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大昔のリアルコミュニケーションに思いを馳せる

ツイッターでフォロワーさんと絡んでて、京都の人の話になったのですが、そのついでに大昔の京都のコミュニケーションについて考えてみました。

大昔の京都

大昔の京都は、日本の政治の中心でした。大体、明治維新より前の話です。
そして経済・文化の中心的役割も担っていたと思います。
特に寺院などは、総本山があり、今でも全国から信者が集まる場所でもあります。

大昔のコミュニケーションは、手紙以外には、人と人が同じ場所で直接話をするリアルコミュニケーションしかなかったのですよね。

京都の街は、大昔は今よりもっと都市の範囲が小さかったのです。
そんな小さな地域に、あらゆる階層の人が住んで、都市を形成していました。多くは、半日もあれば歩いて行けるような距離の中にあったのです。
それで、コミュニケーション手段は、リアルしか無かったのですね。

考えられないでしょ?

恐ろしいです。
そんな過密都市の中で、様々な人が活動をして、リアルコミュニケーションをしていたなんて、想像を絶する話です。
もしどこかの街角で誰かが揉めていたら、京都中に噂が知れ渡るかもしれません。
大昔の京都で生活するには、超絶リアルコミュニケーション・テクニックが必要だったはずです。

現代の京都人

京都人もだいぶ変わってきたとは思いますが、それでも、他府県の人が京都の人と交わるときには、とても気を使うと聞きます。
特に大阪の人は、京都の人とは対照的な性質を持っているので、大阪の人が京都の人をdisっているのはこれまでもよく耳にしました。

それだけ、京都にはコミュニケーションに関する「しきたり」みたいなもの、ITの言葉で言うと「プロトコル」が代々、伝わってきているのですね。

それは、大昔に京都が日本一の都市であった頃の生活様式が、いまだに失われていないことを意味します。
だからリアルコミュニケーションを考えるとき、京都人のコミュニケーションは何か、参考になることがあるのではないでしょうかね。

社会性とプライバシーの両立とコミュニティの形成

多くの人が存在する中でのコミュニケーションで、おそらく永遠の課題となることは

  1. 社会性とプライバシーを両立すること

  2. 所属するコミュニティをどうやって見つけるか、作り上げるか

ということだろうと、僕は考えます。

大昔の京都の人は、リアルコミュニケーションの中でそれを確立したのですね。そのために、人間関係の複雑なニュアンスが沢山生まれたのではないかと考えます。
場所のこと、挨拶のこと、お互いに行き来すること、いろんな場面にその配慮があったのだと想像します。
生身の人間同士がうまく付き合っていくために大事なことは、そういったコミュニケーションのプロトコルの中に隠されているのだろうと思います。

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