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“ロボット人間”は簡単なMoral Harassmentにすら何も感じない

ぼくは古いモノに縛られて生きていくのはどんどん維持コストが上がっていくし、それと同時に不便になっていくと常々思っている。

でも書いたが、本当にデメリットしかないのである。

それでも使い続ける人を見ると残念な気持ちになった後、自分の周りの人間だけでもなんとか助けることはできないだろうかといつも考える。

そして助けたいと思っている人にお酒の席ではあるが、ぼくなりの話をし、情報共有している。

少し届く人もいれば、全く届かない人も居る

ぼくが話していることが全く届かない人は“話している内容”が文字通り理解できていないと感じる。

もちろん日本語で話すのだが、2人の友人に同時に話して1人は内容は理解出来るけど意見が違うとなったりするで、ぼくの話しが悪いと言うわけではないと思う。

そこで今度はぼくの話しをやめ、その友人の話しに耳を傾けると一見先ほどの話しの続きに聞こえるが実は全く違うことを話しているのだ。

この様なことはTwitterなどのSNSでもよく見かけるので、もしかしたらこれは特別なことではないのかもしれないと思った。

しかし、これは会話できている様で全く会話として成り立っていないのだ。

「なぜこうなってしまうのか?」

と考えたらあること思った。

それは多くの人が日本の学校教育によって思考することを切り取られてしまったからだ。

「考えた結果自分が思ったことを言う」

のと

「考えず反射的にインストールされたことを言う」

のとでは天と地の差がある。

「前者は人間」「後者はロボット人間」なのだ。

少し前の話だが、こんなニュースを観た。

これは本当に恐ろしい。

“これを恐ろしいと思わない人など居ない”

と思ったら、世の中には何も感じない人が一定数居ると言うことがわかりそれも本当に恐ろしいと思った。

今ぼくには子供が居ないが、もし自分の子供がこんなことさせられたら抗議をするか、二度と学校には行かせない(もともと既存の学校にら行かせたくはないが)

もし、ここで拍手をしたければもちろんして良いと思う。

しかし、「拍手をしたくない」または「拍手をする意味がわからない」人を無視して、市の教育委員会が企画したから全員に拍手させるのは違和感しかない。

これは完成に教育委員会からのMoral Harassmentだ。

この様なことに違和感や疑問を持てない人々は今後生きていくのが大変だろう。

理由は簡単で今後の社会で“ロボット人間”はどんどん必要なくなるからだ。

ロボットの方が“ロボット人間”よりも1億倍メリットがある。

そんな時代に既になっているのに、未だお金と時間をかけて必死に“ロボット人間”を量産し続けるのは恐ろしい未来しか待っていない。

なので自分の周りだけで救いたかったのですが、先ず“ロボット人間”のプログラムをアンインストールするところから始めなきゃいけないのでとても大変そうです。

これを読んでいただいた方も理解していただければ良いなと思い書きました。

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