【インタビュー】路上ライブはメジャーになっても続けたい〜歌で人々を元気に Ahcoの追う夢〜
AhcoはVocal, Melodionのmugi(むぎ)さんとChorus, Guitar, DJのkogetchad(こげチャド)さん2人で組む音楽ユニット。
結成して2年、本格的に路上ライブをやり始めたのはほんの2ヶ月前だ。
機材一式はキャリーバックに詰めて持参し、歌う場所の設営も自ら行う。夏の暑い日でも準備に約20分、結構な重労働だ。
路上ライブの経験はまだ10回もない彼らだが「いまが本当に楽しいのです」と口を揃えて言う。
Ahcoというユニット名に込める想いは親しみ
Ahcoの名前の由来は日本語の「お茶」。ローマ字綴り「ocha」を逆さまに綴りなおすとAhcoだ。多くの人に味わい深く、親しみのあるユニットになりたいと思い名付けた。
レパートリーはオリジナル曲が7曲、カバー曲は10曲。幅広い年代の方にも支持してもらえるように昭和から平成初期のレトロな曲も歌える。
「年齢も性別もなく、幅広い人に音楽を届けたいと思っています。聞いている人が救われた気持ちや元気になるような歌を届けたい」その想いを熱く語る。
カバー曲に昭和から平成初期の楽曲が多いのは意図したのでなく、シンプルに2人のやりたい曲をやってきたからだという。
「2人がいままで、たくさん聴いてきた音楽の中で自分たちの心の内にずっと寄り添い続けている大切な曲たちをリスペクトを込めてカバーしています」
歌いたい曲を楽しく相談しながら決めているそうだ。
なごり雪
(1974年かぐや姫、作詞・作曲:伊勢正三、イルカによるカバーが有名)
タイミング
(1999年ブラックビスケッツ、作詞/森浩美&ブラック・ビスケッツ、作曲/中西圭三&小西貴雄)
春よ、来い
(1994年松任谷由実、作詞・作曲::松任谷由実)
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
子供のころから音楽と触れ合ってきた2人
むぎさん(女性)は長野県出身。子供のころからピアノを習い、高校から声楽を始めた。声楽の専門学校に通うために上京し、学校を卒業した後は、バイトをしながらバンドに所属、YouTubeで活動を発信していた。そのバンドが解散したタイミングでこげチャドさんと出会った。
こげチャドさん(男性)は千葉県出身。むぎさんと同じく子供の頃にピアノを習っていた。演奏会の時、最後に緊張してお辞儀をするのを忘れ、母親に叱られたことでイヤになってピアノを辞めてしまったという。その後、大学に進学したが、中退してバンド活動に集中。バンドが解散した後は、プロのMIX師※としてネットで顧客から依頼を受け生活している。
※注)MIX:MIXとは「ミキシング」「ミックスダウン」「トラックダウン」とも呼ばれ、複数の音源が録音された各トラック(音)のバランスや音色などをコンピューター上で調整する作業のこと。「DAW」と呼ばれるミックス専用ソフトを使い、複数の音楽音源を組み合わせて1つの音源にする。高度な知識が必要で、MIX師とはこの作業のプロフェッショナル。
ネットの掲示板がきっかけで音楽ユニットを組む
2人の出会いは現代的。こげチャドさんが音楽配信のネット掲示板でメンバーを募集し、むぎさんが応募した。
「前に一緒に活動していたバンドが解散し、また歌を始めたいな、と思っていた時に熱い募集の文章が目に留まったのです。添付されていた音源もとてもきれいで」と、むぎさん。
「募集して数人の方から応募があったのです。その時オリジナルの音源を送ってアカペラで歌って送り返してもらったら、とても声がきれいだったので一緒にやることに決めました」と、こげチャドさん。
それが2年前。結成してから最初の1年間は曲作りに専念していた。SNS配信を始めたのが2年目、機材を揃えて本格的な路上ライブを初めて行ったのは、ほんの2か月前、秋葉原が最初だ。
路上ライブに挑戦しようと思った理由
「路上ライブは聞いてくださる方に直接語り掛けられるからファンを増やすには欠かせないのです。SNSではリプライをくれたりフォローしてくれたりしてくれるけど、路上ライブでの触れ合いは画面越しにはできないのです」と語る。
最初の路上ライブの思い出を聞いた。
「最初の路上ライブは、本当に緊張しました」。お金を払ってライブ会場に来てもらって演奏するのとは違い路上は通り過ぎてしまう。「でもやればやるほど反応も良くなり、改善点が見つかって手ごたえを感じています」。
声の出し方、歌い方、ギター演奏の仕方、MC(曲の間の語り)そして、告知のやり方など路上ライブをやるごとにひとつひとつ課題をつぶしている。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
メジャーになるために立ちはだかる厳しい現実
現在路上ライブを行っているアーティスト数の正確なデータはない。かろうじて信頼できる情報源として参考になるのは、東京都生活文化スポーツ局の「登録アーティスト」の数だろう。それによると「パフォーマンス部門381組、音楽部門100組が登録しています」とある(ヘブンアーティスト事業)。
ただ、これも東京都の厳しい審査を合格した認定アーティストの数である。日本には、その数倍もしくは数十倍のアーティストが将来の夢を叶えるため活動しているはずだ。
その中でメジャーデビューできるのはほんの一握り。まさに運と実力を兼ね備え、千載一遇のチャンスを掴んだアーティストしか成功しない。
路上ライブから有名になった音楽ユニット達
ALEXANDROS
いきものがかり
ゆず
路上ライブから有名になったアーティストたちも一回一回のライブを大切にしてきたから。
いかにしてメジャーになるのか
路上ライブからメジャーになった経緯はアーティストそれぞれだ。例えば、Ahcoと同じ男女のユニット「いきものがかり」も路上ライブからメジャーへの切符を手に入れたアーティストだ。
いきものがかりは、小学校の同級生、水野良樹と山下穂尊が、1999年(平成11年)にアマチュアバンドを結成したのが始まりだ。ほどなくして女性ボーカリスト吉岡聖恵が合流し3人のユニットとなった。
路上ライブは小田急小田原線相模大野駅前やに本厚木駅、海老名駅周辺で行っていた。
メジャーになるきっかけは、厚木市にあるライブハウス「Thunder Snake ATSUGI」に音楽のプロデュース会社キューブのスタッフが来ていたことだ。
ある日、キューブ主催のレコード会社が集まるショーケースライブで、SonyMusic系列のエピックレコードの目に止まりメジャーデビューへの道が決まった。
いまはトップアーティストとして有名ないきものがかりも結成からデビューまで、途中解散しながらも5年の歳月を費やしている。
そして、
ライブ会場に音楽関係のスタッフが来ていた幸運もメジャーデビューのきっかけだ。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
Ahcoの話にもどそう。
Ahcoの今後の活動と夢
Ahcoは、今年秋に1stアルバム「i:Dea」をリリースする(11月5日)。全曲オリジナル曲で固めた渾身のアルバム。後は発注するだけの段階に来ている。お披露目会は、リリース当日の11月5日に下北沢のライブハウス「ろくでもない夜」で行う計画だ。
「1stアルバムの「i:Dea」には、私たちの結成から今に至るまでの想いをぎゅっと閉じ込めています」
「i:Deaというタイトル名には、”理想”という意味と、”出会い”という韻も含めているのです」
野望は、来年のサマーソニックに出ること。そこで一気に周知を広めてメジャーになることを企んでいる。
「成功しても路上ライブは続ける、広い場所を見つけてそこでやり続けたい」と夢を語るAhcoの2人。
これからの活動が楽しみ
Ahcoの路上ライブを真剣に聞き入っていた観客の一人がこう感想を漏らした。「ハモリがきれいだね。声の抑揚があって聞きほれていた。とても将来性を感じるよ」。また別の観客はこうまで言った。「将来武道館も夢じゃないんじゃない。俺は音楽は昔から詳しいんだ」。
Ahcoの歌声が彼らに届いたことは間違いなさそうだ。
夏の日曜日の夕暮れに1時間半のライブを追えたAhcoの顔には満足感が漂っていた。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
新曲オリジナル曲「フラオラ」
取材:みらいのびた
1966年 2月生まれ
1989年 地方国立大学理学部化学科卒業
1991年 同 修士課程修了
1991年 一部上場大手日用品メーカー入社
2001年 営業職に異動
2012年 製品安全部に異動
2023年 2月に早期退職
2023年~専業ライター
https://note.com/ezv02637/n/ne02f0706d8d0
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?