やり直しながらでいい
昨日買った古本は、山岸凉子先生の黒鳥(ブラック・スワン)です。
山岸先生の短編がめっちゃ好きで、短編集をちょっとずつ集めてます。
先生が描く怖くて陰鬱で後味悪い話が、たまらなく好き。
長編はまだ読んだことがないので、そのうち挑戦したいところです。
2月に友人と会う約束があって、約束の時間が決まったので、さっそく書き込んでおこうとカレンダーを開いた。
予定を書き込み終えてふと見ると、2月の定期診察の予定がどこにもない。
つい先週1月の診察に行ってきて、2月の予約もしたのに、書き込むのを忘れていたらしい。
やってしまった…多分○日だと思うが、違ったらどうしよう…
しばらく悩んだ後、意を決して先方に電話をかけた。
「大変申し訳ありません。来月の予約日時を失念してしまって…」
「あ、そうなんですね。ええと、2月●日の●時からですよ」
「ありがとうございます、助かります」
「ほかにお問い合わせはないですか?」
「大丈夫です」
「はい。では、当日は気をつけていらしてくださいね」
通話を切って、心底ホッとする。
予約日時を忘れたけど、ちゃんと問い合わせできた。
忘れたことを放置しないで、すぐに対処できた。
小さな達成感が、わたしを満たす。
忘れたって平気なんだ。
訊けばいいんだ。
訊いて、今度は忘れないように書いておけばいいんだ。
予約日時を忘れたことでバカにされたり、笑われたり、怒鳴られたりしないことに、心から安堵する。
肩と腕がすうっと軽くなり、肺が胸いっぱいにたっぷり広がって息がしやすくなったように感じる。
誰もわたしをバカにしないし、笑わないし、怒鳴らないのだ。
誰もというのは、たとえばわたしの父。
たとえば、かつて勤めていた会社の上司。
あるいは、そういう周囲の価値観をまるごと継承しようとしていた、かつての自分。
絶対に失敗してはならず、やり直しは敗北で、助けを求めるのは卑怯なうえに惨めなことだと信じていた、かつての自分。
それが、たかが病院の予約日時を忘れないことであっても。
そういった些細で強固な刷り込みをひとつずつ消して生き直すためにも、今こうして生活保護を受けている。
ただ生きてるだけでかまわないし、生きるために裸になどならなくていい。
間違ったら修正すればよくて、予約を忘れた時は電話して教えてもらえばいいのだ。
何度でもやり直していいのだとたしかめながら、今日も生きている。