天気。

Vintageの中では除湿をかけているので、カラッとしている。
熱めのイタリアンコーヒーが香ばしい香りを漂わせ、カウンターから見える外の傘の行ったり来たりをずっと眺めている。

まもなくSサンがやってきた。いつもくたびれているのが、今日は様子がおかしい。
「ブレンドを……」
いつものようにコーヒーを注文し、おもむろに煙草に火をつける。しばらくしてカウンター横のギターに火をつけるが、何か動きがぎこちない。
右手を頻繁に摩る。
「どうしたんですか?」
物憂げな表情のSさんに話しかける。
「事故でケガした時の古傷がこういう天気だと痛んだりするんだよ」
「気圧的なものですか?」
「それもあるし、気温もあるね」
ギターを弾くのが仕事の一つの彼にとっては少し深刻な状態な気がして、少し心配になった自分は少し彼の奏でる音に耳を傾けていた。

ある程度リフを弾き終えると、Sさんはまた肘を摩る。

「君と同じ大学の学生さんと事故になってね……」

Sさんはそう語り始めた。話を聞くと、その事故は相手方(大学生)の方に過失があったようである。警察に聞き取り調査をされたが、事故直後だったためSさんの具合はみるみるうちに悪くなったらしい。
入院して、加害者の大学生もお見舞いに来たそうだが、訳のわからない恋愛相談をされ、Sさんはほとほと困り果てたそうだ。

自分も同じ大学の学生という手前、どこか少しの罪悪感を感じつつ、ただ彼の奏でる音に身を任せていた。

心地のよいサウンド。外の喧騒と雨音。コーヒーの香ばしい香りと煙草の甘い香りが煙と湯気によって店内中に広がっていく。

やがてMさんがやってくる。厨房に入り、洋菓子を作る。

すると、店内に一層甘い香りが広がるのだ。
「肘の調子がね……」
Sさんが話すと、
「この天気だからね」
Mさんも分かっている様子。マスク越しのMさんもどこか元気がない。

5月の長雨はVintageにちょっとした変化を与え、ゆっくりとした時間はやがて音楽と煙の中へと溶け込んでいく。
薄暗い空はまだまだ夏の遠さを僕等に教えているだけだった。春の浮かれた空元気は、この雨で少し沈んで、現実を僕らの目の前に見せてくれている。そう、退屈で少し残酷な現実を、ありのままに。

「どうぞ」
マスターがキャラメルの洋菓子を出してくれた。

ナッツが入ったキャラメルのクッキーのようなもの?フロランタン

Sさん、Mさん、そしてボク

雨のように、流れていく。今日の残響。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》