震災クロニクル3/16(24)

朝6時。

僕らは目覚めた。自分は戦う目をしていた。

「さっさと行こう」

同僚をせかした。もはやこの地域に何の未練もない。むしろさっさと出ていきたいくらいだ。そう、福島は僕らに出ていけと言っている。僕らに選択肢はない。

すぐにでも出ていって、これからの未来を描いた方がまだ夢がある。ここにいれば明日の生存や食料の不安、健康の不安が期限未定で続くことになる。そうなることはもう目に見えていた。同僚に運転を代わり、国道4号線をただただ南下した。ところどころ道路が壊れているが走行できないほどではない。大型のダンプやトレーラー、自衛隊車両がちらほら見える。

途中セブンイレブンが開いていたので、立ち寄ることに決めた。食料は後ろにたんまり詰め込んでいたが、今どのような状況なのかとても気になった。


案の定おにぎりや弁当棚はスッカラカン。飲み物も4,5本残して売り切れ状態だった。ビールやアルコール類は品ぞろえ豊富だったけど、売れていない。レジにはある程度の人だかり。とりあえずお菓子を一袋買おうとレジに向かう。

「明日はやってますか」

前の50代女性くらいのお客が店員に話しかけている。

「わかりません」

淡々とレジ作業をこなしながら、そう答えていた。


(国道4号線沿いで物資が入ってこないわけでもなかろうに。)

心でそう考えたとき。はっと思い出した。市役所職員の言葉。

「福島には入るなっていう指示がだされている運送会社もあるし、この街には入るなって言われてる会社もある。アメリカ人は原発から半径100キロって言われてるから。東京から避難した外国人もたくさんいる」

施設で打ちあわせをしているとき、そんな話を聞いた事を思い出した。きっとここには物資が届かないんだ。ガソリンも東京あたりでも不足していると聞く。ここまでくる移動手段がないのかもしれない。おそらくこのセブンイレブンもまもなく閉店するだろう。

その店を出た。原発からこれだけ離れていても、物資不足の問題は深刻だ。やはり「福島」のようなレッテルは物資不足を呼び込むのか。「福島県」でくくられるとこれほどまでに流通に影響を与えてしまう。まさに呪いの言葉のようなものだ。

「もうさっさと行きましょう。こんな光景もう疲れました」

今度は同僚が僕をせかした。

「そうだな」

僕らはもうこんな地域を一刻も早く出ていきたかった。

道路は少し波を打っていたけれど、自分の心は静寂を保っていた。最早どんな状況でも驚かない。震災から5日。信じられないような光景、言動、行動を見てきた。これ以上のことはもう起きないだろう。もう1時間も車を走らせれば、栃木県に入る。そうすればこれほどの八方ふさがりの状態にはならないはずだ。

僕らを乗せてポンコツ軽自動車はさらに南へ。

ラジオでは相変わらず震災の被害状況や津波・原発情報を流し続けている。放射線量の数値も地域ごとに出し始めた。しかし原発近くの大熊の街の線量は線量計の故障か何かで数値が分からないとのことだった。

「都合のいいことを」

自分が呟いた。

「そんなにタイミングよく壊れるかよ。よっぽど高いから公表したくないだけだろ」

同僚も自分の呟きに同調した。

もう何も信じられない。信じられるのは風向きと原発からの距離だけだ。僕らはできるだけ離れることを選んだ。風向きはいつ変わるかわからない。それよりも離れていったほうが確実にこれからの計画が立てられるってもんだ。

そして僕らは那須から栃木県に入った。


福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》