掌編小説『バレンタインチョコの賞味期限』

        あらすじ

 小五の弟が亡くなって約一ヶ月。弟の部屋を整理していると、チョコレートが出て来た。
 “絶対に! 食べるな!”のメモを挟んで大事に仕舞ってあったそれは、明らかにバレンタインのプレゼント。どんな子に告白されたのか。告白した子は今、どんな気持ちでいるのか。


         本文

 弟が遺した物を整理していると、手のひらサイズの四角い箱が出て来た。青みがかった白い用紙できれいに包装されている。
 右肩部分に赤いリボンが掛かり、そこに挟み込まれた学習帳の切れ端には、鉛筆で大きく殴り書きが。
“絶対! 食べるな!”
 智雄ともおの字だ。
 じきに察しが付いた。バレンタインデーにもらったチョコレートなんだねって。
 よく見ると包装紙は一度開けた気配があった。智雄のやつ、開封して誰がくれたのかを確認したんだ。また丁寧に包み直したっていうことは、意中の女の子だったんだろうなあ。
 そんな大切なチョコを味わうことなく、逝ってしまった。こんな大切にしていた物があると分かっていたなら、棺に一緒に入れてやったのにね。

 ……この年頃の男子が本当にひとかけらも口にせずに、我慢できたのかしら? ちょっとずつ食べるっていうのが一番ありそうな気がする。
 開けてみよう。
 合掌して、智雄に心の中で一言断ってから、箱のリボンに手を掛ける。が、リボンはただの飾りで、するりと外れた。改めて包装紙の端を見つけ、慎重に開いていく。
 中身は既製品のチョコと手作りチョコを組み合わせた、一枚物だった。大雑把ではあるけれど、ゲーム画面と思しきデザインになっている。
 その端っこが欠けて、歯形が残っているのを見て、ほっとした。ちょっとだけ笑えた。

 このチョコレートをどうするかはあとで考えることにして、とりあえず仕舞おうとした。が、ある文字に気付いて、蓋をする動作が止まる。
 蓋の裏側に張り付くようにして、二つ折りにされた蝶々型のメモがあった。その開いた羽の間に見えたのは木藤美香子きふじみかこという名前。手書きで、「矢代やしろ君このゲーム好きだよね。食べて。ひとつき後に返事ください」って。
 バレンタインデーに受け渡しをしたのなら、返事はホワイトデーに期待するのが当然というもの。
 でも、弟が事故で死んだのは三月三日。恐らく、返事していない。
 五年生の子に、いや、もう四月だから六年生だね。とにかく小学生の子に、智雄が喜んでいたことを伝えるべきだろうか。
 身内としては、智雄の気持ちを伝えてやりたいし、正直言って、智雄が好きになった女の子を見てみたい、会いたい気持ちもある。
 当の木藤さんはどうなのだろう。多感とされる小学校高学年の時期に、死んだ告白相手から今さら色よい返事をもらっても迷惑かも。あるいは、返事そのものは嬉しくても、想いをいつまでも引きずって次に進めなくなるのでは。
 あれこれ想像してしまうが、もし私だったらと考えると、やはり相手の気持ちは知っておきたい。そのあとどうするかは、当人の判断すること。
 それでもなお迷ったのは、今の私が大学生で、木藤さんは小学生。そのギャップが心配。だけれども最終的には、機会を見て伝えようと決めた。

 春休み中にと最初は思った。けど、智雄の死からまだ一ヶ月ちょっと。早すぎる気がしてきたので、延期する。
 次は、ゴールデンウィークになる前にと考えたが、休みの前に伝えられても困るのではとか、五月病だの、最近では四月病だの言うらしいから、ここは慎重にならなくては。
 結局、六月にずれ込んだ。その月最初の日曜日、私は木藤美香子さんと、小学校近くの公園で会う約束をした。
 事前に彼女の顔写真を観ることができたので思い出した。弟の葬儀に同級生の子らは担任教師の引率で全員一緒に来てくれたのだが、木藤さんは女子の先頭にいて、多分クラス委員長か副委員長だと思われた。年齢の割に背があって、凜とした美人さんで、全然泣いてなくて、話もしなかった、いや、クラス代表みたいな形で少し挨拶したかな。

「矢代君のお姉さん?」
 公園の出入り口の一つで待っていると、背後から声を掛けられた。
 振り返ると、木藤美香子さんがいた。よく知らない人と会うのが心配なら家族の付き添いOKだよと伝えていたのだけれど、一人で来ることを選択したみたい。
「こんにちは、木藤美香子です」
 やや緊張気味の声で言い、頭を下げる。こちらも急いでお辞儀した。
 私をびっくりさせたのは、その格好。もう蒸し暑い時期なのに、黒を基調としたワンピースを身につけている。喪服を連想する。
「矢代智雄の姉で、矢代一美かずみよ。よろしくね。六年生にもなると忙しいでしょう? そんなときに呼び出して、ごめん。迷惑じゃなかった?」
 つい口数が多くなる。相手は「いいえ、全然」とだけ答えた。
 簡単に済ませるルートも想定していたが、彼女を前にしてしっかり伝えようと切り替えた。少し歩いて、喫茶店に入る。きれいな店構えだが、流行ってはいないみたいだ。
 好きな物を頼んでいいよと言ったのに、木藤さんはドリンクの中から、一番安いコーヒーを選んだ。この暑さだし、せめてアイスコーヒーにしない?と水を向けて、やっとアイスティーを選んでくれた。
 グラスが二つ来て、ウェイターが下がったところで、話を切り出す――つもりが、先に彼女が口を開いた。

「あの、こうして呼ばれたということは、おねえさんはご存知なんでしょうか。ご存知なんですよね」
「……智雄にチョコあげたことなら、この前知りました」
 二ヶ月ほど経過してるけれども、まあいいだろう。
「やっぱり」
 それだけ言うと、俯いた木藤さん。耳が多少赤らんだよう。
「今日会ってもらったのは、返事を知りたいんじゃないかなあと思って。正確には返事じゃなくて、智雄の気持ちだけどね。知りたくなかったら、このままお茶飲んで帰ろうか。あの子の思い出話、ちょっと聞かせてくれたら嬉しいな」
「知りたいです」
 私の声に被せるようにして、木藤さんは言った。見ると、身を乗り出し気味にしている。
 唇をぐっと噛み、目を大きく開けて、覚悟と期待が入り混じって全身を巡っている。そんな雰囲気。
「そうだね。よかった」
 私は持ってきていた紙袋から、例の箱を取り出した。テーブルに置いて、彼女にメモが読めるように向きを調節する。
「あの子の持ち物を整理してたらこれが」
 言いながら相手を見やる。口元を両手で覆う木藤さん。
「ちなみに、他にチョコやバレンタインのプレゼントらしき物は全然出て来なかったわ」
「……あの、矢代君は全然食べてくれなかったのでしょうか……」
「あ、それは大丈夫」
 蓋を開けてみるように仕種で示した。三十秒後、木藤さんはくすっと笑いながら、人差し指で目元をぬぐった。

 さて、ここで終わりにしてもいいと思ってた私だけど。
 弟の気持ちを隠すことなく伝えるには、もう少し時間が必要だ。
「あとね、智雄はホワイトデーであなたへのお返しを考えてたみたいなんだけど、亡くなった時期が時期だから、まだ何も用意していなかったらしいのよ」
「そうですか……考えてくれてただけで嬉しい」
 軽く目をつむり、感慨に浸る木藤さん。智雄のやつ、凄く理想的な子を見つけていたんだなあと感心する。
 まだまだ長い人生のあるこの子にとって、矢代智雄を好きになったことはいずれ小さな記憶に過ぎなくなり、ほとんど思い出されなくなるんだろう。けど、そうなるまでは何度も思い出してやってほしい。一時的なものであっていいから。
 と、彼女の目がぱっちり開いた。
「あれ? で、でも、どうして分かったんですか。お返しを考えていたみたいだなんて」
「うん。実は、抽斗からこういうのも出て来て」
 私は紙袋の底の方をさらって、その水色をしたポチ袋を取り出した。そう、お年玉袋だ。
「そこに書いてあるでしょう」
 お年玉袋を裏返してから、テーブルの上を滑らせ、彼女に見せた。

“木藤さんに使う分!”

 終わり

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