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二度と同じ出会いが生まれなくても

出会いは一度きりだと思う。出会ったその瞬間に知るべきことは言葉を越えて伝わるように出来ていると、私はそう信じている。

約5年間お付き合いした彼と別れることになった。
ものすごく幸せな5年間だった。

彼は芸術を愛していて、自然を愛していて、少し人間離れした人だった。
自分の芸術に対しては絶対に妥協を見せない人だった。
そんな彼が彼の芸術と向き合う時間を眺めるのが好きだった。その一瞬から逃げずに向き合っている彼の目が、輝いていた。

彼は私を深く愛していた。
5年間一緒にいても、常に私を優先に考えてくれる思いやりはひと時も変わらなかった。
同棲を始めるにあたって、彼は一棟小さな家を建ててくれた。彼自身の手で建てたその家は「sachiの家」と名付けられた。

変わったのは私の心だった。
私の心情の変化の背中を押したのは誰でもなくて私自身だった。
私は無意識のうちに周りの人に求められるような自分であろうと振る舞うから、時折私自身の本来の声が聞こえなくなる。
それが起して、彼と一緒にいても彼好みの女性になろうと、それで二人の幸せ叶えられるのならと自分本来の声や望みを無視するようになった。

彼のそばで見た夕焼けはいつにも増して綺麗だった。それなのにどこかでずっと悲しかった。
婚約の話が出ていた。嬉しいはずなのに、切なさを隠し切れなかった。
私は死にゆく本来の私に気づいていたのだ。

私をよく知る人に久しぶりに会った。
別にこれといって説教を受けたわけでもないのに自分をすごく情けなく思った。

私を知る人に映る私は私でなく、彼との幸せのみを追いかけて生きる一人の女性になっているのではないかと。どこかで私が叫んだ。私は彼との幸せを追う女性になる前からずっとsachiであって、やっぱりsachiにしかなれないのだと。

ずっと願い続けていた彼との幸せに人生を預けて歩いてしまっていた自分を真正面から受け止めて、その自分にさよならを告げた。

彼の腕の中で休んだ夜、繊細な私をよく宥めてくれた彼、言葉なんていらない関係だった。

彼がよく弾いていたジャズを聴きながら、さよならと繰り返した。
さよなら、さよなら、さよなら。もう二度と生まれる愛でなくても。もう二度と彼の愛に身を任せられなくても。もう二度とあの夕焼けを一緒に見れずとも。

彼といて幸せすぎた時間。手放したことを正しいとか過ちだとかで語ることのないよう生きよう。
私の幸せのまま、魂の求めるまま、流れに身を任せて。

たとえ死に目がどうであれ、そう自分の声に素直に生きれたら後悔はしないと思う。

一人で笑ってみせる。きっとこれが私にとって「生きる」ことなのだと再認識する。

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