死にたいと言う気持ち

祖母は抗がん剤を打ったその日から2,3日は非常に調子がいい。
食欲もあるし、何かと積極的にやろうとするし、何より明るい。孫ながらうちのばあさんは可愛らしいなと思う。
がしかし、副作用がおおよそ3日後ぐらいに現れる。すなわち発熱だ。そうなると食欲も落ちるし、彼女の気分も落ち込む。
「ああ、死にたい、死にたいわぁ」とぼやく。

伯母(祖父母の面倒をみると言って毎月乗りこんで来ている)は自他共に認めるママっ子なので、毎晩私をダイニングに呼び出し「今日おばあちゃんがこんなこと言ってた・・・」と世界の終わりみたいな顔をして嘆く。
私とて、祖母のがんが見つかってから暫くは毎晩例えようのない重苦しい感情を抱えて涙していたが、もう今となっては「無駄に悩んでこっちが暗い気持ちでいる方が祖母に迷惑」と思っているので、毎度(かなり)冷たくあしらっている。マイナスの感情に同調すると自分の気持ちも重くなってしまうので、ある意味自衛だ。伯母そのものが嫌いと言う訳ではないので、悪しからず。

「死にたい」と口にすることについてだが、実は言葉の本来の意味ほどの意味はない、というのを私は知っている。というのも私もつい最近までは「死にたい」が口癖だったからだ。

多くの場合、勿論、うつ病の方や本当に不条理な環境にいる人をのぞくが、
「死にたい」というのは、「今のこの状況が早く終わって欲しい、よくなって欲しい」という気持ちの裏返しだと思っている。私はまさにそれだった。
祖母の場合でいけば、ほんの半年前までなんでも自分でこなせていたのに、今や日常のちょっとした動作もままならない時がある。特に、夜中のお手洗いでちょっと漏らしてしまった時など、「もう、本当に、情けなくて情けなくて・・・」と肩を落とす。(それをまた裏で伯母が「夜中いついつ漏らしてた」であるとか「おばあちゃんがこんなになって悲しい」とか言うのも、たちが悪いな、と思っている。本人の前で言わなくても伝わってしまうものだ。特に親であるなら)
元どおりになって欲しい。そうでなければ、早く終わりにしたい。そう言う気持ちに、特に副作用のでる期間は体調も悪いためか思うようだ。

孫である私にできることといえば、「努めて明るく振る舞い、こちらが感情を押し付けない」ことだけだ。私が一緒に落ちこもうが明るく振る舞おうが、病状には影響しない。落ち込んで祖母のお尻周りの筋肉が復活するならいくらでもするが。だったらお気楽なくらい明るい方がいいだろう。私の分の心配は、伯母がしてくれるだろう。
これは他の状況でもかなり使えるテクニックだと自負しているのだが、気分の落ちている人を、絶対に無理に励ましてはならない。
「頑張りなよ」とか、「そんなこと言わないで」とか、決して言わないことだ。基本は凪のような気持ちで、「そっかぁ・・・」と言う。
心の病気でない限り、落ち込んでいる時期と言うのは晴れか雨なら雨の時、昼か夜なら夜明け前なんだと思う。よく言われることだけれどやまない雨はないし明けない夜もない。側にいる人にできることは、じっと静かに、それを待つことだ。焦っても夜明けは早くならない。

結局、人の心持ちはその人自身にしか変えることができない。
祖母の身の回りの世話や、ちょっとした気晴らしを提案することは私にはできるが、実際に気の持ちようや行動を変えるのは、祖母自身にしかできない。
「死なないで」と言うのは簡単だ。けれど、それは発言者のエゴの範囲を超えていない。
「死にたい、そうかそうだね、じゃあ死ぬ前に高島屋行こうか。この前そんなこと言ってなかった?」
この前そう返したら、「そうねぇ、高島屋でランチ、最後にみんなで行きたいわねぇ・・・」と呟いた。

そして今日はテレビを見て、「ねえまーちゃん、私これ今度食べたい。ケンタッキーの辛いの。買ってきて」と言い出した。
ちっとも死ぬ気のない様子の、私の祖母であったのだった。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!