『蝦空千鶴がnoteをはじめて、わかったこと思ったこと感じたこと』千鶴のおしゃべりティータイム vol.1
ごきげんよう!
わらわは、“えぞっちぃ”こと“えぞりん”こと“えぞぴー”こと“千鶴姫”こと“姫君”こと“ちーちゃん”こと千鶴じゃ。
ひとよんで、蝦空千鶴であるぞ。
日本、そして故郷の北海道をこよなく愛する鶴である。
それにしても、実にあだ名が多くて困ったものじゃ。
『一体、お前のあだ名は結局一体全体何なんだ!?』なぞと問われても、
まあまあまあ……。それは豊富バラエティじゃ。
あんまりDQN過ぎるあだ名でなければ、大概OKじゃぞ。
わらわはこれでもかなり寛容なんでのぅ。
呼びやすいあだ名で呼ぶが良い。
はてさて、今回は、エッセイ的な何かをちょいと書いてみようと思った次第じゃ。じゃから、これを投稿する際には、登録タグに随筆およびエッセイはもちろん付けるのじゃが、まぁ日記も付けておくかのぅ。
コラムは……たぶん、なんか違うような気がする。
したって、コラムっちゅーもんは、主観で書いちゃあいけないべ?
であるならば、まぁエッセイぽいような、日記のような、ちょっとした軽い感想文的な何かじゃろう。
わらわ的には読まれる方々に、多少なれとも笑わせたい趣旨もないではないのじゃ。(じゃが、お笑いでは決してないぞ?)
……っていうか、読んでいて、おそらく一人や二人、
たぶん『ふふふ……』とか『プーックスクス』なぞと笑ってくれる奴がおるかもしれぬ。あるいは、鼻で『……ふっ』とかるーく嘲笑う奴もおるかもしれぬ。
この〈笑〉という、感情のプラスへの作用、これが少しでも、ほんの
0・1ミリでもあれば、わらわが書いた、この文章は娯楽すなわちエンタメことエンターテインメントということにもなる。とはいえ、わらわもこういうエッセイ的なのは初めてなんでのぅ。
うまく書けるかどうかは正直、わからぬ。じゃから、まぁ、これを読まれた方は、本当に気楽に、ふふふと鼻で軽く笑う感じで読んでいただければ幸いじゃ。……ってか気づいたんじゃが、わらわが、こんな検索ワードに、
いっぱい引っかかりそうな単語を書いていると、明らかに釣りじゃないかと思われてしまうが、そったらことでは決してないのじゃけれども、こうやって書いた瞬間にモノホンの魚の釣り、フィッシングからお怒りのコメントまで飛んできそうじゃが、これもわざとではないのじゃ。
申せば申すほど、切りがないの。失礼。本題とやらを初めま鶴。
☆ ☆ ☆ ☆
今回のテーマは、ずばり『蝦空千鶴がnoteをはじめて、わかったこと思ったこと感じたこと』じゃな。
わらわが誕生した記念すべき令和元年から、まだ、ひと月半しか経ってはおらぬが、様々な方に出会い、大変うれしいことに、フォロワーにまでなってくれた。本当にありがたい!
このnoteの利用者は心善き方々がたくさんおる。
そして、相手の話をよく聞いて、善き助言までくれたりもする。
普段の人間界で、喜怒哀楽という感情の壺に蓋をしめて、学校やら仕事やらに行き、ストレスという熱で、感情の壺が破裂しそうな時、
このnoteは、感情の壺を緩やかに冷ましてくれる。
それは利用者たちそれぞれが持つ、フォロワーたちの言葉の温もりなのじゃ。温もりなんじゃけれども、人間たちが持つ感情の壺を愛撫し、緩やかに冷ましてくれるのじゃ。わらわは鶴じゃが、
このnoteを利用していて、それを知った。
わらわのフォロワーどころかファンになって、善き友人にまでなってくれた方もおる。その方は繊細な心を持ち、普段から人々を元気づけるための音楽を創っておる。
そういった、わらわを応援し、勇気づけてくれる方の音楽はまた心地よく逆にわらわの創作意欲を高めてくれる。
☆ ☆ ☆ ☆
とはいえ、一方で、冷酷な輩じゃって当然おる。
すっげームカつく輩じゃっておる。挨拶しても、コメントしても、
気に入ったもの以外とは断固として話さないというものじゃっておる。
挙句の果てに、何も言わずに、わらわのことをNGにぶっこんできた奴じゃっておる。相互フォロワー同士では、おそらく、互いには一般論的に“良い人”なのかもしれぬ。じゃが、波長が違うと、“良い人”を演じることが極めて難しいのじゃろうな。
いつじゃったか……わらわのnoteに、『よろしくお願いしますぅ~』とか
書き込んだ奴がスキもなくフォローもしないで後に、
『興味ないし』とか『惹かれるものがない』とか抜かすGみたいな、
変なおばはんがおった。
そやつが“おばはん”なのか“ババア”なのかは知らんが、
わらわ的には、『じゃあなんでよろしくお願いしますなんて図々しくコメントしたのよ』っていう疑問もありはした。当たり前であろう。
じゃが、まぁ今となってはもうどうでも良いがのぅ。
☆ ☆ ☆ ☆
このようにnoteじゃって、自分と合ったもの合わないものというのはつきものじゃ。皆と全員と仲良くというわけにはいかんのじゃ。
仲良くしたいのは山々じゃが、それは理想論でしかない。
どうしても譲れない一線というのじゃってあろう。
考えや方向性、好きなことなどがあって、互いにフォローしあうのじゃ。
それは利用する側も理解せねばならぬ。
で。
わらわは、現在、三つほど……もっと実際には二つほどしか、作品らしいものは発表しておらぬ。更新頻度が、なまら遅いため、離れていってしまったフォロワーの方もちらほらいた。
それは本当に致し方ないことで、むしろわらわに原因があるのは言うまでもない。わらわ的には、去る者追わず、来るもの拒まずである。
じゃがそれでも更新頻度が遅いのに、わらわのことを待ってくれて、癒しのコメントをくれる、嬉しくて泣けてしまう。
音楽を作ったり、詩を書いたり、長編や短編小説、あるいは、自然や街やあらゆる風景の写真を撮っている方々がわらわのことを応援してくれることは、本当に心強いことである。
……まぁ……ちなみ言い訳をするわけじゃあないが、わらわが投稿する際には、カレンダーが大安吉日であることが条件、とか、
そういうわけじゃあないのじゃからな?
……か、か……勘違い……するでないぞ? (〃ω〃)
単純に、端的に言えば、ライトノベル(ラノベ)発展のための研究じゃな。わらわは日々ライトノベル発展のための研究に没頭しておる。
これは、わらわのプロフィールにも書いてあるとおりじゃ。
わらわ的には、これまで発表されてきたライトノベルを書くつもりは毛頭ないのじゃ。
目指すは、ラノベの無限の可能性の発掘と、複数得られる“モノ”じゃな。
そして、答えのない解釈じゃ。よって、何度も読み返したくなるようなラノベってやつを考案中である。
そのため、あらゆる書籍を読んだりしている。
え? わらわが作品をいつ発表するのかって?
え? はよ作品を投稿しろって?
……まぁまぁそう慌てるでない。
物事、大体そうじゃが、慌ててはならぬ。
ついでに、フォロワーがなかなか来ないからって慌ててもならぬ。
よく言うじゃろう?『慌てる乞食は貰いが少ない』とな。
……なんか、風の噂でちょいと聞いたんじゃがのぅ。
フォロワーがほしいために、ある人のところにいって、フォローをポチッとな? をやったはいいが、相手がウンともスンとも言わないから、
フォローを外して、で、さらになんですか、またフォローしてフォローを解除して、それをおっ繰り返し、たっ繰り返しやっていたら、
最終的にNGブロックされたんじゃって?
そんなん当たり前だべや!
そりゃあアンタこっちが挨拶して相手が何もウンともスンとも言わなくて反応がまったくナッシングじゃったら、それはつまり、
『いや、オメーに興味ねぇし、何度も連打するなやksが!』ってことなのじゃよ。それは理解せねばならぬ。
なのに、それを理解せず、どうしてもフォローして欲しいんですぅ~ってしつこくやったらそりゃあアンタ嫌われるに決まっとるっしょや。
もし、この文章を読んでギクッ ときた奴がおったら、
次回から気をつけるように。
☆ ☆ ☆ ☆
……まったく、そったらみったくないことをするでない。
聞いているわらわが恥ずかしいくらいである。
わらわを見習いたまえ!
あんた、わらわなんて、実質、作品を二つしか(それもなまら短いのを)発表しておらんのじゃぞ?
それでも、今はフォロワーが60を超えた。実際63で、上がったり下がったりはあるかもしれぬ。
大事なことは、やはり自らが出来る作品を定期的にでも良いから投稿することが大事なのじゃ。もちろん己のペースで構わぬ、とわらわは思う。
無理にする必要はない。無理にやってしまうと、己のストレスになり悪影響となってしまう。じゃが、くどいようじゃが、
自分からしつっこくフォロワーを追っかけまわし、とっ捕まえてやろうなぞと思うでないぞ?
フォロワーを追い求めれば追い求めるほど、逃げてしまう。
これもよく言うじゃろう?『お金と恋愛と○○は追えば逃げる』と。
この○○は読者でも良いし、それこそフォロワーでもよい、どっちみちそういうことなのじゃから。自分がけっぱってれば、追わずとも、
自然とフォローしてくれるのである。
もし相手方が自分をフォローし、励ましのコメントまでくれたら、ちゃんと御礼のコメントをすることが大事じゃな。
今回はこったらもんにしておくかのぅ。
まだまだ書きたいことはあるが、それはまた別の機会に。
……いや~それにしても、このnoteとやらは、面白きものじゃ!
このnoteの世界にはみんなが共通の世界と同じ空気におるのじゃからのぅ。利用者が持つ、喜怒哀楽とやらが渋滞を起こし、ぶつかり合って、
火花を散らすことなく、(……極たまあるが)
フォロワーたちが交通整理誘導をしてくれるのじゃからな。
違うのは、noteの天気じゃな。
noteの天気は、利用者一人一人違うということがわかった。
天候を左右するのは、己でもあり、フォロワーでもあるということ。
noteの天気を知るのは、ある意味で己しかわからぬ。
じゃが、noteの天気もまたバランスというものじゃ。
クリエイターであろうとも、華と同じように常に光を浴び続けていたら、枯れてしまう。時に、雨を浴びて、時に風に打たれなくてはならぬ。
そんな予報も予測も出来ないnoteの天気が、利用者それぞれで変わる、
というのもnoteの魅力の一つである、とわらわは思う。
(――了)
ということじゃ。
みなさまからの、感想コメントやフォローをお待ちしておりま鶴。
どうぞ、よしなにm(_ _)m
皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))