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「脱学校の社会」 イヴァン・イリイチ

今「ジェンダー」という言葉はあちこちで見聞きします。
私の記憶に間違いなければ、この言葉をごく初期の頃に使い始めたのは、イヴァン・イリイチ。

その後上野千鶴子さんという方がジェンダーと言う言葉を用いた記述で日本に広めた、私はそう認識しています。

イヴァン・イリイチはその他にも「脱学校の社会」や「シャドウワーク」、「脱病院化社会」などの著書があり、私がそれらを読んだのはもう随分前で残念なことに書かれていたことの詳細はもう覚えていません。

ただ、ぼんやりと記憶にあるのは今私たちが社会の中で当たり前と思っている制度や体制に疑義を唱えた、稀有な学者さんだったのでは?ということです。

どの本だか忘れましたが、彼の著書の中でおっそろしいほどの注釈がついているものがあって、読み手としては文章を読んでいる途中でその注釈に目をやることで、もうかなりの頻度でつまづきながら読み進めたことを覚えています。

しかし、その夥しい数の注釈が何を物語っているかというと、彼がひとつの著書を完成するにあたって、読み、そして分析した書物や統計的データが並大抵の数ではないということです。

つまり膨大なデータや資料を基に彼は記述していたということ。

余談ですが、確か「脱病院化社会」の注釈に、私がたまたま読んだことのある「健康という幻想」という本が取り上げられており、私はとてもうれしい気持ちになりました。

古本屋さんで、あ、この本面白そう、と迷わずすぐに購入した本がその「健康という幻想」でした。
まさか私がイヴァン・イリイチに届くわけもないのですが、同じ書物に目を通していたという事がとても嬉しく感じたことを覚えています。

ところで、イヴァン・イリイチって一般の人はほとんど知らないのではないでしょうか?
私は以前noteで書いたことがありますが、教職課程で学ぶ大学生と接する機会が多々あったので、何人かに「脱学校の社会」について知っているかどうかを尋ねたことがありました。概ね教職課程の大学生は大学で学ぶようで、イリイチの名前も知っていました。
ただ、知識として知っているだけの様子で、その考え方に惹かれているという学生に出会ったことがないのはちょっと残念ですが。


私たちは、病院で生まれ、学校に通い、多くは企業という組織で働き、そして男女の分業にさらされ、医療にお世話になって生き続けます。

そうした社会や、制度には様々なルールがあり私たちはそれらに拘束され続けます。

そのルールから外れると、逸脱とみなされる可能性が大きいのですが、しかし、もうその逸脱が単にマイノリティーと片付けてしまうことができないほどの事態になりつつあるのではないか?とそんな風に思うことが最近よくあります。

感覚的には、学校がまっさきに姿を消すような気がするのですが、どうでしょう?

イヴァン・イリイチは2002年に亡くなっています。
いつかもう一度脚光を浴びる日がくることを私は願っています。


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