二元論を否定したがる人の卑怯さについて(2566文字)

たとえば「今晩はお肉にしよう」と決定することで、
肉以外の可能性は捨て去られた・・・といえなくもない。
しかし実際は「肉以外を捨て去った」のではなく、
「肉を選んだ」にすぎないのだが。

ものは言いよう。

善悪二元論を否定して、
善悪は単純なものではないといいたがる人たちの主張の大半は、
何かを選ぶことでしか前に進めない状況で、
選ばれなかったほうに肩入れした情報だけを提供することで、
選ぶこと自体が悪かもしれないと、イチャモンをつけているだけである。

いうまでもないが、選ぶこと自体に善悪などありはしない。
お肉を選んだ人はお魚を捨てたわけではないし、
果物を好む人は野菜を嫌ったわけではない。

まあ、そのへんは数学Aで教わることだから割愛する。
本格的に知りたい人は分析哲学を、
感覚的に知りたい人は古典仏教を、それぞれオススメしておく。



・・・たとえ善悪が相対的なもので、
二元化して単純に語れるわけがなかったとしても、
善でも悪でもないと言い張ることで、何が得られるのか?

たとえそれが悪であっても、選ばなければ進めない。

豪雪なり地震なり台風なり口蹄疫なりコロナなりで甚大な被害が出たら、
赤字国債ガーなどと言わず迅速に予算を割いて対処しなければ、
善悪二元論ガー単純化ガー多様性ガーなどとほざく間に人が死ぬ。

迷うこと自体は悪ではないが、間違えても善ではありえない。
100年迷って結論を出した人、一瞬も迷わず同じ結論を出した人、
どちらのほうが「 現 実 的 に 」必要なのか?
あるいは有益であり、悪からより遠い存在=善であるのか?



「さまざまな意見があって多様な価値観ガー」

うん。
で。

意見が割れたからというだけでお前は、
「殺人は善かもしれない、善であってもいいかもしれない」
とほざくのか?

道徳心ってのは多様性を殺さなければ成立しない。
秩序ってのは悪だと決め付けたものを排除しなければ存在しえない。
悪という多様性を二元的に排除しなければ、弱者なんか守れはしない。



多様な意見がある、だから何なんだ?
どのみち何かを選ぶことで、
それ以外を選ばないことを決めることでしか、人間は前に進めない。

さまざまな情報がある、だから取捨選択が大事だと?

それは違う。「絶対に」違う。




お前は、善悪を単純に二元的に判断することを否定した。
つまりお前は、二元論を選ばないこと「を選んだ」。

お前も所詮は神ならぬヒトなのだから、選んだもの以外は選べない。

善悪の単純な=最終的な判断をいちいち混乱させて、
多様性ガー可能性ガーとほざくのは、
「そんなことは既に考えたうえで判断・決定している」相手に対して、
今更すぎる蒸し返しでもって妨害しているだけなのだぞ?

お前が正解を、あるいは次善解を選べないほど愚劣である事実を、
他人様まで同じように愚劣であるという認識の根拠にするな。



ものの判断は単純なほうがいいに決まってる。
いちいち迷いたいのか?
いちいち悩んで時間を無駄にしたいのか?

学校の勉強は詰め込み教育だとほざく阿呆は、
逐一自力でゼロから情報を見出して考察・検証して、
人類史に存在した英傑や先哲の遺訓を活用せず、
矮小なる自分の独善でもって、この世界を渡り歩くつもりか?

何のために単純化されたのか、
どれだけの「結果的な無駄」を経てその結論に至ったのか。

お前が知らないというだけで、僕らは知っているのだから、
今更多元的に考えることだけが正義だなんて、
中二病のガキみたいなことを言わないでくれ。



殺すのは悪だ。いかなる理由があろうとも悪だ。
その前提を覆していい道理はない。

その悪をどのようにして享受して、
都合よく殺して生きるのかという問題があるのみで、
殺すこと自体を否定するなら、
ヒトは植物ですら食うことはできない。

木から落ちた果実だって、
土中の微生物のエサになるのだから、
土中の微生物さんを殺さなければ、ヴィーガンはやれない。

人間が生きるために植物と微生物を殺すのがヴィーガニズムだ。

そこにある善悪なんて、一つだけだろ?
他の命を殺さなければ生きられないのが動物であり、
それは動物の定義だ。

すなわち動物とは、生きているだけで悪だ。

だが動物が悪である定義に逐一立ち返って、
私は生きているだけで悪だ、殺してはいけないというなら、
人類はおろか動植物すら、あらゆる生命は死滅すべきだろう?

背が高い樹木のせいで下草は枯れ、
食虫植物のせいで昆虫が殺されるのだから、
「植物ですら、他者の生存権を侵害しなければ生存できない」。



どうあがこうが「殺さなければ生きられない」なら、
ではなぜ殺すのかを知り、
必要もなく殺してはいけないと知り、
必要であっても殺すこと自体を正当化してはいけないと、
そう学んだうえで、
殺すことは悪だと、二元論的に割り切らなければ、
「まともに」生きていけないだろう?

殺すことは悪だという結論を選ぶことで、
殺すことは悪ではないかもしれないという詭弁を捨て去り、
「殺人罪と法治主義」がこの世に、秩序と安全として顕在化する。



ものごとは単純に考えるべきではない?
違う。

ものごとを単純化するために膨大な努力と無駄を経て、
あれこれ悩もうが何かを選ばなければならないのだから、

「悩むために可能性を模索する」のではなく。

「選ぶために可能性を模索する」べきなのだ。



二元論を否定したがる人種の愚劣さは、
悩むために可能性と証した願望を垂れ流すこと。

選ばれなかったほうに感情移入するorさせることで、
選ばれたほうと選んだ奴を悪党呼ばわりして、
自分が主導権を握ろうとしているにすぎない。

そんなガキみてえなことは、
ガキのうちに済ませておいてくれ。



僕は以上のことを毎回説明するのが面倒だから、
ものは単純に考えるべきだと主張する。

お前が悩んでいる程度のことは全て承知したうえで、
お前が多様性と称した寝言で、
悩むこと自体が目的と化した愚劣さを主張しにくる、
その未来を覚悟したうえで、
二元化を悪だと結論づける人種に向かって、こう言うのだ。

「勉強しろよ。」

「思いて学ばざれば」ってことくらい紀元前で既出だぞ?

2000年以上悩み続けた先人から何も学べていないから、
お前は未だに2000年以上前の人類にすら満たないのだ。

悪いのは二元論ではなく、
二元化させる必要性を理解できないお前の、
悩むこと自体が目的と化した、取捨選択のできない愚劣さだろう?