掌編小説『ダイイングメッセージは“大人の日”』

        あらすじ

パズルを趣味とする数学者が自宅で催したパーティの最中に殺される。現場である彼の自室には半紙が散乱しており、その中の二枚に渡って血文字が書き遺されていた。「大人の日」と読めるそれは、被害者が犯人を示したものと思われるが解読できない。パーティに集まっていた面々は被害者同様にパズル好きとあって、メッセージの意味を読み解こうと刑事に意見を述べに来る。そう、次から次へと……。

         本文

 ある大雨の夜、数学者の男が殺された。現場は彼の自室。その部屋は庭に面した大きな窓が割れ、吹き込む風のためか、室内には半紙が散乱していた。その内の二枚に、被害者は自らの血を使って、文字を残したらしかった。
 警察が到着し、捜査を始めた途端、あいにくなことに近くの川が小規模ながら決壊し、殺害現場に泥水が押し寄せ、汚染すると同時に、遺留物を流し去ってしまった。
 結果、主な手掛かりは、写真に収められた血文字のメッセージのみに。
 当日は、数学者自身の招きで、彼の自宅には大勢の人間が集まり、パーティが催されていた。ために、事件の関係者は膨大な数に上る。それだけ容疑者が多いということだが、それ以上に警察を悩ませたのは……。

「『大人の日』とは即ち、成人の日のことです」
「はあ」
「つまり、被害者は、犯人が成人なるとさんであることを示そうとした。直接、成人と書いてはすぐに気付かれるので、『大人の日』と書いたのです」

「ダイイングメッセージは、血を使って半紙に書かれていた。縦書きで『大人』と『の日』、二枚に分けて。この事実から、一つの可能性が浮かび上がる」
「どんな可能性が?」
「裏向きに読んでしまった可能性だよ。『大人』は実は『大入』を裏から読んでしまったのかもしれない」
「……だとしたら、どうなりますか」
「『の日』の方も、読み間違えていたのかもしれない。縦書きの『の日』を左に九十度倒して読むと、デジタル表示の『600』に似ている。0と0が極端に引っ付いてしまったんだろう」
「……だから?」
「六百人で大入り満員になる会場の支配人か、そこでイベントを打った主催者、その他関係者が怪しいと言える」

「これって、上下の差に着目するといいんじゃないかしら」
「といいますと?」
「『大』と『人』の違いは、横棒一本でしょ。『の』と『日』は、ちょっぴり捻って、前者をデジタル文字と見なして縦にすれば、右上の縦棒一本の差ですわ」
「えっと、色々とお聞きしたいのですが、とりあえず、『の』を縦にするに当たって、何故、左に倒したんです? 右に倒せば、左下の横棒一本が違うということになりやしませんか」
「あら、そうですわね。考え直してくるわ」

「半紙はたくさんあった。きっと、他にもメッセージが書かれていたんだと思いますよ」
「確認のしようがありませんが、念のため、拝聴します」
「僕が考えは、次の通りです。『大』は『犬』の書き掛けであり、その横にあった『の』が、実は点に当たる。意識朦朧とした被害者の手が、若干、滑ってしまったに違いありません。『人』は『飼』の偏の書き掛けで、『日』は同じく『飼』の旁が滲んで『日』に読めてしまった。これでお分かりでしょう。犯人は犬飼です」
「仰るような『犬飼』が正しいとしたら、字のサイズが違いすぎる気がしますが……いびつになるというか」
「それも意識朦朧のなせる技です。これで決まり」

「『大人の日』とは、こどもの日の反対であるからして、五月五日を逆にしろという示唆ではないかと考えられる」
「日付を逆にしろというのは、よく分かりませんなあ」
「関係者の中に、さつきという女性がいたはずだ。そこからヒントを得た、つまり答を知り、そこから逆に辿ったという、ある意味インチキなんだが、まあ、過程はどうでもよかろう。犯人が分かりさえすればいい」
「さつきとは、海津うみづさつきさんのことですね? 嫌な予感がしますので、予め申し上げておくと、彼女の名字は『うみづ』であって、『かいづ』ではありません。ましてや、『かいつ』などとんでもない」
「何だ、そうなのか。しかし、濁点は些細な違いであるとも言える。捨てるには惜しい説だと思わんかね」

「これはきっと、横向きに読むんだ。そう直感した」
「横……読めませんが」
「文章じゃないんだ。被害者は数学者なんだろう? 『大』は『・1<』で、『人』は『<』、『の』は『6』、『日』は升目二つ分か、ローマ数字の3なんじゃないかな」
「要するに、数式だったと?」
「多分ね」
「で、誰を差し示そうとしたんですか」
「恐らく、人を暗示した物ではないね。死の間際、被害者の頭脳には神々しいような天啓が舞い降りてきた。数学上の何らかの難題を解く糸口だ。それをメモしただけだと思うよ」

「関係者に日本学院大学の学生がいたな。奴が犯人に違いない」
「何故です」
「犯人は、被害者が『日大』と書き残したことに気付いたんだ。関係者の中で、日大、即ち日本学院大学に関わりのある者は一人だけ。これはまずいと考え、文字を書き足した訳だ。『日大』の文字が、半紙二枚に跨っていたことが、犯人には幸いしたんだな」

「難しく考えるのがいけないんだ。『大人の日』はそのまま、『成人の日』と見なせばいいのさ」
「成人さんを犯人だとする説は、真っ先に出ています」
「……」

「被害者は数学者にして、パズルマニアでもあった」
「そう聞いていますが、それが何か」
「私が考えるに、ダイイングメッセージとやらも、実はパズルなのだ。『日』を二つの四角と見なし、それぞれの中へ『大』『人』を入れる。すると、『因』と『囚』になる」
「ほう。それで?」
「因は原因、換言すればこの事件が起きた理由であろう。囚は文字通り、囚人を表す。想像をたくましくするに、被害者は実は前科があり、服役経験があるのだ。そして出所後、刑務所で知り合った仲間と組んで大仕事をやらかした。そのときのお宝を独り占めしようとしたために恨みを買い、こうして殺された。――どうかね、この考え方は」
「……お引き取りください」
「何だ、『の』に関しては聞かないのか? 独創的な解釈ができるんだぞ!」

「犯人は二人。大野おおの入田いりたです」
「……理由を伺いましょう」
「『大人』とある半紙は、裏から読むんですよ。すると『人』は『入』になる。こうしてから半紙二枚を並べて、横方向に読むと『大の』と『入日』。『の』が平仮名なのは、漢字では画数が多いため。『日』は『田』の書き掛けだったんです」
「それだと、『田』の書き順が滅茶苦茶になりますが」
「死にかけてるんだから、そのぐらいの混乱は当然でしょう」

「考え直してきましたわ」
「またあなたですか。ま、行き詰まっているので、聞くだけ聞きましょう」
「英語ですわ」
「英語?」
「『大人』はマン。女性ならばレディですけれど、亡くなった数学者先生は男性でしたから、ここはマンでよろしいでしょ?」
「はあ、まあ、よろしいというか何というか」
「『日』は当然、デー。これを結び付けると、マンデー。すなわち、月曜日に関係のある人物が怪しいと思いますの」
「……あなたは誰が怪しいとお考えで」
「名前に月の字がある望月もちづきさんか、少し捻って、設楽したらルナさん。でなければ、帽子の“半月屋”を経営するはらさん、あるいはフルムーン旅行を目前に控えた重田しげたご夫妻という線も捨て切れないわね」
「……三日月湖の写真集を出された、カメラマンの星山ほしやま氏はどうですかな」
「ああ、彼も入れていいわね!」

「文字だと思うからいけないんじゃないでしょうか。思い込みのせいで、誤った解釈をしていた」
「文字じゃなければ、一体何だと?」
「絵ではないでしょうか。たとえば『大』は植物が芽吹いたところ、『人』は伏せたグラス、『の』はロールケーキ、『日』は戸棚、という風に」
「ユニークなお考えですが、犯人特定につながるとはとても……」
「でも、何かの意味があると信じてます。だって、南向きの窓のそばには鉢植えがあって、その横には水やりのためのコップが伏せてありました。台所の食器棚の最上段には、ケーキがありましたし」

「思うんですが、半紙に書いたこと事態を重視すべきじゃないかと」
「興味深いご意見です」
「半紙は半分死ぬ、半死に通じます」
「……うーむ」
「これは、メッセージの半分を捨てろ、という意味ではないでしょうか。『大』を縦に半分にすると、片仮名の『ナ」ができる」
「……まあ、よしとしましょう」
「同じく、『人』は片仮名の『ノ』。『日』は片仮名の『ヨ』」
「元からある『の』はどうなります?」
「平仮名が一文字だけあるのは浮いているから、これは漢字に変換します。それも、他の三文字がほぼ左右対称の形であることに合わせて、左右対称の漢字を探さなくてはいけない」
「……どんな字がありましたっけ」
「『埜』です。これを縦に半分にすると、『木』と『ヒ』。『木』だけが漢字ではバランスが取れないので、片仮名に似た字を探すと、これは『ホ』でしょう。こうして浮かび上がったのが、ナノホヒヨの五文字。これだけは意味をなさないので、人名らしくなるように並べ替える。たとえば、日野菜穂代ひのなほよとか」
「そういう名前の人は、関係者にはいませんね。いや、五文字をどう並べようとも、該当する名前の人物はいない」

「別解を思い付きました!」
「何だって?」
「あ、いや、とにかく聞いてください。裏向きではなく、上下逆なんですよ! 『大人』は『YYT』を重ねて書いた物を、上下逆にしたら、ほら」
「……『の日』は?」
「そっちも同じです。『B』が角張ったのが『日』、逆さの『の』は、筆記体の『I』なんです」
「で、意味は」
「まだ考えて、いえ、分かりません。もしかしたら、『の日』は、裏向きを左に九十度倒すのかも。この場合、『e』と――」

「主任」
「何だ」
「えーと、どれにします?」
「俺は疲れた」

           *           *

 数学者はじきに訪れる運命も知らず、喜々としてその作業に没頭していた。
 パズルマニアでもある彼は、今日のパーティの出席者全員の名前を使い、言葉遊びをしようと思った。各人の名前を分解し、別の言葉にする。いわゆるアナグラムである。
 全員分の名前を別の言葉に組み替え、それらを元に暗号をこしらえた。パーティの余興のためだ。
 試行錯誤と確認に使った半紙を処分し、未使用に終わった半紙の多さに満足しながら、数学者は一人、悦に入る。
「暗号そのものは割と楽に完成した。逆に、名前のアナグラムに苦戦したな。文字通り、苦しい解釈の言葉が結構あるのが、些か無念である。だが、なかなかよいのもある。渡辺達代わたなべたつよ君が『ツナ食べたわよ』、火野直人ひのなおと君が『大人の日』、板垣いたがきアリア嬢が『イタリ――」
 そのとき、一人の男が部屋に入って来た。ノックがなかったことをとがめず、数学者は彼を笑顔で迎えた。頭の中にあるパズルの出来映えに、それだけ酔っていたのかもしれない。
「火野君、どうしたんだね? 退屈なら、もう少しだけ待ってくれたまえ」
 火野と呼ばれた男は入室時の勢いそのままにずんずん進み、数学者のいる机に近付く。数学者は、外の荒天のせいで自分の声が聞こえなかったものと判断し、同じフレーズを繰り返そうとした。
「火野君」
 続きはなかった。
 倒された数学者は、何が起きたのかを完全には把握できないまま、痛みの元に手をやり、血で濡れた指先を見た。
「『大人の日』……」
 薄れ行く意識の中、数学者は曖昧な口調で呟き、そして手を密かに動かした。

           *           *

「――という訳だ、火野直人」
 勝ち誇った口ぶり、顔つきで、刑事が言った。相手を指差し、さらに続ける。
「被害者が残した『大人の日』とは、おまえを示すものに他ならない。大人しく――『大人の日』が大人しくとは皮肉だな――大人しく犯行を認めて、白状しろ!」
「……」
 火野直人はしばし絶句した。その後、こう発言した。
「説得力がまるでありませんね」

――終

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