ある種の潔癖症

昼間は仕事をしていることと、帰宅後の時間的余裕があまりないため、毎日放送されているラジオ番組をradikoのタイムフリー機能を使って休みの日にまとめて聞くことをやるようになりました。
その木曜日放送分でのトークの中で、リスナーからの届いたメールを紹介していました。

「若い人の食べ物の行動が理解できない。鍋を他人とつついて食べられない。他人の手で握ったおにぎりは食べられない。普段どんな生活をしているのかと疑いたくなる」

パーソナリティーの二人は
「そのとおり、同感同感、太田道灌」
「おはぎだってダメでしょ。鍋なんて別にいいだろ」
「神経たかりよ」
そんなことを言っていました。ちなみに「神経たかりよ」は北海道弁で「変なところで神経質だ」という意味です。

んー、でも、なんとなくその気持ちはわかるんですね、なぜか。

自分は鍋を他人とつついて食べることはできるし、他人の手で握ったおにぎりも気にせず食べられます。
その一方で、一人暮らしを長らく続けていると、他の人と一緒に鍋をつつく回数は減るし、おにぎりはコンビニなどで買うことが増えました。そうなると、おのずと“他人と一緒に”という経験がなくなるわけで、免疫みたいなものがなくなるんだろうな・・・という想像はつきます。そう考えると、他人と鍋をつつけないのも、他人の手で握ったおにぎりが食べられないのも、ある種の潔癖症なのかもしれません。そういえば、同じ理由でつり革につかまれない人もいるみたいですし。

それはさておき、この番組中で自分は「神経たかりよ」に思わず反応してしまいました。
北海道弁にも流行り・廃りがあるし、世代によっても使う言葉・使わない言葉があります。自分の世代で「神経たかりよ」を使う人はおらず、50代より上の世代でも使う人はそう多くないはずです。半ば死語になっている言葉がいきなりラジオから出てきて、パソコンの前で思わず吹いてしまいましたとさ。

(お読みいただきありがとうございました。内容に共感していただけたら心付もお願いします)

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