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名言集が苦手

私事なのですが、先日、アフリカのルワンダ共和国という国へやってきました。これから2年間暮らしていく国です。

どこまでも緩やかな丘陵が続くため
「千の丘の国」と呼ばれている

とはいえひとまず、今日は名言集が苦手だということについて、こちらに記しながら考えてみたい。
私は自己啓発系の本は全体的に苦手だけど、特に名言集は苦手だ。最初に強調しておきたいのは、”私”が苦手なだけだということ。
実際にはこの手の本に勇気やパワーをもらう人もいることも知っている。そしてそれは素敵なことで単に好みの問題だ。というか問題ですらない。
そのうえで、私自信が名言集を苦手な理由を考えてみた。

言葉の意味は発する人によって変わる

名言集が苦手な理由としてまず思い浮かぶのは、言葉そのものだけで意味を捉えることなんてできない、と思っているからだ。
例えばこんな状況を想像してみてほしい。
アスリート体形のA君と、ふくよかなB君がいたとしよう。この両者がともに、「私は早く走ることができます。」と言った時に、あなたの頭に思い浮かぶ両者の走る速さは、違っていませんか?
きっと、A君のほうがB君より早く走っているイメージを思い浮かべるはず。そしてこれはつまり、同じ言葉でも、発する人によってその意味の捉え方が変わってくるということだ。
そして言葉の意味は、発された状況によっても変わるはずだ。好きなスポーツチームが負けたときの「悲しい」、受験に失敗したときの「悲しい」、愛する人と別れるときの「悲しい」。
どれも同じ「悲しい」でも、その意味、捉え方は変わってくる。極端な例かもしれないけど、確かなことだと思っている。
だとすれば、発した人のバックグラウンドや思想に触れる過程を経ずに言葉だけを切り取ったとしても、その言葉の本当の意味なんで分からないと思う。

言葉の意味は受け取る人によって変わる

同じように、言葉は受け取る人によって捉え方は様々だとも思っている。
例えば、私が大好きなロックバンド、スピッツの歌詞を見てみると、

片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた
待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳 
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ

スピッツ”ロビンソン”より一部抜粋

この歌詞を読んで、すべての人が同じ解釈になるでしょうか?
きっと解釈は様々で、どれが正解というものはない。詩は、その解釈を読む人に預けるからこそ、言葉の奥行きを味わえる芸術だ。
もちろん、これも極端な例。誰かに何かを説明する場面では、幅広い解釈を許す表現は適切ではないだろう。だけどだからと言って、同じ言葉でもすべての人がまったく同じ解釈というのはあり得ないと、私は思う。
きっとだからこそ、”表現”というものがある。伝える努力、理解する努力をしていくんだ。
ともすれば、それぞれの言葉の意味の捉え方の違いは、それぞれの価値観や生まれ育った環境によるものだということ、色眼鏡でものごとを見てしまうということだ。
レンズの色を薄くすることはできても、完全に透き通った透明にはならない。
だから名言集にのっているような言葉を、私は適切に捉えられる自信がない。発した人のバックグラウンドや価値観についての知識がない中であれば、なおさらだ。

そもそも人の考えなんて理解できない

私の考えでは、言葉の意味は発する人、受け取る人によって変わってしまう。言葉はコミュニケーション、対話だ。だから対話を作り上げていく人によって、できあがるものが異なることはまっとうなことがと思う。
同じ言葉を誰もが同じように理解することができたら、きっと人は人を思う心をはぐくむことをしなくなるだろう。
そして、そもそも、言葉というものは、人の心をどれだけ捉えることができるのだろうか。
私は、自分の心を正しく言葉にできた経験がない。心で思っていることは、言葉にした時点ですでにズレてしまっている。心という目に見えないものを、音や文字にすることには限界があると思う。
だから、もしも仮に、言葉の意味を完璧に理解すること(そんなことはありえないけど…)ができたとしても、そもそもその言葉自体が本心を捉えることができていない、と思ってしまう。
名言集にしても、そもそもその言葉自体が、発した人の本心を捉えたものなのだろうか。言葉だけが独り歩きしてるんじゃないだろうか。私はどうしても、そんな言葉に心は宿っていないと思ってしまう。
きっと誰も、人の心を完璧に理解することなんてできない。でも、だからこそ、人の心へ歩み寄る努力をしていきたい。優しくなりたいと思う。

まとめ

この記事を記していくにつれて、名言集を苦手な理由を、心の中で整理できた気がする。名言集うんぬん、というより、言葉に対する向き合い方を。
冒頭にも書いているように、これは私がそう思う、というだけの記事だ。きっと、自分を奮い立たしてくれるような、つらいときに支えてくれるような、そんな魔力を持った言葉を知っている人も多くいるだろう。私も、ここぞというときに勇気をもらう言葉を持っている。
ただ、私は言葉というものを対話の中で捉えていきたい。人の心を完璧に理解することも、言葉を正しく捉えることも、不可能だと思っている。
だから、相手に伝える努力をしていきたい。相手を理解する努力をしていきたい。
できるかぎりで、歩み寄っていけるように。きっとそれが優しくなるということだ。

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