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親愛なるビクトル・エリセ―ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』



Ⅰ  『PERFECT DAYS』の謎

 1月、ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』を観たとき、不思議に思ったことがある。

 主人公の平山(役所広司)は、毎日、仕事の休憩時に神社に行って、お気に入りの木を見る。そして、フィルムカメラで木漏れ日をモノクロ写真におさめる。お気に入りの木の若芽をもらってきて、鉢に植えて育てたりもする。平山にだけ見えるホームレス(田中泯)は、木の枝をしょっている。

 木を愛する平山は、どこか木の精霊のようなのだけれど、ヴェンダースはなぜ、こういう設定にしたんだろう、と思っていた。

Ⅱ ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』を観て

 1 カメラのような絵筆

 2月、スペインの映画作家ビクトル・エリセの30年ぶりの新作『瞳をとじて』が公開された。公開に際して、エリセ作品を見直した。1992年公開のドキュメンタリー『マルメロの陽光』を観て、ヴェンダースは、『マルメロの陽光』への30年越しの応答として『PERFECT DAYS』を撮ったんじゃないかしら、そう思った。

※ロペスの「死」の場面は、予告編の1分4〜6秒、マドリードのテレビ塔は1分13〜15秒、マルメロの復活は1分54〜56秒あたりに登場します。

 『マルメロの陽光』は、マドリード在住の画家アントニオ・ロペスが、定規を用いたりマルメロの実に印をつけたりしながら、マルメロの果実を、果実に映える陽光を、油絵の具を使ってキャンバスに正確にうつしとろうとするさまを描いている。目の前の事物をそのままキャンバスにうつしとろうとする行為は、映画を撮ることのメタファーとなっている。

 カメラなら、マルメロの陽光を一瞬で写すことができるのに、ロペスは絵筆をとり、何日もかけて、果実に輝く陽光をキャンバスに描き出そうとする。しかし、マルメロの果実がじょじょに熟してくることもあって、思うように筆は進まず、マルメロの陽光を描くことは諦めてしまう。そして、油絵からデッサンに切り替えるのだ。

 2 死と復活

 冬になり、マルメロの果実が腐り始めると、ロペスは果実を描くのをやめる。同じく画家である妻のモデルになり、ベッドに横たわり、目を閉じる。寝たふりをしていたはずが、本当に眠り込んでしまう。ロペスは死体のように見える。マルメロの果実の死と軌を一にして、ロペスじしんも「死ぬ」のだ(予告編の1分4〜6秒)。

 春になり、マルメロの木が新しい実をつけ出した様子を描いて、映画は終わる(予告編の1分54〜56秒)。マルメロは死から復活しており、ロペスもまた、死から復活し、今年もまたマルメロの実を描くだろう、と暗示している。 

 3 マルメロの精霊

 ロペスは、自らマルメロの木をアトリエの庭に植えている。マルメロの木がお気に入りで、マルメロの陽光を忠実にキャンバスにうつしとり、マルメロの実の死とともに、自らも死す。ロペスはマルメロの精霊のようでもある。

Ⅲ ヴェンダースとエリセの応答関係

 1 ヴェンダース、『マルメロの陽光』に応答する

 カラフルな油絵の具を使って、キャンバスに果実に映える陽光をうつしとろうとするロペスと、フィルムカメラを使って、白黒のフィルムに木漏れ日をうつしとろうとする平山は、どちらも木の精霊のようであることも相まって、非常に似通った存在である。

 『PERFECT DAYS』の平山は、スカイツリーのお膝元に住んでおり、スカイツリーが繰り返し映し出される。一方、『マルメロの陽光』では、繰り返しマドリードのテレビ塔が映し出される(予告編の1分13〜15秒)。

 『マルメロの陽光』は、テレビ塔のあるマドリードに住む、プロの画家を描いていた。ヴェンダースは30年越しに、正確には31年越しにエリセに応答して、スカイツリーのある東京に住む、写真が趣味の清掃員を描いたのではないか。『PERFECT DAYS』は、『マルメロの陽光』へのオマージュではないか、そんな気がするのである。

 2 エリセ、『ベルリン・天使の詩』に応答する

 いやいや、そんなこといわれても信じられない、という方もおられるだろう。そこで、1992年の『マルメロの陽光』から、1987年のヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』に遡ってみたい。 
 
 『マルメロの陽光』では、ロペスが傍らに置いているラジオから、ドイツ統一のニュースが流れている。マドリードのテレビ塔も何度か映し出される。ドイツ統一は1990年のできごとなので、撮影されているのが1990年であることがわかる。

 『ベルリン・天使の詩』は、壁で東西に分断されたベルリンを舞台に、天使が人間を愛し、人間になるのを描いている。天使は、ベルリンの戦勝記念塔から下界を見下ろしている。

※予告編の最初の10秒をご覧になると、ベルリンの壁、戦勝記念塔に座る天使(ブルーノ・ガンツ)が登場しています。

 エリセは、『マルメロの陽光』で、ドイツ統一のニュースが流れているシーンを入れ、マドリードのシンボルタワーとして、テレビ塔を映し出した。そうすることで、分断されたベルリンで、天使が戦勝記念塔から下界を見下ろしていた『ベルリン・天使の詩』にオマージュを捧げたのではないか。

 ヴェンダースは『ベルリン・天使の詩』で、観客に映像の手紙を出した。エリセは『マルメロの陽光』で、あなたの手紙を確かに受けとりました、とヴェンダースに応答したのである。

 3 断絶を共有する

 ビクトル・エリセは、スペイン内戦の傷跡を描いてきた映画作家である。長編第一作『ミツバチのささやき』(1973)では、独裁政権成立という現実から逃避し、ミツバチの飼育に没頭する父親や、共和派の昔の恋人に手紙を書く母親、共和派の生き残りの脱走兵を精霊と勘違いし、彼が殺されることでショックを受ける次女アナが描かれる。夫婦に会話はなく、内戦を契機に、夫婦の仲が断絶していることがわかる。

 長編第二作『エル・スールで』(1983)では、スペイン北部に住むアウグスティン(オメロ・アントヌッティ)は、自分の父親と仲違いし、南部の故郷にずっと帰っておらず、内戦で精神的に断絶した親子が描かれている。

 ひとつの国が精神的に分断された苦しみを描いてきたエリセは、『ベルリン・天使の詩』で、ひとつの国が物理的に分断された悲劇を描いたヴェンダースに、あなたと問題を共有している、というメッセージを送っていると考えられる。

 4 ヴェンダース、『エル・スール』と『ミツバチのささやき』に応答する

 エリセへの応答として、『PERFECT DAYS』があるとすると、『PERFECT』の中の設定やシーンが別の意味を持って浮かび上がってくる。

 平山のもとに、姪のニコを引き取るために妹(麻生祐未)が運転手つきの車でやってくる。平山が裕福な家庭の出身であることがわかる。さらに、妹の台詞から、平山は父親との間に確執があり、長いこと父親に会っていないこともわかる。平山は、身近な人々に無償の愛を注ぐ存在だが、そんな平山も、父親のことだけはどうしても許せない。妹が、父親も昔とは違うから会いにいって欲しい、と二人の仲を取り持とうとしても、頑として受けつけない。
 妹が平山に贈る菓子から、平山の実家は鎌倉にあるらしいことがわかる。親子の物理的な距離はたいしたことがないにも関わらず、親子の精神的な距離は計り知れない。

 エリセは、『エル・スール』で、内戦でフランコ側に立つか、共和派側に立つかで対立し、南部にいる父親と絶縁状態にあるアウグスティンを描いてみせた。アウグスティンもまた、乳母がいることからもわかるように、裕福な家庭の出身である。『PERFECT DAYS』は、この『エル・スール』の設定を引き継ぎ、日本のアウグスティンを描いてみせたのである。

 さらに、平山と、行きつけのスナックのママの元夫(三浦友和)の影絵踏みのシーンがあるが、エリセは、『ミツバチのささやき』で、二人の少女が手で影絵をつくって遊ぶさまを描いている。『ミツバチのささやき』における、少女二人の影絵遊びを、『PERFECT DAYS』における、中年男性二人の影絵踏み遊びへと転じてみせたのである。

 『マルメロの陽光』で、あなたと問題を共有している、というメッセージを送ってくれたエリセに、ヴェンダースは、『マルメロ』だけでなく、エリセの仕事をさらに遡る形で応答していると考えられるのである。

Ⅳ 映像の手紙のやりとり

 こうしてみると、映画作家は、自分と問題を共有していると感じた作家に対して、映像によるラブレターを出しており、自分宛ての手紙に気づいた作家が映像で返信していることがわかる。

 今は、「いいね!」ボタンを押すだけで、共感したことを示せる、便利な時代になった。けれど、映画作家は、安易な共感を即座に示したりはしていない。エリセはヴェンダースに5年越しのラブレターを出し、ヴェンダースはエリセに30年越しのラブレターで返事しているのだ。

おわりに

 とまあ、こんなふうに考えると『PERFECT DAYS』を観て感じていた疑問が私なりに解決されたし、一度しか観ていない『PERFECT DAYS』を反芻することで、二度楽しめたような気もした。

 みなさんは『PERFECT DAYS』を観て、ああ、これはこの映画作家への応答だ、とお気づきになられましたか? 
 私は、noteの長沢朋哉さんのレビューで、ジャームッシュの『パターソン』と共通性があり、『パターソン』へのオマージュだと考えられる、そう教えられました。
 そういう気づきがあれば、noteに書いてくださるとうれしいです。読んでみたいです。

※『PERFECT DAYS』の1月に書いたレビュー、及びビクトル・エリセの新作『瞳をとじて』のレビューは、以下のリンクからとべます。
1月のレビューでは、『ベルリン・天使の詩』の焼き直しであり、小津安二郎の『晩春』や『父ありき』へのオマージュになっていることを書いています。
ご興味を持たれた方は、ぜひお読みください。


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