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障害者になってから・・・②~社会人になるまで~

過去の自分

自分は脳に炎症を起こし、後遺症で記憶障害も起こしました。
正直、自分の過去について話すのは得意ではないです。
ただSNSの過去の写真を見ている限り、とても活発で友人に恵まれており、リーダーシップをとっていることが多かったです。

病気になってから数年の自分

病気になってから直後の自分はとてもすさんでいました。
今まで簡単に出来ていたことが行えない。
そして他人(医者や法律など)から自分の行動を制限されるいら立ち。
てんかんのせいで、ちょっとした刺激で体が思うように動かなくなり思うように行動できず、何よりいつ発作が起きるのかという不安がありました。
感情のコントロールが出来なくなり、浮き沈みが激しく、他者とのぶつかりが多くなりました。
段々、社会に出るのが嫌になり家の中で引きこもりゲームばかりしていました。

社会復帰のきっかけ

社会復帰になったきっかけは理学療法士になろうと思ったことだった。
毎日、家の中にいても仕方ないのは分かっていたので何か先に進まないといけないことは分かっていました。
定型者だった頃の僕は大学院を目指し、ある大手の企業に就職をしたいと考えており、障害を持ってからでもプライドだけは高かったです。
そして周りの友人も大手企業で働いたり、医者になったり、弁護士になったり、一般的に高学歴・高収入と呼ばれる方が多かったため、どうしても彼らに負けたくないという気持ちでいっぱいでした。
そこで思いついたのが看護師でした。
入院中に夜中でも発作が起きナースコールを押したら来てくれ気持ちをなだめてくれる、看護師さんにはすごく感謝していました。
なので看護師になりたいと思い、主治医に相談したところ針を使ったり当直などあり不規則な生活をする看護師はてんかんを持つ僕には向いていないという事でした。
そして、勧められたのが理学療法士という仕事でした。
理学療法士は、障害者や怪我や病気をして社会参加出来なくなった人達を社会復帰させる仕事です。
自分が障害者である自分が障害者たちを社会参加させていく姿にあこがれを抱き、理学療法士になることを決め、専門学校に通うことを決めました。

専門学校時代

専門学校に入ると、人よりも多く勉強していました。
記憶障害があり、それが不安でクラスメイトよりも先に登校し予習・復習をいつも行っていました。
結果、クラスでもトップ5に入るくらいの成績を常に出し続け人に教えるまでの学力を備えていました。
しかし、どうしても単純に覚えるだけの暗記作業は苦手で人よりも時間を必要としました。

実習地訪問

理学療法士になるためには、毎年実習に行かなければいけない法律がありました。
自分が学生だった頃の実習は、学生は寝る間も惜しんで大量の課題を仕上げるのが当たり前の時代だったので、自分の睡眠時間2~3時間で実習地に向かう移動時間で仮眠をとるという生活を送っていました。
実習ではウトウトしてしまい。いつ発作が起きるか不安な日々を送っていました。
無事に実習を終えたが、その代償に髪の毛がごっそり抜け、うつ病、パニック障になっていました。

国家試験

勉強は得意だったのに、うつ病になってから、集中力が格段とさがり頭が上手く回らずどんどん成績は下がっていきました。
国家試験前にはぼろぼろになっており、模擬試験を出している今年の回答を見て自己採点の結果、ギリギリ落ちていました。
かなりショックで落ち込みました。
結果発表される当日も会場には行かず来年の学費のためにアルバイトをしていました。
そしてアルバイトを終え、ラインに一通の写真が送られていることに気が付きました。
それは沢山の数字の羅列でした。
よくわからなかった自分は翌日登校して写真を送ってきた本人にどういう意味か問いかけました。
「あの写真はどういう意味なん?」
友人は答えてくれました「君は僕の後ろの席やったから受験番号が一つ後ろやろ?合格していたで。」
僕はびっくりしました。模擬試験の回答が間違っており自分はギリギリで合格していました。

社会人になってから

うつやパニック症を完治させないまま、新卒で病院に入職してから自閉症(ASD)の症状が顕著に出始め、いつも怒られてばっかりでトラブルをおこし試用期間でクビになってしまいました。


続く・・・

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