見出し画像

『お母さん、あたしってADHDみたい』

タイトルのような問いを
昨年娘から受けました。
「?」
今年26歳、親元を離れ6年。
横浜で1人暮らししながら、なんとか自活を頑張っている娘。

我が家の一人娘について、
お話したいと思います。


1.男の子みたいな女の子

とにかく、落ち着きがない。
娘がじっとしてないので、小学校の先生からは
「先生の横に座りなさい‼️」と言われ、他の生徒たちの方を向いて
一人だけ、やけに目立つところに机を置かれたりしてました。

一人っこゆえ、協調性を身につけて欲しいと加入させた、地域の子供劇団でも、
「お母さん、この子はもう少しおとなしくして貰わないと…💧」と、
劇団の方から苦情が出たりして…😣

ただ、私は初めての子育てで、子供がそもそも「どうあるべき」とか
「どう育てるべき」とか全くわからず、
いつも叱り飛ばしてばかりだった気がします。

ただ、娘がまだ良かったのは、賑やかさからか友達もたくさんいたし、恐らくは他人の迷惑になるような事が少なかったのかもしれません。

かなりのやんちゃ娘でしたが、私は涌き出るオキシトシン(愛情ホルモンと言われてるそうですね)に日々操られながら、
我が子がなんだか他の子と違うなんて微塵も思わず、
「これはウチの子の強さなんだ」と、信じて疑わない、ちょいおバカな母親でした。


2.あなたの記憶に残りたい

先に書いたとおり、娘が小学校2年の時、協調性を身につけて欲しいと思い、
地域の小さな児童劇団に加入させました。
俳優を養成するようなリッパなところではなく、
月謝は1500円程度で、みんなでワイワイやるような感じ。
娘のこの頃からのモットーは
「あなたの記憶に残りたい」
はい😅
十分記憶に残ると思うよ。
たぶんね😅


3.お芝居やろうかな

高校卒業前で、そろそろ進路をどうするかとなった頃、
意外にも勉強が出来ていた娘。
「高校教師にでもなろうかな?
なんか楽そうじゃん?」
は? 勉強大嫌いなハズだが…😅

めちゃくちゃ安易な気持ちで進路を決めようとしていた娘が、突然
「やっぱり役者目指そうかな‼️」と、
急転直下。

動機はまたまた簡単😅
子ども劇団での活動を続けているうち、
お芝居って楽しいな。
みんなで創りあげるのが楽しいな。
そんな風に思ったからだと…😅

たまたま我が家の近くに、仏教科でありながら、保育士育成、そしてお芝居を教える短大があり、
そちらの主催する地元での舞台に出演させて貰った事もあり、
人前に立つ事の面白さを知ったようなのです。

高校卒業後はその短大に入って、演劇の勉強や歌・ダンスのレッスン。

2年生の後半になると、演劇科ではオーディションを受ける時期となり、
毎年恒例のように、生徒たちの大半は、あの「劇団四季」へ履歴書を送ります。

まあどうせ無理さ、と思っていたところ、
書類審査合格の通知。
その後横浜あざみ野にある
劇団四季研究所にて本選のオーディション。

あんな有名なところでオーディション受けるなんて、良い経験さ、なんて言っていたところ、
なんとびっくり‼️
合格通知が…

受験者約1500人中合格者は40人。
なんとまあ、ゆるゆるで生きて来た娘にとっては大変な事件でした。
もちろん、親にとっても。

とにかく、短大は上を下への大騒ぎ。
成人式の時には市長が顔を見に来たりして、
「ラッキー‼️合格したわ」と、単純に喜んでいた娘ですが、回りからの重すぎる期待にプレッシャーを感じ、
「お母さん、劇団四季行きたくない…」と…。

私は劇団四季のファンでありましたが、どれだけ大変なところかを少しは知っていましたから、
何が娘に一番良いのか悩みましたが、学校側から「とにかく行ってみなさい‼️」と、強く圧して来たものですから、
とにもかくにも、行ってみようかって事て、
1年間の「劇団四季研究生」としての生活が始まりました。

地方でゆる~い子ども劇団に入り、短大でもひたすら楽しさだけを追って来た娘。

娘の同期には、有名音大卒業の坊っちゃん嬢ちゃん、三つ子の頃から親の仕込みでダンスや歌、バレエを習って高校進学さえせず一心に芸事にいそしんで来た子たちも。

そんな子たちと、同等にどれたけやれたのか?
もちろん力量の差は歴然とあったかと思いますが、
一番必要なはずの「熱量」が娘には足りなかった。

『なんちゃって合格』だったとしても、そこからの努力の度合いを一番とする劇団四季としては、
娘は少し足りないものがあると判断したのでしょう。
1年後の入団試験で落ちてしまいました。

娘は悔しいものの、どこかほっとしたようです。
プレッシャーからの解放
自分としては精一杯頑張っての結果
清々しささえ感じたと…

それよりも、他の同期生の、執念にも似た上達への想いに、
自分が生きる道は、ここではないなと、
思い知ったようでした。

劇団側も、娘の迷いに気づいていて、「もう一度チャレンジしてみなさい」と、声を掛けて下さいました。

何より、娘にとって宝物となったものは、
非常に意識の高い同期生との出会い。
「劇団を去っても、彼らに負けない自分であろう」という気持ちは、
いまだに持ち続けているようで、
娘にとっては本当に貴重な経験となりました。

な~んとなく「お芝居楽しい」で目指してみた演劇。
どうやら自分には向かないと、その後は全くの異業種の仕事を始めた娘。

でも、演劇との出会いは娘に色々なものをくれました。
短大の演劇の先生曰く
「お芝居やる子は絶対にグレない」

お芝居によって、自分をまっすぐ表現する力がつくのでしょうね。


4.お母さん、あたしってADHDみたい

昨年、娘が帰省した時、娘が
「お母さん、私って育てにくい子どもだった?」と。

「?」

「変わった人、とか、ユニークな人」と周囲に言われるそうで。

別にいつもひょうきんに振る舞っている訳じゃないし、
特に人間関係でいつも苦しんでいる訳じゃない。
ただ、なんだか「生きにくい」と。

他の人が決めた規律や約束事がきつく感じたりする事があり、
ネットでADHDの診断チャートをやってみると、
どうやらズバリだったらしく、本人なかなかショックを受けた模様。

でも、母親の私はなんだかホッとしたような、不思議な感覚。

子供の頃から、
やれ落ち着きがないだの
忘れ物が多いだの
宿題やらないだの
生意気だの
集中力足りないだの

さんざん言われて来て
娘としては「ふつーにやってるだけ」
私は「私の子育てが間違っているのだろうか」と、悩みに悩み、
夫と育児についてのケンカもしばしば。

だけど、こう言ってはナニだけど、
「私のせいじゃなかった」と、
不思議に笑いが出てしまいました。

ここに来て、本当の意味で娘を理解できた気がしたし、
娘のつらさも、なんだか理解できた気がしました。

子供の頃から落ち着きなかったけど、昔からクラスに一人はいる、目立つやんちゃな子。
ウチの子供は単にそういう子なんだと思って
精神科にかかる事もしなかったし、
私の教育が悪かったのかと、
そう思って来たけど、これは娘が生まれ持った個性だったのですね。

人の目を気にしない
やたら前に出たがる性格は、破天荒で荒削りに見えて、
親としてはハラハラしたものだけど、そこは親バカ😅

だいぶ心配だけど、成長するにつれ
「ウチの子はたくましいんだわ」なんて💧勝手に喜んでいたりして…。

それに、最近になって娘が告白したのですが、
高校は3年生になってからは、ほぼほぼ学校に行ってなかったようなのです💦

部活の演劇部とバトミントンの同好会には、授業はサボっていても必ず行ったと…😣

「今は笑い話よね」などと娘は言いますが、
さすがにびっくりしましたけどね😅
今なら、もう自分は一人前(と、思っているらしい😅)だし、
もう叱られなくて良い頃だと思って、告白したのでしょう。

成績があまり良くない事はわかっていましたが、学校からその旨の通知は親へは全くありませんでした。

娘が活動した事で、演劇部は盛り上がりましたし、
劇団の活動も先生方のご理解のおかげで、続けられていました。

娘を退学させるかどうかの職員会議もあったそうで、
今ごろ聞いて、ひっくり返りそうになりました😣

ただ、学業は最低ラインではあっても、自分のやりたい事に取り組む姿勢に、先生方は何かを感じて頂いたのでしょう。

県下ではそこそこの受験校ではありますが、
先生方のご理解ある判断(いいのかな~💦)に、
本当に感謝です。

親に連絡がなかったのは、生徒を一人前として扱って下さっているからとの事。
本当にありがたいです😊


5.「障がい」って言わないでよ

娘が自立してからわかったADHD。
世の中ではこれを「発達障がい」と呼ぶらしいけど、
名前を挙げて良いかはわからないが、
あの、ヒロユキ氏やホリエモン氏。
エジソンなんかもADHD。
前述の有名劇団の同期生にもいた。

知人の自立支援ボランティアの方曰く、
「世の中で(政治家を除く)リーダーの大半はADHDだ」と。

人の目を気にしない。
マイペース。
でも、周囲の理解があるならば、同調圧力なんてなんのそのの、この特性の持ち主は、
無敵かもしれません。

まあ、周囲の人の理解が難しいところなんですけどね😅


我が娘も、あの性格でよくまあ社会生活が送れるものだと思います😅

無意識にマイペースを通すことで
「この子はこんな性格。しゃあないわ」で、周囲の方に理解されているのでしょう。
それでも、営業の仕事をしている娘。
社内でもなかなかの成績らしく
「やることはやってるんだよ」と主張。
それでも、回りの人たちへの感謝を忘れないでいて欲しいものです。


3歳児の集団検診の時、小児科医の見立てで
「はい、発達障がいがありますね」と、
病院を紹介する紙っぺらを親に渡すシステムはいまだにあるのでしょうか?
ADHDは「障がい」らしいですね。
アスペルガーの人も似た感じかな?

世に「障がい」と言われる状態は本当に多くて、
私などが幼い頃は、通学できるレベルであれば少々みんなと違うからと言って、特段区別する事はなかった。
「特殊学校」なるものはありましたが、そのクラスの子達とも、普通に遊んでいましたし。

「障がい」という判定をする事により、体の不便さや差別から子供を守ろうと言うことでしょうね。
子供って、意外に残酷な場合があったりしますし…

その為の「紙っぺら」による線引き。

障がいと言う「病気」にするのは止めて欲しい。

娘は大人になって自分で気づき、「病気」という判断はなかったので、ある意味幸せだったのかも。

障がいが単に「個性」と呼ぶにはあまりにもキツイ場合はもちろんある。

 芥川賞を受賞された、市川沙央さんの、
「ハンチバック」はショッキングだった。
重度の障がいをお持ちで、ただ生きている事が体の負担になると…
その苦難から生まれた強さ。逞しさ。
「私は堂々❗生きているのよ」と叫ぶ強さに感動したものです。

「障がい者」または「発達障がい」と判断された人が、なぜわざわざそのようなハンデを持って生まれて来たのか。

私は、社会において彼らのその果たす役割が大きいからだと、思っています。

大多数が優しい態度で、表だった差別をしない日本人は、
同調圧力で押さえられているだけで、裏差別は絶対的に存在していると思います。

表だって目立たない為に、欧米に比べたらかえってその対策や考え方に、遅れがあると思います。

私たちは、障がいを単に彼らの「個性」として受け入れ、
仲間として受け入れて行くべきです。


なんてね~😅
エラそうに述べちゃいましたが、
障がいがあろうとなかろうと、
健常者でも変わった人もいれば、
病んでる人もいて。

線引きすること自体がおかしい訳で。
かく言う私めも、娘から
「お母さんも、なんかおかしくね?」なんて言われておりまして😁

 「うるさいなあ、これは母さんの個性なんだよ❗」
ってことで。
はい‼️失礼しました~✨

あ、
娘ですが、
どうやら色々な人たちの、
記憶に爪痕、
残しているようですね😁

色んな意味で😁


子供の頃の目標達成っ‼️

てことで、
長々語りましたが、結局は親バカ記事になりました😁

大変失礼‼️


おしまい🙇🙇












この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?