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『平安時代』とは、どんな時代だったのでしょうか

NHK大河ドラマ「光る君へ」 主人公の紫式部が生きていた平安時代。興味がわきましたので、あらためて、平安時代とは、どのような時代だったのか、調べてみました。


 
〈目次〉 
1. 平安時代の年代について 
2. 平安時代の特徴 
(1)仏教文化の伝来について 
(2)日本独自の文化が発達して、数多くの
   文学作品が生まれた
(3)政治の在り方が何度も変わった 
(4)武士の勢力が強くなった


1.平安時代の年代について

平安時代とは、794年(延暦13年)から約390年にわたって京都が都であった時代です。

794年、桓武天皇によって長岡京から平安京に遷都されてから、鎌倉幕府が成立するまでの約390年間が平安時代です。

現在の京都市中心部あたりに存在していた平安京が都だったことから、平安時代と呼ばれるようになりました。


2.平安時代の特徴
奈良時代と比べると、平安時代は日本独自の文化や政治体制が育った時代といえます。

(1)仏教文化の伝来について
日本に、初めて仏教が伝来したのは6世紀中頃とされています。

その後、遣隋使・遣唐使によって中国の文化が日本にもたらされるようになり、そのなかに中国で進展していた仏教文化も含まれていました。

日本における仏教上の大きな変化は、平安時代になって「密教」が伝わってきたことです。

奈良時代の仏教が、貴族階級に支持された世俗的なものであったのに対して、密教は修行や仏教の精神的な面を重視しました。仏も人も本質的には同じであり、仏と一体になった境地を実感するために修行を積むという思想です。

密教は、遣唐使船に同乗した最澄と空海によって開宗され、それぞれ天台宗と真言宗として発展しました。


(2)日本独自の文化が発達して、数多くの
   文学作品が生まれた
894年(寛平6年)に遣唐使が廃止されてからは、日本独特の文化が発達していきました。

なかでも、ひらがなやカタカナの普及によって、「竹取物語」や「今昔物語」などの読みやすい文学作品が生まれたことは大きな特徴と言えます。

また、女房(にょうぼう、朝廷に仕える女官)によって文学作品が書かれることが増えました。 

代表的には、「枕草子」の作者である清少納言は、一条天皇の皇后の藤原定子(ふじわらのていし)の女房です。

また、「源氏物語」の作者である紫式部馬、同じく一条天皇」の皇后の藤原彰子(ふじわらのあきこ)の女房です。


(3)政治の在り方が何度も変わった
平安時代は、約390年もの長きにわたるため、政治のあり方も変わっていきました。

平安初期は、奈良時代から引き継いだ律令制が政治の基本で、桓武天皇や嵯峨天皇が親政(しんせい、天皇自身が政治を担う)を行っていました。

9世紀中頃になると、多くの荘園を支配する藤原氏の勢力が大きくなり、摂関政治に移行していきました。

摂関政治とは、貴族たちが天皇に代わって政治を行う摂政や関白の地位に就くことで、実権をにぎる仕組みです。

11世紀後半には、藤原氏の勢力が衰え、天皇の位を退いた上皇が政治を行うようになります。これを「院政」といい、白河上皇や鳥羽上皇によるものが有名です。


(4)武士の勢力が強くなった
平安時代では、武士のあり方も大きく変わっていきました。

武士の始まりは、貴族の横暴に対抗するために農民が武装し、地域の豪族になっていったことです。

地方の武士団は都からやってきた源氏や平氏と主従関係を結び、源氏や平氏の長は棟梁(とうりょう)といわれるようになります。

そして、院政が始まった平安時代末期には、都でも「北面武士(上皇の居所の北面に詰め、院中の警備にあたった武士)が組織され、上皇の警護にあたりました。上皇に仕えて院政を支える武力となったことにより、武士の勢力が強くなっていきます。

やがて、平清盛が武士で初めて太政大臣となり、政治の実権をにぎりました。 

しかし、平氏の栄華は20年ほどしか続かず、源氏に滅ぼされます。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開いたことで武士の時代が幕を開け、平安時代は終わりを迎えました。


参照元: 「HAGKUM(はぐくむ)」ホームページ

以上



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