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地方銀行指導部〜田舎エリートたちの選民意識〜第一話


ー はじめに

突然だが、私がパワーハラスメントに伴う長時間労働のために、過労で倒れ、うつ病を患ったことを拙著を読んでいただいた方は、ご存じだと思う。

私の銀行員生活は、言うまでもなく、うつ病を境に大きく変わる。
それまでの私は支店の最前線で数字を追いかける叩き上げの銀行員であった。昭和のモーレツ社員よろしく、銀行と支店の業績のため、お客様に喜んでもらうため、身を粉にして働いていた。

いや、褒められること、認められること、そして何より、支店内で私の発言力がどんどん増していくことに、言いようのない快感を感じていたのだ。

だからこそ、その自分の評価を落とさないように必死に働いた。

平日は仕事を持ち帰ることは当たり前だった。営業時間中に稟議書を書く暇が惜しかったからだ。
決算書類の顧客情報を切り取り、持ち帰っては自宅でせっせと資料をつくり所見を書いた。
それを小さく小さく折りたたんで靴の中に入れて出勤し、さっさと稟議を書き上げ、上席に回付し、外回りに精を出していた(持ち帰りは規定違反)。自宅には立派なシュレッターまで購入していた。

土日祝日は暇さえあれば、既存先、新規先問わず、会社のHPを部み漁り、社長や実権者のSNSアカウントを探し、話のネタを探った。
担当先のイベントには必ず参加したし、ゴルフや接待も断ったことがなかった。
担当先の業界研究は欠かさなかったし、朝刊は地元紙と全国紙、専門紙を合わせて四部とっていた。

家族は、特に妻は、私が仕事に並々ならぬ意欲を抱いていることを承知しており、見守ってくれていた。
彼女がどんな想いで日々過ごしていたのか。私には想像する必要があったのだが…。

ともかく、私は順調に銀行内での地位を固めつつあった。
本部専門部署との協業でM&Aや大口の法人保険獲得などの実績を上げていると、自然と本部上層部にも名前と顔が売れる。

同期の中でも、トップ集団にいると密かに自認していた。
このまま仕事で成果を上げ、顔を売り続ければ、いずれ本部から声がかかるだろうと確言があった。実際、支店長から、そのようなことを匂わせる発言を受けることもあったからだ。

そして、その時がやってきた。
結果、わずか一年で私はうつ病を患い休職する。
それとは知らず、意気揚々と伏魔殿へ踏み込んだのだった。
これは、その物語である。

今から書くのは、私の体験をもとに創作したフィクションであり、実在の人物・団体とは関係がないことは書き留めておく。

二〇二四年六月某日

一 約束された未来

異動先での私のミッションは、行内の研修や勉強会の企画・運営だ。
通常、銀行内での一般教育研修は人事部が行う。また、専門性の高いものは、適した部署が適宜行う。
しかし、私の勤める銀行では独立した人材育成専門のチームを作っていた。少数精鋭の専門チームとすることで、より人材育成の効果を高めることを企図したものだった。各部署から要望を聞き、優先順位の高いものから企画、運営を行うのだ。
また、そこで発掘した優秀な人材は人事部へと報告される。
その性質上、このチームは別名"指導部"と呼ばれていた。

私は若手行員向けの研修担当に任命された。
研修といっても内容は多岐わたる。
例えば、若手の法人営業担当者のための集合研修や資産運用担当者向けのロールプレイング、新入行員たちのフォロー研修、女性幹部育成研修などだ。
これらの研修は指名研修であり、平日の業務時間中に行われる。
また、自由参加の勉強会も一部主催しており、平日の業務時間後や土日を利用して開催することもある。

今までは、支店長のプレッシャーに耐えながら、同僚部下たちとともに、歯を食いしばり、目標達成に向けて、試行錯誤する日々だった。
それはそれで楽しかったが、いざ本部勤務が決まると、数字から解放された気分になった。
いままで、かなりの重圧を感じていたことに今更ながら驚いた。

まったく畑違いの仕事ではあったものの、"指導部"はこれからのステップアップが見込める部署だった。
"指導部"出身のボードメンバーも複数人存在する。

「小西はさ。これで大なり小なり、偉くなるよ。」
送別会での支店長の言葉に、謙遜しながらも、まんざらではない気持ちだった。

支店から本部への異動は、人事発令日より前倒しで行われることが暗黙のルールであったため、早々に引き継ぎとあいさつ回りを済ませた。転勤初日を迎えるまで、感傷に浸る暇もない。あっという間にだった。

県庁所在地の一等地にそびえる本部ビル。
いくつもの銀行関連会社の本社機能が集い、当行の中枢といわれる 十一階建てのビルだ。
普通の行員は十階までしか足を踏み入れることは許されない。
十一階は頭取以下の役員室となっているのだ。
そのビルの九階が私の仕事場である。
グループ長、次長、他五名、そして私。他に、スタッフが五名という陣容だった。

グループ長は総括であり、決裁者である。
次長以下は実際に、企画運営を行う。
また、担当する研修の内容は、おのおのが企画書を作成し、スタッフを除く全員で協議する。全員の同意が得られてはじめて、企画が通り、準備に着手できるのである。
そして、研修当日は全員で運営を行う。主となる担当だけでなく、グループ長はじめ、全員が何らかの役割を与えられており、総出で研修を成功に導くのだ。

さて、この"指導部"の新人"指導者"は初日に人事担当役員の元へ挨拶に赴くことが慣例となっている。
研修では、開会にあたり、役員連中からお言葉を賜るため、新たに赴任した者はグループ長とともに、役員室へ赴くのだ。

エレベーターに乗り込むと、グループ長がカギを取り出し、パネルに差し込む。すると、十一階を示すボタンに、他の階層のボタンと同じように光が点る。
私は緊張していたし、高揚もしていた。
役員と接する機会が多い部署だとは聞いていたが、これからも頻繁に役員との接点があるらしい。

エレベーターのなかでグループ長の言葉を思い出した。
「小西。お前は言葉を発するなよ。お前が発言を許されるのは、常務から質問があったときだけだ。簡潔に答えろ。あの人は、おしゃべりだが、自分より下の人間のおしゃべりは大嫌いなんだ。」もとより、緊張しているので好都合だ。
しかし、人事担当役員が、目下の者の話を聞くのが嫌いというはいかがなものか、と思ったが、今の私には関係のないことだ。

エレベーターが十一階に止まり、ドアが開くと女性が立っていた。
同期の女性だった。もう、十年以上、秘書室に在籍している。立ち振る舞いは、如何にも大企業の秘書といったもので、私に一瞥をくれると、グループ長に笑顔を向け、こちらへどうぞ、と先頭に立って歩きだした。

常務は毛量多いの頭髪をきれいなロマンスグレーに染め上げ、七三分けにした、一見すると物腰の柔らかそうな小柄な紳士だった。
グループ長に聞かされた話から想像した人物と、目の前に立っている初老の男性から受けるイメージがあまりにもかけ離れていた。

促されるまま、着席すると、私の経歴を根掘り葉掘りきかれた。旧帝大卒の常務は私の出身高校や大学などにはまったく興味がない様子だ。
彼が興味を持ったことは、私が仕えた支店長たちだった。
私は過去に九人の支店長に仕えたが、ひとりひとりの経歴と人物評を長々と聞かされた。
ただただ、相槌をうつのみであった。

ふいに常務が私を見据えて言った。
「今の銀行は絶対的な収益の柱だった貸金で稼げなくなりつつある。だからあれこれやる。例えば、投信残高を積み上げ信託報酬で稼ぐ。貸金と同じストック商売だな。目先の販売手数料ではなく、こちらに注力していく必要がある。ソリューション提案もそうだ。とにかくフィーを稼ぐ。」
そんなことはわかっている。だから、研修や勉強会を奨励するのだろう。実際稼ぐのは現場の人間と本部のフロントの人間だ。それらを鍛えるのが、我々のミッションというわけだ。

常務は続ける。
「そして、並行して働き方改革だ。表向きは従業員のワークライフバランスだ、業務の効率化だ、と言われているが、この時流に乗って、銀行は時間外労働を実質、禁止するつもりだ。」

私は驚きを隠せなかった。当行の定時は一七:三〇だ。
しかし、定時に帰る行員など皆無である。おおくのものが三六協定に違反しないよう、ギリギリに時間外申請を調節していたくらいだ。

特に法人営業担当者は帰りが遅い。
彼ら彼女らは支店の貸出金を伸ばすことが最大のミッションだが、個人ローンやクレジットカード獲得、投資信託、保険の販売、その他、ソリューション提案を求められる。

仕事を獲ってくればくるほど、さらに忙しさは増す。稟議書作成や付随事務も爆発的に増える。しかし、銀行ではミスは絶対に許されない。しかも、ミスが発覚すれば、自分の評価が落ちるだけではない、支店の業績から減点されるのだ。
追い詰められて、事務ミスや案件の握りこみを行う人間を嫌というほど見てきた。
とにかく、到底定時に仕事が終わるとは思えなかったし、モラルハザードが起こる可能性が高いと感じた。
現場の行員は悲鳴を上げるだろう。業務時間中の密度をさらに上げ、成果を出さなければならない。しかも、時間外労働を禁止されれば、手取り収入は減少する。

常務はさらに続ける
「銀行は稼げなくなる。だから稼ぐ手段を増やさなければならない。
その前に、今から行員を鍛える必要があるんだ。今やっている業務を定時までに片付ける能力がなければ、プラスアルファは生み出せないからな。早く帰って、自己研鑽に励んでもらう。休日出勤も認めない。」

「もちろん事務改革も同時にやる。無駄な事務を一掃する。しかし、まずは人だ。人材だ。」

そして決意を示すように私を睨みつける。
「大きな反発が予想されるだろう。特に昇格の見込みのない支店長代理や課長クラスからの反発は大きいだろうな。
成果も上げず、やる気もない、時間外で金を稼いでいた運中だ。時間外手当を当然のように受け取り、不相応な生活している。そんなやつらは資金繰りが悪化するだろう。そのへんは、組合に抑えさせるとして、大事なのは若手だ。」

「バブルが崩壊して以降、就職氷河期を経て、当行の年齢分布はいびつな状況だ。近年、慌てて採用人数を増やしたから、なおのことアンバランスだ。だから、若手に銀行の考え方を理解させ、早急に戦力化することが非常に大事になってくるわけだ。ついてこれない連中もいるだろうが、そんなやつらは正直言っていらないんだよ。辞めてもらって結構だ。
つまり、君には期待している。責任は重大だが、やりがいはあるだろう。」

私は戦慄した。ここまでのプレッシャーを受けたことがなかったからだ。当行の生き残り戦略の一端を担う。考えすぎだろうか。
本部に転勤が決まった時、数字のプレッシャーから解放されると思ったが、ここではそんな甘い考えでは生きてはいけないのだ、とはっきりわかった。

常務はエレベーターまで見送りにきた。
「そうだ。働き方改革。これは本部行員も同じだからな。君たちはただでさえ帰りが遅いんだ。定時はさすがに無理だろうが 二〇時には帰宅するように。」グループ長が引きつった顔で頷いた。

"指導部"の今年度のスケジュールは既に決まっている。
年度のおわりに次年度のスケジュールは細かく決めてしまうのだ。
一番の理由は、会場を抑えるためだ。外部施設はもちろんだが、本部ビル内の会議室や講堂はどんどん予約で埋まっていく。

私の担当研修は来週の土曜日に予定されていた。今日が月曜日なので約二週間後だ。

初仕事の内容は、各地区から選抜された二年目行員向けに行う一年の長期研修だ。
月に一度、各支店から本部ビルに呼び寄せ、銀行業務全般の知識を叩き込む。そして最後の月は本人の適性や希望に合わせて、各々専門部署に一ヶ月間にわたり研修派遣する。

第一回は自己紹介や今後一年間のスケジュール、研修期間の過ごし方などを伝えるといった簡単なものだ。
この研修の年間スケジュールも大まかに決まっており、詳細は私が企画することになる。
本番は第二回以降だ。
そう思っていた。

私の直属の上司は年齢も近く、今回、私が担当する業務を過去担当しており、彼が私の指導役であった。
彼は、若いころから"指導部"の指名研修の常連であり、また、年を重ねるにつれて、講師役にも抜擢されるような人物だった。
営業実績を上げてのし上がったタイプでなく、若手時代からのこの部署へ貢献してきた「覚えめでたい」人物だったわけだ。

ほぼ全員が似たような経歴の持ち主であり、初めから、どこか冷ややかで、秘密主義であった。

私は、若手研修のほかに課せられて業務があった。
会計である。
とにかく、会場を借りるにも、外部講師を招聘するにもお金がかかる。終日研修であれば、食事の手配も必要だ。県内外からやってくる行員の交通費精算もある。
備品代も馬鹿にならない。
つまり、この部署で行うすべての事柄にかかる資金管理を一手に引き受けるのだ。
銀行から予算は決められており、年間スケジュール計画には資金計画も盛り込まれているため、他のメンバーが主となる研修についても、資金の準備は私が行うことになっていた。

第二話に続く

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