池江璃花子と努力の話(2292文字)

彼女には興味も恨みもないけど、
僕にとっては当たり前すぎる科学的事実の周知徹底のために書いておく。

第一に、スポーツはほぼ100%が才能の世界だ。理由を説明する。


運動能力、いわゆる運動神経のよさを決める要素は2つあって、
筋肉の性能と、神経や循環器(心肺機能)の性能だ。

実際に体を動かすパワーは筋肉が、
より適切かつ効率的な動作をしろという制御は神経がそれぞれ発揮し、
必要ならば心肺機能が、燃料としての酸素を体に供給するわけだ。

神経(脳)と心肺機能は訓練次第である程度伸びるが、
まずこの時点で才能の壁がある。

小学生のドッジボールを見ていればすぐわかるが、
投げるのがうまいのは圧倒的に男の子で、女の子は弱いしヘタクソだ。
もちろん、性差もあれば、個人差もある。

神経を駆使して体を動かす能力、
いわゆる「センス」の部分にも、明確な才能ってのはある。
こればかりは恵まれた人と恵まれてない人の両方を見た人にしか、
納得しにくい話かもしれない。



だが第二に、筋肉の領域はもっと残酷なほど、才能で決まってしまう。



神経の性能を除いた筋肉そのものの性能を決める要素は4つあり、

・筋繊維の太さ
・筋繊維の本数
・筋繊維の種類(パワー・スピード型 or スタミナ型)
・疲労のとれやすさ


 筋 繊 維 の 太 さ 以 外 は 、

 全 て 遺 伝 的 に 決 定 さ れ る 。

 努 力 で 覆 す こ と は 絶 対 に で き な い 。

唯一例外があるのは、
筋繊維の種類における「パワー・スピード型」は、
訓練次第で「バランス型」にになれる。

しかし「スタミナ型」は努力をしても「バランス型」にはなれない。

特にオリンピックの陸上を見ていれば、
フルマラソンのような持久力競技を除けば、
男も女もムキムキマッチョ(な黒人)しかいないことを考えれば、
まあ察しはつくと思う。

あれが現実なんですよ。

「筋肉が多くて筋肉が強くて疲れがとれやすい人」でなければ、
スポーツの世界では純粋な「物理量」が少ないせいで、負ける。
それらは全て遺伝で決まる。

だから「英雄色を好む」だの「さすがあの人の子だ」だの、
優れた体力や技能を持つY染色体の保存は、
あらゆる国にとって必要不可欠だったわけよな。
ヒトの本能は伊達ではない。

女はX染色体しか持たない都合で、
任意の性質を子に遺伝させるのが難しいが、
男としての性質はY染色体が決めるわけだから、
親の特性を残したいならY染色体基準のほうが「楽」なわけよ。



総合すると。

筋肉の特徴が遺伝的に恵まれた人が、
神経系のセンスにも恵まれ、
かつ必死に「正しい」努力をした結果が、
オリンピックの決勝戦なのです。

筋肉とセンスに恵まれただけでは勝てない。
努力をして磨かなければいけない。

だが筋肉もセンスもない人が努力をしても勝てない。

かのウサイン・ボルトは骨格に問題を抱えており、
走るフォームがメタクソなことで有名だが、
それでも彼は人類最速の座についたことで知られているように。



繰り返すが、池江璃花子には興味も恨みもない。

彼女がそのポジションゆえに努力の価値を語りたかった、
あるいは語るべきだった、
その程度のことだって重々承知している。

だがスポーツの世界で夢が叶うとすれば、
努力よりも才能のほうがよほど重要なのだ。



仮に身長4mの運動オンチなデクノボーがいたとして、
バスケをやれば英雄になれるのと同じこと。

体操選手は体格が大きくなるほど、
物理的に不利(いわゆる「二乗三乗の法則」)になるせいで、
キャリアハイが成長前の10代になりがちだし、
総じて背が低い人ばかりであるのも同じこと。

フィギュアスケート選手も体操選手と同じで、
生理的に成長してしまうと不利だから、
キャリアハイはだいたい10代のうちになる。



努力の価値ってのは、
「自分の上限に近づくことができる」というだけ。

努力で増える才能なんてものは、ない。

経験を積んで洞察力や判断力を獲得することで、
肉体的パフォーマンスでは劣る相手にも勝利する、
いわゆる「ベテラン」という存在もいないわけじゃない。

だがそんな彼らだって、
トップになれるほどの肉体的素養を持たなかったというだけで、
スタートラインにつける程度には、十分に恵まれている。

体質的に恵まれない、筋肉すらついていないガリガリな男女が、
スポーツの世界でヒーローになれたことなんか一度もないだろ?

技と呼ばれる動作を実行させるのも速度と力で、
速度と力を生み出すものは筋肉であり、
その筋肉を制御するのは神経であり。



努力が必ず報われるというのはウソなんですよ。
少なくともスポーツの世界では。

まあ、アイシールド21とかはじめの一歩とか、
才能の限界を説く名作漫画を読んだほうが、
よほどはっきりと現実が見えちゃう、そういう話ではあるよな。




僕は子供たちにスポーツや筋トレや格闘技を教えてきた。
男の子にも女の子にも、主婦にも、老人にも。
だからわかるのさ。

努力が万能なら、受験や勝負に敗者なんかいねーんだよ。

努力は「お前の理想像」と比較した際のマイナスを減らせるだけだ。
理想像に至るためのプラスを増やすものではない。

顔がいい女はモテるだろ?
胸が大きい女はモテるだろ?
努力すれば変わるか?

背の高さも、筋肉の量や質も、
生まれ持った知能の高さも、努力でどうにかなるか?




・・・・・というド正論を喋って、誰か幸せになるか?

誰かが喋らないと、こういうバカげた、今更な誤解が生じるけれども。

教えてくれというなら、
交通費宿泊費食費次第でどこにだって行くし、
誰にだって、何だって教えるのが流儀だからこそ言わせてもらう。

「才能がなけりゃ努力しても無駄」なんだよ、上記を要約するとな。