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正岡子規と写実主義を考える〜なぜ鶏頭論争は加熱したの?〜

さんざんゼミで近代の文学論争をやったくせに、「鶏頭論争」を今更詳しく調べましたよ。なんかどっかでやったような気もするんだけど。

めっちゃ面白いのでぜひ紹介したい。俳句界隈にはあまりにも有名な話です。

話は単純、正岡子規の「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」という俳句が、駄句か秀句か、の大論争です。

以下、引用ではなく要約のものありです。

「この句がわかる俳人は今は居まい」(絶賛)

「芭蕉も蕪村も追随を許さぬほどの傑作」(絶賛)

「このような句がなかったら、子規の俳句作者としての面目はなかったと言ってよい」(激賞)

「この句は単なる報告に過ぎないのだ。意味がない。単語だけ入れ替えたらいくらでも同じ句は作れる」(批判)

「別に佳句ではない。佳句ならば句集に選んでいる」(批判)

「強健無比の十四、五本の植物に彼は完全に圧倒され、自分の生命の弱小さをいやというほど見せられた子規は自己の”生の深処”に触れたのである」(価値の観取)

「病で弱っている作者と、鶏頭という"無骨で強健"な存在が十四五本も群立しているという力強いイメージとの対比になっている」(価値の観取)

「この句こそが子規の鮮やかな心象風景を示している」(絶賛)

「子規という作者の人生を読み込まなければ語るに足らない駄作。もし句会にもういちど作者の名を消して出したとしても末期の存在感のようなものは感じ取れないだろう」(批判)

「子規の人生とセットにすることでそこに感動が生まれるならセットにしておけばよいではありませんか。そもそもこの句が投じられた句会ではほかにも子規は鶏頭の句を出しているのだから、この句だけが選ばれ議論されているのは何故なのかということこそ考えねばならない」(上記の批判に対しての反論)

才能ある俳人たちの激論!
私が子規ならば(………いやもういいよ!なんとなく詠んだだけだわ!いつまでやっとんねん!恥ずいからやめろ!)と思います。

一般人の我々は(いや、そんな激論すること?価値は人によるでしょ、ヒマだな)と思うと思います。なぜ、えらい俳人・歌人たちが、こんなに激論をするか。

私は子規とゆかりのある土地で育ったので、国語の先生たちは中学でも高校でも教育課程を超えて子規教育をかなり丁寧にしてくれました。おかげで子規に対する知識や思い入れは普通よりは強めだと思いますし折角なので自分なりに考えて書きたいと思います。

文学史でやったことのある人もいるかもしれませんが、子規というのは俳句革新運動という、当時退廃しかけていた俳諧という文化を批判し俳句という文芸の一ジャンルを独立させ価値の再発見をするという運動をやって、歌に対しては『歌よみに与ふる書』の中で『万葉集』や源実朝の歌こそが和歌であるという万葉調の再評価をし、紀貫之を代表する王朝的な『新古今和歌集』を痛烈に批判し、それらの俳論・歌論に則ってたくさんの歌を残し日本の文芸に革命を起こし、歴史に名を残した人物です。
先日書いた百人一首などに見られる皇族的な、紙と筆を使えるような高い身分の、平安京という極めて狭いコミュニティの中での暇人たちの恋の歌、というのは、現実味がない。「袖をしぼる」(平安の歌に多い表現。恋に破れ涙で袖がしぼれるほど濡れるという意味)なんて、ウソばっかり。万葉集を見てみれば、色んな地方の、農民から役人、貴族まで色んな身分の人の、現実世界をただ生きるという素朴な感動がある。最近でいうと「令和」が万葉集からとられたことで話題になりました。子規は周りの反対を押し切って日清戦争の従軍記者として働いたことのあるジャーナリストでしたから、"現実"を表象することに宿命を感じていました。それから、大学を中退したり、重い病に冒されてしまい身体の自由がきかなくなったことで、社会からドロップアウトした自意識がありました。
子規の主張というのは首尾一貫しています。"写実・写生"。日本人のDNAに刻み込まれた七音、五音のリズムの世界に革命を起こしながら、現実をありのままに、ただ、表現する、ということ。それは、権威主義へと突き進む激動の日本社会への、1人の文学者としての強い抗議であったと言えます。
今こそ日本の文芸を見直す時。今を逃してはもう駄目だ。現実を見つめよ。御歌所(宮内省にかつて存在した皇族の歌に関する事務をとりしきる部署)なんて全然えらくない。気付いてくれ。そういった焦りが、『歌よみに与ふる書』から読み取れます。
子規という人の功績自体に賛否はあれど、子規の思想は確実に日本の詩歌への影響を与えており、子規を語るということは、言わば前述の時代背景における写生という思想について語るということとセットです。戦争に真っ直ぐ向かっていく日本に、写生は芸術的価値があるか。戦争をやっていない現代の日本で、写生は価値があるか、間違っていないか。そういう話になってきます。子規の時代は王朝的和歌の権威を否定する「必要があった。」今は戦争をしてないし平安貴族的な和歌を美しいと思える余裕がある人も多いでしょう。私は平安貴族の和歌も好きだし、子規の歌も好きです。芸術はいつでも権威と戦っています。権威は度々芸術を殺そうとするからです。だから芸術にも革命を起こす必要があります。その戦術の一つとしての写生という思想が、果たして価値があったかどうか。鶏頭論争は、そういうことに繋がってきます。この句は、他の句と比べてもあまりにも「単なる報告」だからです。しかしそこには、ただ美しいかどうかという、耽美的価値だけでは語りきれない子規の気概が背景にあります。こういう芸術論争を興味がないからといって暇人とかで終わらせる人が多いですが、それこそ危険思想です。立派なインフラである文化芸術が死んだら人間も死ぬ、ということを学ぶのが人文科学です。もちろん政治的なものを芸術に混ぜたくないという思想の芸術家もいます。政治的な要素を意図的に排除する、というのは、そのこと自体が1つの政治思想です。

私は、山口誓子の"生の深処"、高山れおなの"子規の人生とセットにすることでそこに感動が生まれるならセットにしておけばよいではありませんか。" こそが真実…と、思ってしまいます。単なる報告だ、というならば、クールベの『世界の起源』とか、ミレーの『落穂拾い』も単なる写真です。

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自己の生の深処に触れる、なんて、この世の何人が達成できる境地なのでしょう。ほとんどの人は生の深処に触れることなく終わるのかも。いや、死を覚悟した瞬間全員触れることが出来るのかも。どちらにしろ、この句は、涙が出るほど美しく、唯一無二の価値ではありませんか。私は、そう思います。


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