震災クロニクル5/1~GW(44)

東京電力の仮払金の具体的な手続きが始まってきた。分厚い冊子に記入欄が山ほど……

とりあえず避難に使った費用を思い出せるだけ書きなぐった。洗濯物の乾燥にコインランドリーを使っているからそれも……。

とにかく世間には100万だの単身世帯70万だの金額だけが飛び回り、そのヤッカミと嫉妬で悪意のある言葉がネットと現実世界両方ともに飛び交った。

「いいなぁ、カネ貰えるんでしょ?」

原発からの距離が30キロを越える人々は決まってこの話をする。義援金なども原発距離30キロを境に大きく異なり、ここで人々のトラブルの種がバラバラと撒かれていた。東京電力の狙いはこれだったのかもしれない。

地域の繋がりにヒビを入れること

大きな人の群れでかかってこられると太刀打ちできないから、まずは地域でいさかいを起こし、かかってくる団体を小さく細分化することで、個々に対応しやすくする。

そんなこと、自分の回りにいる人たちは大体分かってる。ほぼ呆れ顔で毎日を垂れ流している。何も希望を持てないから。

浜沿いは沼地と化し、復興用の砂利道が真っ直ぐとしかれている。大型のダンプや作業者がちらほら見える。朝方や夕方はどっと街になだれ込むので、大変な混雑だ。パトカーや救急車は毎日のように飛び回る。聞く話によると、居酒屋などのトラブルも増加しているそうだ。やはり復興作業員たちがトラブルを起こすらしい。

確かに街中は賑やかになった。しかし、ガラの悪い人達もたくさん増えた。本当に近づきたくないほどの悪意の塊。コンビニの混雑がそれを物語っている。日頃のストレスをコンビニ店員にぶつける様子を幾度となく見ている。

さて、パチンコ屋が再開してからというもの、大繁盛だ。何もすることがなくなった人達を鴨にして、ギャンブルか……震災前の自分の行動をはじめて第三者的な視点から見ることができた気がした。

仮設住宅から多くの車が9時前にパチンコ屋に向かう。9時前には何処のパチンコも大きな行列だ。土日になると、それに除染や復興関係作業員が加わり、大繁盛。とても悲しい賑わい。

恥ずかしながら、自分もその賑わいに加わってしまった。偶然自分の叔父がいた。

「カネもらったか?東京電力のやつだよ」

「いいえ」

すぐさまその場を立ち去った。
胸くそ悪い。

結局のところ、ここに住む人心はすべてそこに注目していた。とても寂しい。心にすきま風が通り抜ける。
親戚なのに一言目が「カネ」
帰りの車内で、静かに涙を流した。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》