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組織としての技術力とはなんだろうか

問い

"社内に一人だけ技術aに詳しい人が退職した。さてその会社は今も技術aを保有しているだろうか?"

前置き

最近良く考えることがある。「技術力のある組織は如何にして技術力のある組織になったのか」についてだ。
この問題は「個人の問題」や「組織の問題」が複雑に絡まり合っていて、問題の全容を把握することは容易ではなさそうだ。
しかし、最近一つの小さな答えを見つけたような気がしたのでちょっと書き出してみようと思った。
未だ全容の見えていない問題に対して、ほんの少しだけ一矢報いた気がした。この記事はそれを吐き出しただけのいわばスナップショットのようなものになる。
おそらく僕より良い答えを知っている人がいるし、その記事や本なんかももしかしたらあるのかもしれない。
僕は見つけられなかったので知っている人は是非教えてほしい。

ちなみに、僕は社会人になってまだ3年目。ようやく2年が経過したというところだ。
立場としてはリサーチャーでマネジメントなんてしていない。
経験が長い人からするとまだひよっこに見られるのは仕方ないし実際そうだと思う。
しかしベンチャーに転職したことがきっかけでチームビルディングに携わることができているのも事実だ。
以下の問題は妄想などではなく現場レベルで感じているということを強調しておきたい。
上記を承知の上で読んでくれると嬉しい。

本題 

前置きが長くなってしまった。
少しずつ僕が戦っている問題の輪郭をはっきりさせたい。

大きな問題のある一つの側面

以下のシチュエーションを一緒に想像して欲しい。

あるタスクがチームに降ってきた。そのタスクをこなすには技術aが必用。
チームメンバーの一人であるAさんだけがその技術に詳しい。
そのタスクはだれにやってもらうべき?

迷うまでもなくAさんにやってもらうのが普通だろう。だが僕はここに違和感を感じざるをえない。
Aさんにやってもらったその後を想像しよう。

Aさんはそのタスクをこなすことで技術aに対するスキルが向上した。
その後、技術aに対するタスクがまた降ってきた。
しかも今度は1つじゃない。小さな細かいタスクが何個も...。

これはだれにやってもらうべきだろうか。
もちろんAさんだろう。近い未来を最大化したい運用ならこう言うだろう。

「なぜAさんかって?そのほうが早いからさ。」

問題の本質

我々が直面する問題にはいつも「短期的に最大化」したいか「長期的に最大化」したいかという側面がつきまとう。
社会人になってあらゆる運用が「短期的に最大化」していることが多く見受けられる。これには何度も驚かされた。なぜああも頭のいい人が集まっていてそんなことをしているのだろうか...と。

僕がここで主張したいのは専ら、組織なら「長期的に最大化すべきだ」とうことだ。

そのチームのその後

さて、チームのその後を想像してみよう。

技術aのタスクは技術aに詳しいAさんに、
技術bのタスクは技術bに詳しいBさんに、
技術cのタスクは技術cに詳しいCさんに、
...
やってもらった。
みんなそれぞれの技術に精通している一流人材になりました。この会社は一流人材だらけで素晴らしいですね。

本当に素晴らしいだろうか。僕はそうは思えない。2つの事柄について考えてみよう。

1.  Aさんは技術aに精通しているのにも関わらず、技術aのすこぶる簡単なタスクもこなしている(Aさんの無駄使い )。
2.  Aさんが退職した場合、技術aのタスクはだれがこなすのか(技術的負債)。

1のようなことばかり行っていれば退職したくなるのも当然だろう。
数学で学位を取った人に算数の問題を解かせているようなものだ。
2が起こって実際なにがどうなったのだろうか?
話は簡単で、その会社から技術aがスッポリと抜け落ちて技術aがなくなってしまったのだ。

改めて問いたい。その会社は技術aを保有していたのかと。
僕はこの状況を「その会社は技術aを持っている人がたまたま働いている会社である」と表現したい。
会社としてその技術を保有しているの ではなく、あくまでも個人がその技術をもっているだけの状況であると。
(ドキュメントを残していればいいとか、様々な声があがりそうですが、そういった人は少なくとも上の状況はベストではないという視点で読んでいただければ幸いです)

どうすればよかったのか?

僕が常々悩んでいるのはまさにここで、じゃあどうすればいいんだ?と悶え苦しんでいる。エンジニア経験が長い人は詳しいのかもとか思いつつ、とはいえその問題を解決できている組織をあまり知らない。実際は多いのかもしれないが僕は知らない。

平等がいいのか?

では、1人が1つの技術を突き詰めていくのがだめだとすると皆平等な技術を持てばいいのだろうか?

これもあまり良くないだろう。特別高い技術を持っていない中途半端な技術者は僕の知る限りではあまり市場価値が高くないようだ。それと、個人的にこれは実につまらない。

これが好き

僕が理想とする状況は以下のような状況だ。

個人の得意な分野も伸ばしつつ、いろいろな技術にも触れて習得していく。そんな状態。

3つのモデル

これまで紹介したモデルをそれぞれ M1, M2, M3 として比較してみたいと思う。


M3
の存在の異質さに気づいてもらえただろうか。M3 は M1とM2で得られる成長を両方獲得している。これに違和感を覚えるということはおそらく、左の図から右の図に移行する際に伸びる面積は一定でそれを振り分けていると暗黙のうちに理解していないだろうか。ちょうど、レベルアップしたキャラクターにスキルを振り分けるゲームのように。

(縦軸は費やした時間ではなく、技術力を表すことに注意)
この理解は危うい。僕も時折この理解で話を進めてしまうことが多い。ポイントは、簡単な技術aのタスクをこなしている時、Aさんに技術的成長はないということである。

タスク難易度と成長について

もう語り尽されてきた話だろうが、今回のモデルと照らし合わせてタスク難易度と成長の関係について簡単にまとめる。

Aさんに降ってきたタスクが very easy だけであれば全く成長しないし、very hard タスクだらけなら退職間違い無しだろう。やはり、challenging レベルのタスクが一番楽しく働けるだろう。Aさんに降ってきた技術aタスクが very easy タスクだらけであればAさんはまったく成長しない。 
これだけわかればやることは明らかで、Aさんに技術aの簡単なタスクをさせなければいい。その空いたところに技術b, cの簡単なタスクを入れていまえばいい。

仕事をした時間は同じでもM3モデルの方が成長することになる。以下の図のM3が達成された。

本当にここまで簡単な話だろうか?

上の話はおそらく正しい。だがうまく行き過ぎている気もする。現実とのギャップはどこかにあるはずだ。
そもそもなぜ多くの現場でモデルM1に ならざるをえないのかを切り口に考えてみる。

技術a に関するタスクが降ってきたときの現場の取り得る行動をマインドマップでまとめてみた。それぞれについて簡単に紹介すると、

① Aさんの無駄遣いルート
② Aさんを無駄遣いせず、Bさんが成長するwin-winルート
③ Bさんが無理をするルート
④ Aさんしかできないかつ、Aさんが成長するルート

といった感じだ。今回の論点は、task a = easy の場合であるので、①②③ルートで話を進めていこうと思う。

Aさんにとって簡単なタスクは、
Bさんにとってchallenging?

Aさんを無駄遣いしないためには、Bさんにやってもらえばいい。そうなるとルートとしては、②と③が残る。②を選べるならすぐにでも選べばいい。しかし、②を選ぶことができたとしても①の方が早く終わるからと言って①を選ぶ場合もあるだろう。これはもう短期的に最大化する最たる例だ。最悪の組織。Aさん残業待ったなし。
僕が問題とするシチュエーションの輪郭が大分はっきりしてきた。まさに②のルートが取れない場合に①or③の選択肢を迫られるケースだ。

① Aさんがやると簡単すぎるが、早く終わる。
③ Bさんにやってもらうと hard すぎる、なにより時間がかかる。

上記のようなデメリットをならべると現場は当然のごとくルート①を取る。この①or③の分岐点で①ばかりとっていると、モデル M1 組織のできあがりだ。序盤で述べた「その会社は技術aを持っている人がたまたま働いている会社である」状態である。

組織としての病

では①or③の状況になったときどちらを選ぶべきなのだろうか。これにははっきりとした答えを用意することはできない。ここで専ら議論したいのは「そもそもそのような状況になってはいけない」ということだ。この状況が生まれた時点でそれはもう個々人の勉強不足であるとかそういった話ではない。もし、①or③がありふれていればこれは組織としての病に罹っていると考えるべきだ。
では①or③の状況が頻発しているときにはどうすればいいだろうか。ここだ。ここにいろいろな組織の文化が詰まっていると考えている。僕は今そこに猛烈に興味がある。どう勉強すればいいのか、、、どういったワードで検索すればいいのか、、、。
この①or③問題の重要性に気づいてから僕なりに対処をしてきた。少しずつだが成果も見えてきた。その方法とその方法を取った理由について話したい。

①or③問題に対する僕なりの反抗

①or③問題とはなんであるか?それは、Aさんしかできないタスクが存在した時にどのような対応が長期的な最大化になるか?という問題である。
僕の中では組織として下の図のようなことを行なうべきであると思っている。

文字に起こすと、

Bさんがほとんど持ち合わせていなかった技術a, 技術cを入門レベル終了程度の実力まで引き上げる。

となる。入門レベル終了程度というのがいささか定性的であるが、ようはBさんがaやcのeasyタスクをこなせればいい。これは、新人研修とか中途入社向けの研修などで行なわれることでもある。そういったことは研修でやっているから問題ない?。本当に現場で①or③問題が生まれていないのであればそのとおりで全く問題ない。上の図でやりたいことは結局②の選択肢を常に選べるような状態にしようということにすぎない。しかし実際は研修でaやcの技術について学んでも、新しい技術dで①or③問題が生まれたりもするだろう。

この問題に僕が取り組んだ方法はだれでも思いつく実にシンプルなものだ。

- Aさんに技術aの入門ドキュメントを作ってもらう
- Bさんに技術aを学んでもらう

これだけだ。実を言うとAさんが僕だった。僕にしかできない細かなタスクがたくさん僕に降ってきた。本来力を発揮したい難しいタスクには時間をさけなかった。そこで入門ドキュメントを作った。Bさんに学んでもらった。僕は本来力を発揮すべきところに時間をさけるようになった。Bさんはメキメキと技術aの技術力をつけていった。まさにモデルM3の完成だ。非常に簡単だが効果がとても大きい。

長期的に最大化するには

僕のとてもシンプルな解決方法を伝えた。誰にでも明らかで誰にでもできる方法だ。にも関わらず モデルM1 が至るところに見られる。なぜだろうか。上述した方法には、いわゆる「投資」という時間が含まれている。

- Aさんに技術aの入門ドキュメントを作ってもらう
- Bさんに技術aを学んでもらう

この時間はタスクが消化されるわけではない。Aさんの人件費がドキュメントに変わり、Bさんの人件費が技術aの勉強時間に当てられる。ここが精神的なハードルになっているに違いない。僕自信、「お勉強」というのを仕事の時間でやることに違和感がある。だが今回説明に使ったモデルではここに投資をしなければ組織がモデルM1になることは避けられない。僕は運良くこの問題に対して理解あるマネージャーの元で働けている。つまり、長期的な利益のために「投資」の時間を作ることが許されている。実際、本当に僅かな時間で作ったドキュメントをB、C、D、E...さんに読んでもらうことで全体のレベルアップができた。その空いた時間でやりたい研究に没頭できた。ドキュメントを作る時間は僕の時間が奪われれるがその後はドキュメントが働いてくれる(回収)。そんな感覚だ。

問いの答え

さてここまで長々と自分の考えを書いてきたわけだが、最初の疑問についてはどのような見解となるだろうか。

"社内に一人だけ技術aに詳しい人が退職した。さてその会社は今も技術aを保有しているだろうか?"

これは完全にモデルM1ケースを指している。僕の考えではこの組織はもう技術aを保有していない。

組織としての技術力とはなんだろうか

いよいよこの記事のタイトルについて話をすることができる。組織としての技術力とはなんだろうか。「あの組織は技術力aがある」= 「あの組織には技術力aを保有しているAさんが在籍している」 となってしまうのだろうか。会社は人でできている。では、会社からAさんがいなくなればその会社から本当に技術aが消えてしまうのだろうか。これは、モデルM1の組織であるならばそうであると言わざるを得ない。モデルM3ならどうだろうか。

モデルM3ステップ
1. Bさんが技術入門のaを終える(投資)
2. aの簡単なタスクをこなす(技術力アップ)
3. aのもう少し難しいタスクをこなす(技術力アップ)
4. 続く...

このようなステップを経験することでBさんは技術aに対しての技術力がAさんに近づく。もちろんその間もAさんは成長を続けているので、追いつくかもしれないし追いつかないかもしれない。この一連の流れは入門を終えたCさん、Dさん、Eさんにも共通して起こる。そして

このタイミングでAさんが退職した

場合何が起こるのだろうか。モデルM3の場合にも、技術aが失われてしまうのだろうか。いやそうではない。Aさんと同じことはできなくても、確実にB、C、D、Eさんにも技術aが受け継がれている。モデルM1よりも遥かにマシな状況である。少なくとも技術力aをこの組織は保有していると言って良いのではないかと思う。

組織としての技術力

上の例で示されたのはモデルM1では技術a が失われ、モデルM3では技術aが失われなかったということであった。M1とM3では何がちがったのだろうか。僕はこう思う。

それは、投資の時間を作ったのかどうかである。
それは「長期的に最大化」しようとしたかどうかである。

短期的な利益にばかり目を向けず、長期的な組織の繁栄をどれだけ真剣に考えて運用しているのかに限るのではないかと思う。結局のところ、それができるかどうかは会社が決めるのか、上司なのか、または小さなチームの全員なのかはわからない。少なくとも、その投資の時間がどれだけ大切かを問題として共有しそれを意識したような働き方が大事になる。これを全員で共有できたときそれは、チームや会社の「文化」と呼ばれるのではないだろうか。M1モデルの組織になるのか、M3モデルの組織になるのかは、①or③問題に対する対処の仕方で異なる。良い対処とは、「投資」を行なうことである。「投資」が当たり前だと思えるかどうかは、その組織の文化に依存する。

これらのことから僕は、
組織としての技術力とは、文化なのではないかと結論付けざるをえない。

これから

僕はこれからも、①or③問題に常に目を光らせようと思う。それが頻発しているチームがあれば自分のできる範囲で改善を試みる。組織としての病は放っておけば放っておくほど完治が難しくなる。その病は深くまで浸透し根深く変えがたい文化となるからだ。幸い、僕のいる組織はまだ若く症状が浅い。とにかく①or③問題が見つかるとそれは組織としての病ですと自分の影響を及ぼせる範囲で警報を鳴らし続けようと思う。

終わりに

生まれて初めて記事というものを書きました。ブログを始めたいというより、この悩みみんなはどうしてるの?僕はこう思うんだけどう思う?といった対話がしたいがためにブログを始めざるをえなかったといったところです。稚拙な長い説明に自分でも飽き飽きしていますが、ここまで読んで頂けて大変嬉しい限りです。ここで書いたことは世の中の組織はこうであるべきとかこれ以外にないということではなく、僕のほんの僅かの経験と僅かな知性だとこの問題はこう解決すべきだと思います。といった主張です。
繰り返しになりますが、これが正解だとは全く思っていません。是非、みなさんのご意見、参考資料を拝見させてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

おまけ

結局のところ、

技術力があるのはエムスリーなんだなと思った

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